形見
皆がシンと寝静まってから数時間、咲希は、誰かに揺さぶられるのを感じて目を開けた。
相変わらず、目の前の囲炉裏では炭が温かく燃えていた。
「目が覚めたか?少し早いが、夕食を持って来てくれた。これを食べたら、ここを発つぞ。」
ラーキスだった。
起き上がって見ると、みんな起き上がって背伸びをしたりしながら、目の前に並べられた食事をぼんやりと見ている。明らかに、まだみんな起きたばかりだった。
村の女性が、温かいスープが入った皿を差し出してくれた。咲希は、丁寧に礼を言ってそれを受け取ると、口をつけた。体に染み入るほど、おいしい。
そこから一気に食欲がわいて来て、目の前のパンやらローストルクルクなどに手を付けて、片っ端から食べた。今度は、いつこんな食事が出来るか分からない…旅をして来て、知ったことだった。
アーティアスが、もう食事を終えたようで、カップから飲み物を飲みながら言った。
「では、言うておった通りラーキスとアトラス、オレとクラウス、エクラス、咲希とリリアナがこれからノンストップでアラクリカへ向かう。アレクシスを残して行くゆえ、残りのカツキ、メレグロス、ダニエラは徒歩で南へ向かえ。途中、サイと申す小さな村があるのだが、そこに仲間が大勢潜伏しておる…ま、言うてみればサラデーナでの我らの基地のようなもので、そこには我らの仲間しか住んでは居らぬのだ。もちろん、地図にはない。ちょうど、こことアラクリカの中間ぐらいの位置にある。だが、十分に潜める場所での。行ってみればわかるが。」
メレグロスが、頷いた。
「歩けば三日の距離だと聞いた。シャデルの動きが気になるが、しかし我らは囮であるから。出来るだけ見つからぬように、引き付けておく。」
アーティアスは、頷いた。
「頼んだぞ。石を設置する前に追って来られては、次にアラクリカへ潜入するのが難しくなろう。重要な任務であるぞ、メレグロス。」
すると、後ろの仕切り布が揺れて、ミールが入って来た。相変わらず、しっかりとした足取りで、リリアナが言うように、目が見えないなどとは思えない。
しかし、ミールはメレグロスを見て言った。
「主の懸念の主を、水鏡で見て参ったぞ。」
メレグロスは、驚いたような顔をした。
「しかし、気取られるのでは…」
ミールは首を振った。
「あの、側近のバークとかいう奴の方を見たのだ。シャデルは、今は王城に居る。主らは急がねばならぬな。ファルに居た兵士達が、ルース山脈の西へと移動しているのだ。つまりは、こことは目と鼻の先まで来ようとしておる。闇に乗じてここを出て、さらに西へ。砂漠へ近づいてから、南へ向かう方が良いぞ。」
メレグロスが、険しい顔をした。
「もうそこまで来ておるのか。」
ミールは、頷いた。
「しかしあれらは、己が何を探しておるのかわかってはおるまい。徒歩で行く者達は、知らぬ存ぜぬで通せる可能性がある。しかし、咲希を伴っておる空を行く者達は、そうは行くまい。見つかったら最後、捕らえられようぞ。その気を探って来るのだからの。」
咲希は、胸を押さえた。私の気を狙って来る…私のせいで、皆が危ない目に合うのだ。
しかし、ラーキスが咲希の肩を抱いた。
「大丈夫よ。本気で飛べば、ここからアラクリカまでの距離なら我らは一日あれば余裕で到着するだろう。その代わり、主の体はしっかりとオレに括り付けさせてもらうぞ。そうでなければ、落ちてしまうゆえな。呼吸の仕方は、教えたであろう?」
咲希は、頷いた。
「術で膜を作って、風圧を遮断するのね?リリアナにも教えたわ。」
ラーキスは、頷いた。
「その通りよ。案じることはない。」
アーティアスが、ため息をついた。
「ま、仕方があるまいて。飛ぶ鍛錬が間に合わなんだのだからな。しかし、まさかの時は己で飛んで逃れるのだぞ。とにかく、南へ。山岳地帯を越えたら、仲間が居るゆえ。覚えておくのだ。」
咲希は、真剣な顔で頷いた。アーティアスの顔が、思ったよりずっと険しかったからだ。
事実、そんなことがありうるのだと悟った瞬間、咲希の心臓はドキドキと激しく打ち始めた。もしかして、一人で逃れなければならないかもしれない。ラーキスも、アトラスも、アーティアスもみんな自分を庇って盾になり、自分だけ一人…。
