プロローグ
その男は、暗い石造りの廊下を、奥へと急いでいた。
十数年前に始まった戦は、休戦と再開を繰り返し、今も街の治安は良くない。それでも、今の王が即位してから、国は平穏を取り戻しつつあった。
今は、何度目かの休戦協定の成立で、小康状態を保っていた。だが、依然として緊張感は拭いきれていなかった。
長い石の通路を抜けて階段を上がると、明るく広い部屋へと出た。そこには赤い毛氈が敷かれてあって、豪勢な造りだ。今まで通って来た通路とは違い、壁の石も滑らかに磨かれて光り、男はそこへ出たことでやっと肩の力を抜いて、歩いて行った。
しばらく歩くと、正面に幅の広い階段があった。その両脇に居た金属の甲冑を着た兵士が、男に気付いて足を揃えた。
「バーク将軍!」
バークと呼ばれたその男は、頷いた。
「今帰った。陛下にご報告に上がる。」
兵士は、前を向いたままかしこまって言った。
「は!陛下はお部屋に戻られております!」
バークはまた頷くと、階段を上がって行った。そして、奥へと長い通路を抜けて行くと、正面の大扉が何も言わないのに勝手に開いた。
一瞬足を止めてためらったバークだったが、気を鎮めると再び歩き出した。そして、その扉の中へと足を踏み入れた。扉は、また誰の手も借りずに勝手にバークの背後で閉じた。
「陛下。ただいま戻りました。」
広く敷物が敷き詰められたその部屋の奥の、椅子に腰掛けた人影はこちらを向いた。
「バーク。どうであった。」
バークは、顔を上げてその影に歩み寄った。
「予断を許さぬ状況です。二十年前のディンメルクとの間の壁と同じ状態になっております。」
相手は、顔をしかめた。
「今この時に。シャンデン列島は無事か。」
バークは、頷いた。
「は。目の前のことでありまするが、島には何の影響もなく、ただ住民はすぐ近くのことですので脅えており、観光客も皆本土の方へ避難しております。」
相手は、立ち上がって大きな窓へと向かった。そして、窓の外を見た。遠く、海の上には激しい雷が横一列に並んで、まるで雨のように降り注いでいる。
「軍の準備を急げ。この機にディンメルクも休戦協定を破棄して攻め込んで来るやもしれぬ。」と、海をじっと睨んだ。「さて、あの海の向こうの輩はどんな奴らであるか…我が国を落とそうとするのなら、返り討ちにしてやろうぞ。」
バークは、深く頭を下げた。この王ならば、恐らくそれをやって退けるだろう。隣国ディンメルクとの戦は十年以上にも及んでいたが、この王が即位してから僅か十年、抑えられていた山岳地帯の街も全てすぐに取り返し、あちらから休戦協定を持ち出すほどにまで、こちらを有利に導いた。
バークは、じっと王の赤い瞳が見据える先を共に眺めながら、これから起こる事態への覚悟を決めていた。