別々の道
外は、まだ山の端に薄っすらと光が見えるが、既に暗くなっていた。
グーラに戻ったラーキスの背中に、しっかりとロープで括りつけられた咲希は、既にかなり圧迫感を感じていた。同じくエクラスの背に括りつけられたリリアナは、おんぶ紐で繋がれたようなものなので楽そうだ。
メレグロスが、咲希の背をポンポンと叩いた。
「これで、まあ落ちることはあるまい。垂直になろうとズレる事はないぞ、サキ。安心するが良い。」
メレグロスは得意そうだが、咲希は複雑だった。それでも、一応は礼を言わねばと、うつ伏せにラーキスの背に抱きついた状態で、言った。
「ありがとう、メレグロス。ダニエラも克樹も、くれぐれも気をつけてね。アレクシス、よろしくね。」
アレクシスは、笑って頷いた。
「任せておくが良い。」
アーティアスが、浮き上がった。
「ではの。山岳地帯の向こう、リツで待っておる。」
エクラスとクラウスもそれを追って飛び上がる。ラーキスが、背中の咲希を振り返った。
「行くぞサキ。膜の術を忘れるな。」
咲希は、構えて頷いた。克樹が、急いで叫んだ。
「半端無く速いから!咲希、目を閉じて何も考えないで居るんだ!オレはそれで死ぬ思いをしたから!」
咲希はギョッとしたが、その時にはもう、ラーキスは飛び立っていた。
「キャー!」
咲希の叫び声を残して、一瞬にしてラーキス達は南の空へと消えて行った。克樹は、気の毒そうに言った。
「一度ショーンが勝手にルシール遺跡へ行っちゃった時、ラーキスの背に括りつけられて飛んだんだよ…オレ、一時間ほどだったのにフラフラになっちゃって。咲希、大丈夫かなあ…。」
ダニエラも、隣で顔をしかめる。メレグロスも、経験があるのか同情したような顔をした。アレクシスが、そんな三人に言った。
「さあ、こちらの方が時間がないのだ。シャデルの兵に見つからぬうちに、仲間に合流せねばならぬ。オレは面が割れてるから、見つかったら申し訳ないがすぐに消えるぞ。主らなら、誤魔化しがきくやもしれぬが、オレはそうは行かぬのだ。さっさと参ろう。」
克樹は、あーあ、と伸びをした。
「三日間歩きっぱなしか。また長いなあ~。」
そうして、四人はまずは西に向けて歩き始めたのだった。
一方、ラーキスの背中の上で、咲希は膜に包まれていた。
最初は死ぬかと思ったが、スピードに乗ってしまうと、案外に平気だった。克樹は、膜の術を使わないままラーキスの背に乗っていたので、かなり辛かっただろうが、咲希は周りを守られているので、空気の流れすらあまり感じない。遠く見渡せる大陸なので、景色の流れもスピードの割には穏やかだ。
咲希は、ラーキスの背中の温かさを体全体で感じながら、夜の大陸の、遠くにぽつぽつと見える明かりなどを見つめているうちに、ついウトウトと眠ってしまったのだった。
聞き慣れた声が遠慮なく言った。
「変な所で図太い奴よのう。あの状態でなぜにここまで熟睡出来るのだ。主、相手はもっと選んだ方が良いのではないのか。オレならもっと、心の機微を捉えられる繊細な女を選ぶがな。」
ラーキスの声が言った。
「主のように思うたことを遠慮なく口にする男に、繊細な女など合うはずはなかろうが。もっと己を省みぬか。」
アトラスの声が横から言う。
「ラーキスの言う通りぞ。主が良うても相手の女が逃げてしまうわ。少しぐらいものに動じぬ方が、こちらも気楽におれるというもの。」
すると、最初の声が言う。
「何ぞ、主もこやつがいいのか。グーラは変わった趣味であるような。」
アトラスの声が、普通に答えた。
「別にどっちでも良いがの。サキが良いなら良いが。」
…出たよ、どっちでも良い。
咲希はそこでアーティアスとラーキスとアトラスが話しているのをやっと理解して、目を開いた。
「どっちでも良いとは、そんな一大事を決めることに…」アーティアスが言いかけて、咲希に気付いた。「お。目覚めたか、図太い女よ。」
咲希は、周りを見た。どこかの高原の、脇へ入った林の中で、自分は転がされていた。空が薄っすらと白んで来ていて、夜が明けそうなのが分かる。林の外は、見たことのない景色で、かなり遠くへ来ているようだ。水の匂いがして、近くに川が流れているのが分かった。