咲希は、そんな事態にだけは、絶対になりたくないと心の底から思った。みんな一緒がいいに決まっている。誰も、犠牲になんてしたくない。リリアナも居る。みんなを守らなきゃ。
すると、ミールが言った。
「気をつけて行くのじゃぞ。険しい道が見えるが…しかし、主らなら成し遂げられよう。わしの命のある間に、命の気の流れを作って欲しい。」
立ち上がった皆は、その言葉にミールを振り返った。
「ミール殿…もしやお命が残り少ないか?」
ラーキスが言う。ミールは、困ったように笑った。
「クロノスが言うておったであろう。直に会えると。あれは、わしがもうすぐ空へ還るということ。」
と、足を進めると、エクラスが抱くリリアナの頬を撫でた。皆が驚いて二人を見比べた。リリアナも、あまり表情は変わらないが、息を飲んだのが見えたので驚いているようだった。
「わしは、もう目が見えぬ。そのせいで、この嬢ちゃんには嫌な思いをさせてしもうたらしい。主らの話を聞いておった、シークがわしに伝えて参った。石が繋ぐ命…そんなものがあるとは、思わなかったのでな。目が見えぬわしには、力の石がそこにあるようにしか、感じ取れなかったのだ。しかし、こうして触れたら、これは石ではないの。きちんとした体を持った、命であるな。」
リリアナが、涙ぐんだ。
「何よ…私は、気にしてないし。」
リリアナが言うと、ミールはホッホと笑った。
「そうであったな。」そして、リリアナの涙が、自分の指に触れたのを感じて、悲しげに顔をしかめると、言った。「主は、命になれる。リリアナ、その石を、己の体に取り込んで、そうして真の命として生きる術が、この世界にはある。」
リリアナは、息を飲んだ。エクラスが、驚いて言った。
「それは、この体を生き返らせることが出来ると言うか。」
ミールは、頷いた。
「遠い昔に、封じられた術。その昔、その術を用いて愛する女を呼び戻し、そうして命を落とした男が居たからぞ。そしてまた、同じ術で命を落とす女も。」ミールは、リリアナに顔を近づけた。「嬢ちゃん、主は人の命を礎にして、その命を真実のものとして生きたいと望むか?」
リリアナは、すぐに首を振った。
「そんなことは望まないわ。私は、これでも生きているもの。誰かを犠牲にして、自分の嘘を真実にしようなんて思わない。」
ミールは、顔を離して満足げに頷いた。
「さもあろう。では、教えようぞ。」と、ミールは宙へと手を伸ばした。すると、その手には虹色に光る、小さな石が現れた。「これは、世にたった二つしかない石。一つだけであれば、持つ者の身を守るための、身代わりの石となる。しかし二つ揃えば、持つ者の命すら助けるほどの、強い力を発揮する。これを、術を掛ける者に持たせ、その術を放てば良い。だがしかし…もう一つは、失われておって、ここには無い。己の力で、見つけるよりない。」
リリアナは、それを受け取った。美しく光る玉は、まるで猫の目のように、中心に縦に切れたような光の筋が入っている。咲希はそれを遠目に見て、まるで元の世界のキャッツアイのよう、と思った。色が虹色なだけで、あの光り方はそっくりだ。
アーティアスが、何気なくその玉を見て、突然に息を飲んだ。クラウスが、同じように目を見開いて、アーティアスを見た。
「アーティアス様…もしや、あれは…。」
アーティアスは、突然にその玉を横から掴んだ。
「なぜにここにある!主、これをどこから手に入れたのだ!!」
アーティアスの剣幕に、周りの皆が退いた。いったい、何をそんなに怒っているのだ。
ミールは、アーティアスに気おされることなく、答えた。
「これは、昔ここへ迷い込んで来た男が置いて行った物よ。多くの術を習い、そうしてここを去った。わしもその男から幾らか術を教わった。双子石なのだと言うて、お守りだと一つ、わしにくれたのよ。だが、わしはもう逝く。相手の男も、もう世を去ったやもしれぬ。ならば、他の場所で役に立った方が良いというもの。この嬢ちゃんが誰も犠牲にしたくない、それでも命を持ちたいというのなら、もう一つの石も探し出すことが出来ようと思うてな。」
アーティアスは、ぐっとその玉を握った。何かをこらえるように、じっと眉根を寄せている。メレグロスが、言った。
「何ぞ?主の知り合いの持ち物か?」
アーティアスが、睨むように視線を上げて、メレグロスを見た。
「…父の物ぞ。」
全員が、仰天してアーティアスを見た。父?!
