術
「すごい…塀が囲んでる街なんだ。」
咲希が、200メートルほど先に見えるその、大きな建造物を見た。
遠くから見ても、その存在感はすごい。石は苔むして蔦などが這っており、年月を感じた。こちらを向いている入口らしきところの前には、民間のパーティらしき男が立って、警護しているようだった。
「ここぐらいで驚いていてはならぬな。メニッツなど山が囲む盆地を利用した地で、その上にさらに石垣を積んだ塀で囲んでおるので、滅多なことでは入れない。入口は、西の一か所だけ。中に住むのは、代々その地で女神に仕えて来た血筋の者達のみと決まっておる。湖が大小五つあって、それぞれに特徴がある。」
ラーキスが、ちらとアーティアスを見た。
「そんな滅多に入れぬ地のことを、なぜに余所者の主が知っておるのよ。」
アーティアスは、ふんと笑った。
「我は飛べる。どんな強固な塀を作っても無駄ぞ。」
不法侵入かよ。
咲希は思ったが、今度は勝手なことは言わないことにした。それよりも、アーティアスが一人称を今まで使っていたらしい「我」に変えたのを、この会話で知った。もうばれたし、いいだろうということなのだろう。
ラーキスが、アトラスを見た。
「では、我らは正当な方法で参ろう。正面から行って、中を調べて参る。それで、安定した地盤のある場所なら良いのだな?」
「ええ。でも、人が作ったものはきっとダメよ。例えば、神殿の床とか、壁とか。取り除けたらダメなんだもの。」
クラウスが、横から言った。
「では、ここは無理ぞ。そんなものしかない。地面は皆石畳を敷いて舗装しておるし、塀の中は全て人口の建造物ぞ。そういう街であるからの。」
アーティアスが言った。
「だが、クロノスはアラクリカに設置せよと申したの。どうするのだ。またずらして設置するか?」と、周りを見た。「ここらは森ばかりであるが、岩盤のありそうな場所を探しても良いが。」
アトラスが、ため息をついた。
「では、やはりオレがアラクリカに入って地質学者のふりをして、この辺りに硬い岩盤がないか聞いて来よう。」
咲希が、驚いたようにアトラスを見た。
「でも、専門的なことを聞かれたらどうするの?バレるでしょう。」
ラーキスが、笑った。
「アトラスは本当に地質学の博士号を持っておる。」咲希が驚いた顔をしたので、ラーキスは続けた。「アトラスの故郷の谷を知らぬか?あそこは、自然に出来た岩場をくり抜いて作ったもの。それを調べるために、大学で地質学を専攻しておったのよ。少々のことなら、ぼろは出ぬ。」
珍しくアーティアスが感心したようにアトラスを見た。
「なんとの、主、そんな専門的な学校へ行っておったのか。我はあれが嫌いでの、しかし馬鹿にされるのは癪なので卒業はしたが、二度と行きとうない。」
アーティアスらしい、と咲希は思って笑った。
「とにかく、行って来てもらおう。早くしないと、今は北を見ているけれど、こっちにまで探索を広げられたら、私の気が見つかってしまうから…。」
ラーキスが、慌てて足を踏み出した。
「もちろんよ。では、行って参る。さ、アトラス、参ろう。」
そうして、こちらの森で潜む五人を残して、ラーキスとアトラスは門番が居る入口へと向かって行ったのだった。
シュレーと圭悟、ショーンは、村に滞在して二日目を迎えていた。
前夜は、到着したてなので、大変な目に合ったが、それでも何とか打ち解けて、夜には空き家に準備されたベッドでぐっすり眠った。思えば、今回の旅はとても恵まれていた。行く先々で温かい食べ物を与えられ、寝る場所を提供され、野宿などしていなかったのだ。
いろいろと覚悟していた三人にとって、肩透かしをくらったような気持ちだったが、快適なのに越したことはないので、ラッキーだと思う事にした。
朝の食事をアーサーの家で食べ、満足していると、そこにケインとライラ、そしてケインに抱かれた小さな三歳ぐらいの女の子が訪ねてきた。
アーサーが、三人を見て言った。
「ああ、こちらがこの二人の娘の、ブリアナです。」
ショーンは、じっとその娘を見た。
「…生まれて五年か?」
ライラが、驚いたような顔をした。