「…ここは?」
ラーキスが答えた。
「アラクリカへと流れる川と、並行してある林の中ぞ。もう目と鼻の先なのだが、夜が明けて来るので、脇へ入った。よう寝ておったの、サキ。オレが人型に戻って体勢が変わっても、ぴくりともせずで。死んでおるのかとハラハラしたわ。」
咲希は、ばつが悪そうにした。
「ごめんね、ラーキスは一生懸命飛んでくれてたのに。ラーキスは温かいし、膜を被ってて空気の抵抗はないしで、気が付いたら寝入ってしまってたみたい。」
アーティアスが、腕を前に組んで言った。
「で?このまま歩くか。しかし我らは面が割れておるゆえ、アラクリカを調べて参るなら、我らは行けぬ。主らだけで見て参れ。我らはどこかに潜んでおるから。」
すると、ラーキスがアトラスと顔を見合わせた。
「そうよな…とりあえずは、アラクリカの近くまで参るか。シャデルの様子も探って参らねばならぬし、オレとアトラスで街を見て参ろう。して、アラクリカは何の街か?」
クラウスが、答えた。
「宗教と芸術の街。」
リリアナが、顔をしかめた。
「芸術は分かるけど、わざわざ宗教の街って言うからには何かあるのね?」
クラウスは、頷いた。
「女神生誕の場所と言われているメニッツが近いせいか、女神信仰が活発でな。街一つに、神殿が30はある。その神殿の装飾のための彫り物や、絵画などが発達して芸術の街とも言われるようになった。」
アトラスが、眉を上げた。
「こちらも女神信仰か。あちらもそうよ。女神ナディアを信仰しておるものが多くて、婚姻の式なども女神の祭壇に誓う。どんな小さな村にも、祭壇はあるのだ。」
クラウスは、アトラスを見た。
「ほう。人はどこも、神という存在を信じて頼りたくなるものなのだな。こちらの女神は、アンネリーゼという。なのでここの女の名は、さすがにアンネリーゼと続けて名を付ける者は居らぬようだが、アンネとリーゼが圧倒的に多くてな。紛らわしくてしょうがないのだ。」
咲希は、苦笑した。確かに同じ名前ばかりでは紛らわしいかもしれない。
アーティアスが、イライラと言った。
「では、今のうちに林の中をアラクリカの入口近くまで移動しようぞ。時間は無駄に出来ぬ。シャデルは…気を探っておるやもしれぬ。」
咲希は、ハッとして自分の胸を押さえた。そうだ、私…。私の気が知られているんだった。
そう思うと、居ても立っても居られない気持ちになって、咲希は跳ねるように立ち上がった。早く移動しなければ。
アーティアスが先を、周りに目を光らせながらどんどんと歩いて行く。
咲希は、その背を見て遅れないように、出来るだけ速足で歩いたのだった。
しばらく歩くと、アーティアスは少し歩調を緩めて、言った。
「…まだ気取られておらぬようぞ。北ばかりを見ておるのだろうの。こちらは至って静かな気が流れておるな。」
クラウスが、頷いた。
「は。前に訪れた時と、変わらぬ様子でありますな。」
アーティアスは頷くと、ラーキスを振り返った。
「もし、街を案内して欲しければ、前にオレが参った時にいろいろとかしましく世話を焼いてくれる女が居ってな。それに頼めば良いわ。ええっと…リーゼと申した。」
クラウスが、控えめに言った。
「どちらのリーゼでありまするか?場所を申しておかなければ、分かりませぬゆえ。」
顔をしかめるクラウスを見て、アーティアスは思い出したように言った。
「そういえば、前に主と待ち合わせた時なかなか来ぬでイライラしたものよな。」
「探しておったのでございます。」クラウスは、心外な、という顔をした。「アーティアス様はリーゼの所に居る、と申されて。ですがあの町には、全てリーゼではないかと思うほどリーゼという名が多いのでございますから。」
だから、紛らわしいと言ったのか。
ラーキスもアトラスも咲希も、それで納得した。アーティアスは、うーんと宙を見た。
「そうよな、リーゼ…どちらのリーゼであったかの。あの折、オレを案内してくれると申す女が多くて、迷ったからの。面倒なことを言わぬリーゼであったから…ああ、三番目のリーゼよ。」
クラウスは、再び顔をしかめた。
「その三番目のリーゼは、どちらに。」