「え…それって、アーティアスのお父様が、ここに来たってこと?だったら、ディンメルクへ帰ったら、もう一つの玉も手に入るんじゃ…」
咲希が言いかけると、アーティアスは咲希を睨みつけた。
「父は、もう十年前から行方不明になっておる。我らがあちらへ追いやられた、あの最後の戦の時ぞ。その後、ついに帰っては来なかった。まだ子供だったがオレが後を継ぎ、そうして今がある。」
「それって…どういうことかしら。」ダニエラが、口をはさんだ。「その、お父様がこちらへ来たのは、いつのこと?」
ミールが、首を傾げた。
「そうよな、10年ほど前か。大層ボロボロになっておって、ふらりとあの林へ迷い込んで参った。そこで、大きな気を持っておったし、ここへ招き入れ、保護しておったのだ。そのうちに、ここに居るのも飽きたのか、旅に出ると言い残して、これを置いて出て行った。」
克樹が、手を打った。
「じゃあ、アーティアスの父上は生き延びたんだよ!それで、ここで療養して、出て行ったんだ。」
アーティアスは、鋭い目で克樹を見た。
「だが、父は帰っておらぬぞ?あちこちに仲間が潜伏しておるが、接触もして来ぬ。生きておるなら、仲間のことを気取れぬはずはあるまいに。」
ミールは、肩をすくめた。
「シャデルも警戒しておったし。ここを出た後、命を落としたやもしれぬな。どちらにしても、わしはあれから一度も会っておらぬよ。」と、アーティアスの手から、玉を奪い取った。「だが、これはもうわしがもらったわしの物だ。そしてそれを、わしはこのお嬢ちゃんに譲った。主には権利はないぞ。」
アーティアスは、ぶんぶんと首を振った。
「何を言う!これは、母の形見なのだぞ!母がキジンの湖に飲まれた時に、これが結晶化して残ったのだ。母の瞳ぞ!それはオレの物だ!」
皆が、絶句してそのやり取りを見守っていた。クラウスが、気遣わしげにそれを見ている。エクラスも、悲しげにしていた。リリアナは、手にある玉を、アーティアスへと差し出した。
「そうね。これは、あなたのものだわ。」
アーティアスは、あっさりと自分の手に戻って来た玉を見て、呆気にとられた顔をした。
「…良いのか。」
リリアナは、頷いた。
「ええ。きっとこれが身代わりになりたいのは、あなたやお父様なんでしょう。お母様が死んでもこれを残したのは、あなたとお父様を守りたいという気持ちがあったからだと思うわ。もう一個がお父様の手にあるのなら、これはあなたが持つべき。お父様の気持ちは分からないけれど、私はそう思うわ。」
アーティアスは、リリアナを見てから、じっと玉を見つめた。そして、それを懐に入れると、踵を返した。
「…時間を取ってしもうた。さっさと参らねば、シャデルが来る。出発しようぞ。」
そうして、誰の返事も聞かずに、アーティアスはそこを出て行ったのだった。