「はい。お分かりですか?いつも小さいので、三歳ぐらいに見られるのですわ。」
圭悟もシュレーも、驚いていた。確かに、小さい…。
「じゃあ、ここに寝かせてくれ。診察ぐらいなら、オレの体にある命の気で事足りる。」
ショーンが、立ち上がって椅子を空けた。ソファのようになっているそこに、ケインは大事そうにブリアナを寝かせた。
ショーンは、その体の上に手を翳して、じっと目を閉じた。
いつも思うが、ショーンは術を使っている時、とても高貴なオーラが出ているように思う。まるで、神から与えられた、使命を果たしているかのように。
シュレーがそう思って見ていると、ショーンは目を開けて手を下ろした。
「…間違いねぇな。心臓の中にある壁に穴が開いてるんだよ。小さい頃は小さかっただろうが、育って来て心臓も育っちまって、穴も広がった。段々に悪くなったんじゃねぇか?」
ケインが、胸の前で手を握りしめて、頷いた。
「はい、そうなんです。赤ん坊の時はそうでもなかったのに、大きくなって来るにつれて、走ったりした後座り込むようになって…最近では、ちょっと歩いても息切れがして座り込むし、この間は気を失って、必死にキジンに連絡を入れて。」
「次は、間に合わねぇな。」ショーンは、険しい顔で言った。「ここから何日掛かる。この前のだって、間に合ったのは奇跡に近い。しかもこの状態じゃあ、今キジンまでの旅に耐えられるのかどうか。」
「そんな…!」
ライラが、うなだれた。ケインがその肩を抱きながら、必死に訴えた。
「何とか出来ませんか。一人しか居ない娘なんです。」
ショーンは、ジッと黙ってショーンを見上げる、ブリアナの目を見つめた。
「誰だって一人きりの人なんだよ。分かってらあ。」と、ブリアナの頭を撫でた。「ここに命の気がありゃあ、今すぐ治してやれるのにな。」
ブリアナは、ショーンを見上げて、言った。
「お兄ちゃん、蘇りの術も、使えるの?」
ショーンはその落ち着いた瞳に驚いたが、首を振った。
「いいや。あいにくその術は知らねぇんだ。知ってたら出来るかもしれねぇがな。」
「私、知ってるよ。」ショーンは、絶句した。ブリアナは、続けた。「お空から、大好きな人を呼び戻す魔法。でもね、それを使ったら、使った人は死んじゃうんだって。」
ショーンは、ブリアナを撫でていた手を止めた。命を呼び戻す魔法。だが、使ったら、命を落とす…。
シュレーが、目を見開いた。シャデルが言っていた…。
「それは…あの時言ってた術なんじゃ…。」
ショーンは、シュレーを無視してブリアナを見た。
「それは、どんな魔法なんだ?ブリアナは、知ってるのか。」
ブリアナは、静かに頷いた。どうやら、どんな時でも静かに動くことが身に付いてしまっているらしい。
「うちにある、本に書いてあったの。とっても古い本よ。」
「本を読むしか、出来ないから…。」
ライラが、呟くように言う。
ショーンはしばらく考えていたが、いきなりブリアナを抱き上げると、言った。
「じゃあ、それを見せてくれないか。もしかしたら、死なずに使える魔法かもしれないだろう?」
ブリアナは、頷いた。
「うん、いいよ。見せてあげる。」
ライラとケインは、ためらったような視線をショーンに向けた。ショーンは、言った。
「なんでも、備えといて損はないだろう?その古い本とやら、オレも読んでみたいんだ。」
二人は頷くと、ショーンを戸の方へと促した。
「では、どうぞ私たちの家へ。」
そうして、ショーンはその家を出て行く。
シュレーは、ただ黙ってそれを見送った。
ケインの家は、来た時に飛び出して来たので知っていた。そこへと案内され、二階にある人形やぬいぐるみが所せましと置かれた明るい部屋へと通されると、ショーンに抱かれていたブリアナは指さして言った。
「そこの、ベッドの脇の棚の、一番端にある本なの。」
ショーンは、そちらを見た。棚には、たくさんの本が並んでいる。ブリアナをベッドへ下ろすと、ショーンは言われた本を手に取った。確かに古い…もう朽ちてもおかしくはないほどだ。そしてそれは、ショーンの知る限り最古の古代語で書かれてあった。