アーティアスは、眉を寄せて思い出そうと格闘しているようだ。
「あれは…どこであったか。奥のルイ神殿の前であったか…いやあれは連れて帰れとか訳の分からぬことを申したしすぐに離れたの。北のミク神殿…の女はリーゼではなかったな。アンネだったか。では西の奥のシン神殿の…」
咲希は、呆気にとられた。アーティアスは、街を案内させるのに、いろいろな女のひとを渡り歩いていたのか。それは面が割れているわ、要注意人物として。
「アーティアスって、女ったらしなの?」
咲希が、小さな声で呟くように言った。クラウスとエクラスが仰天したような顔をして咲希を見た。
「な、なんということを申すのだサキ!」
かなり慌てている。しかしアーティアスは、キョトンとしていた。
「女ったらしとは何か?」
知らないんだ。
それはそれで、咲希は感心した。クラウスもエクラスも、言葉を探して困っている。ラーキスが、見かねて言った。
「あっちこっちの女と、婚姻を約しておるわけでもないのに関係を持つ男のことぞ。」
それを聞いたアーティアスは目を見開いてクラウスとエクラスを交互に見た。二人は、神妙な表情で視線を下に向けている。二人と目が合わないので、アーティアスはまたこちらを見た。咲希は、ばっちりアーティアスと視線を合わせてしまった。
「何を申す!我がいつ女と関係を持った?!ふざけるでないわ、そこらの女を簡単に選ぶほど、我は己の価値を知らぬ男ではないわ!」
「え?」
咲希は、一瞬聞き間違えたかと思った。アーティアスは、我という一人称を使った。今まで、オレと言っていたのではなかったか。
「アーティアス、今、我って…」
アーティアスは、ハッとしたように口をつぐんだ。ラーキスもアトラスも、黙ってアーティアスを見る。アーティアスは皆に背を向けて、先へと足を進め始めた。
「とにかく…誰もかどわかしてなどおらぬということぞ。案内を頼んだら軒並み快く承諾してくれたゆえ、一緒に行動しておっただけ。主らが思うような関係などないわ。」
アーティアスは、これ見よがしに端正な顔立ちだ。確かに、いくらでも女が寄って来て、案内してもらっただけなのだろう。
空気が重苦しくなったので、クラウスが口を開いた。
「…実は、アーティアス様はあちらでは高い地位に居られるかた。しかしそれでは新しい大陸の者達も心を開かぬだろうと、下々の者達と同じ物言いを学ばれて、使っておられたのです。」
考えてみると思い当たることは、山ほどあった。育ちが良さそうなところもあるのに、急に粗野な動きをしたり、思い通りにならなければイライラしたり、そして何より、偉そうで、エクラスもクラウスもアレクシスも、びくびくしているような所もあったからだ。
どこかしら後ろめたいような感じを受けるアーティアスの背中を見つめていた咲希は、急にパッと明るく表情を変えると、駆け寄って行って顔を覗き込んだ。アーティアスはびっくりしたような顔をしたが。咲希は気にせずに言った。
「ごめんね、アーティアス。ちゃんと弁えて行動してるのに、誤解されたら腹が立つわよね。でも、いくら地位があったって、私には関係ないわよ?私、もしもアーティアスが王様だったってこんな感じだと思うから。だって、私が飼ってるミュウに似てるんだもの、色合いが。怒らないでね。」
クラウスとエクラスが、それこそ空が落ちて来たかのような顔をして、スッとラーキスとアトラスの後ろへと避難した。
「火に油を注ぐようなことを言うて。」
クラウスが、小さく囁くように言う。アーティアスは目を丸くしていたが、しかししばらく後に、クックっと笑った。
「あのような小さな魔物と一緒にするでないわ。変な女ぞ。図太いだけではないの。」
そうして、顔を上げてサクサクと先を歩いて行く。
クラウスとエクラスは、顔を見合わせた。何が起こっているのだろう…いつもなら、周りに当たり散らして怒って大変なのに。
ラーキスが、肩で息をついて言った。
「ではどこのリーゼか我らには分からぬし、適当に調べて参るわ。これ以上ややこしいことは懲り懲りぞ。」
そんなことを話しているうちに、遠く左手にアラクリカの街が見えて来た。
それは大きな、石垣に囲まれた街だった。