「それはね、おじいちゃんが山の洞窟で見つけた本なの。この前のお話しも、後のお話もありそうだけど、これしか見つからなかったんですって。」
それよりもショーンは、その表紙の文字にくぎ付けになっていた。この古代語…。
「『訪神見聞録4』…っ?!」
ブリアナは、微笑んだ。
「すごい、お兄ちゃんは読めるんだね。おじいちゃんも、お父さんも読めなかったの。でも、私は読めたんだ。なんでだが、分かるの。お父さんは、天才だって言うのよ。でも、私は何もしてないの。ただ、読めるだけ。」
ブリアナは得意そうに言う。ショーンは、愕然とした。あの、サラデーナの王城の図書室で見つけた埃をかぶった本が、ここにもあるのか。
ショーンは、急いで本を繰った。何分保存状態が悪いので、力を入れると崩壊してしまいそうだったが、それでも細心の注意を払いながら、ショーンは次から次へとその本を読み進んだ。
そして、その記述を見つけた。
『…そして女神アンネリーゼは、空へ還った人の命を呼び戻す術を番人から与えられた。その代償は、己の能力だった。だが、その術は更にアンネリーゼに代償を求めた。その代償は、術者の命だったのだ。』
「…こっちの女神は、アンネリーゼって名なのか。」
ショーンが呟くと、いつの間にかそばで固唾をのんでいたケインが、答えた。
「はい。それはサラデーナでも同じであるらしく、あちらでも同じように女神アンネリーゼを信仰しております。つまりはこのアーシャンテンダ大陸の女神なのです。」
ショーンは、頷いてその先を読み進めていた。そして、微かに身を震わせると、じっと怖いほど凝視して、しばらく固まった。
『ついにその日がやって来た。アンネリーゼは亡骸を前に、空を向いて術を放ち始めた。「天の番人よ…」』
ショーンは、アンネリーゼが術を使う様をしっかりと心に刻み付けた。この呪文…この手順。恐らくはここほど大きな命の気が流れる場所でなければ、これは出来ないだろう。リリアナを、こっちへ連れて来る必要がある…。
ショーンが険しい顔をしているので、ライラが恐る恐る声を掛けた。
「ショーン様?」
ショーンは、ハッとしたように顔を上げた。そうだった、ここはまだディンメルク…。
「…いや、やはりこの術は不可能だな。術者の命と引き換えにする、究極の術だ。アンネリーゼの神話で、きっと古代の物語だろう。実際には不可能だ。」
ケインもライラも、残念なような、ホッとしたような顔をした。
「やはり…こんな所に、そんな大層なことを書いてある本があるはずはありませんものね。」
ショーンは、笑って頷いた。
「実はオレも、この本の一巻を持ってるんだよ。借り物なんだが、ブリアナが興味があるなら読んでやろうか。」
ブリアナは、見る見る目を輝かせた。
「本当?!うれしい!絶対に、読めないと思っていたから!」
と言ってから、よろっとベッドの上でよろめいた。ライラが、急いでブリアナに駆け寄る。
「ああ!ダメよ、興奮しては!」
ショーンも、急いでスッと楽になるように術を放った。しかし、ここでは気が補充されない。あまり術を放つと、自分の体も危ない…。
しかし、ブリアナはすぐにふーっと息をついた。
「楽になったわ。お兄ちゃんはすごいのね、なんでも出来ちゃう。」
ショーンは、苦笑した。
「だが、これ以上はここでは出来ねぇ。オレの命を削るしか方法はねぇし、それだけだとお前の病気は治してやれねぇんだ。」
「それでも、よ。」ブリアナは、嬉しそうに微笑んだ。「すぐに楽なったもの。ありがとう。」
ショーンは、その笑顔にためらった。どうして何もできない自分を責めない。何が何でも治してくれと無理を言わない。ちょっと楽になったって、動けないのは変わりないのに…。
ショーンは、そんな考えを振り払うように、自分のカバンから小さくした『訪神見聞録1』を出した。そしてそれを大きくすると、ブリアナに見せた。
「さあ、読んでやろう。オレもまだ読んでねぇんだ。時間がなくてな。一緒に読もう。」
ブリアナは、頬を染めてまた嬉しそうに微笑んだ。
「うん!」
そうして、ショーンはそこで日暮れまでブリアナとその本を読んでいたのだった。




