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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
出会い編  ※  第一章 将軍の姫 
9/45

(2)ゆら姫 十七歳 ①

 季節は春。そろそろ桜が咲き始める頃。


 街道から続く、海風を凌ぐために植えられた松の立ち並ぶ海岸。その松林に転がる、大きな岩の上に座る人影があった。

 

 木綿の袷と藍の袴。腰には小太刀を帯び、長い髪は後ろの高い位置で一つ結び。まだ若い、元服もまだの侍のようだ。


 しかし一見少年剣士のように見える彼は、実のところ、ゆら姫の扮装なのであり、それがまた至極自然にしっくりと来ている。知らない者が見れば普通に少年で通ってしまうだろう。

 さらに彼女は今まさに大きな口を開けて、串に刺した団子を頬張ろうとしていて、その仕草はとても将軍家の姫のものとは思えないのだった。

 

 そんな無防備な彼女の後ろ姿を、少し年嵩の、背の高い侍が心配をしているようにも、怒っているようにも取れる微妙な表情で見守っている。


「三郎太も食べる?」

 やや高めの、幼く聞こえる声で言うと、ゆらは新しく袋から取り出した団子を、後ろに控える侍に差し出した。


  三郎太というのは清水宗明の幼名で、成人し、幕府の要職にあるこの侍を、この少女はいまだに幼名で呼んでいる。それが、彼女の精神の安定を図るための手段であることを知っている彼は、その事を指摘しない。


 清水宗明という立派な名前があっても、少女に「三郎太」と呼ばれれば、それまでの憮然とした表情を捨て「はい」と穏やかに答えるのだ。それが彼女に大きな安心を与えることを、彼は知っていた。

 

 団子を差し出された宗明は首を横に振った。その仕草には諦めも滲んでいるようだったが、ゆらは気にする様子もなく、「そう?美味しいのに」と言いながらかぶりつくと、「はしたない」と途端に後ろから厳しい言葉が浴びせられた。


「何よう」

「何よう、ではありません。あなたさまはあなたさまのお立場を、もっと真剣に考えるべきです」


「お説教する三郎太、きら~い」

 

 「嫌い」と言われ、一瞬苦い表情をした宗明だったが、負けじと言葉を続けた。


「百歩譲って男姿で出歩かれることはお許し致しましょう。どこに危険が転がっているかも分かりませんからね。しかし。姫君としての立居振舞は、いついかなる時もお忘れになってはいけません。一度身に付いてしまった下品な仕草は、直そうと思ってもなかなか直せるものではありません。人前で大口開けて団子を頬張るなど、言語道断。そのことは、よく肝に銘じて頂いて、このように人目のない時でも気を抜くことなく、いえ、このような所だからこそ、どこに人が潜んでいるとも知れぬのです。男姿をなさっていても、やはり女子であることは隠しきれませぬ。ご自分の身を守るためにも……」

 

 まるで小姑のようにねちねちと続くお小言に、半ばうんざりしながら、ゆらは最後の団子を頬張った。そして宗明の話を右から左に流しながら、この小姑のようなお付きの侍を如何にして撒いてしまうかという事に思考を集中させている。


 そんな事には気付かず説教を続ける宗明。


「この清水宗明が、命を賭してお守り致す所存ではありますが」

 などと、何故か自分の決意表明をしていたり、

「それでも、将軍家の惣領姫としての自覚を、あなたさまご自身にもお持ち頂きたく」

と、弁に熱が籠るあまり、守るべき姫の素性を明かしてしまっていたり。


 しっかりしているようで、どことなく抜けている感のある彼だったが、それも彼女の身を案ずればこそのことであろう。


「三郎太」

「は?」

「団子も食べちゃったし、帰ろうかあ」


 岩の上に立ち上がり、ぴょんと飛び降りる姫。

 話の腰をくじかれた宗明は、まだ説教したりないと言う顔をしながらも、慌てて姫の後を追う。


 宗明が飛び降りた所で見たものは、海の遥か沖に目をやる姫の姿。

 大きな真ん丸な目には、まるで星が宿っているかのように、きらきらと輝く瞳。

 まっすぐに海を見つめるその瞳は何処までも澄んでいて、冴え冴えとした夜のきらめきを思わせた。

(ああ。ゆらさまは綺麗だ……)

 

 高鳴ることはない。ただ、苦しいだけだ。その苦しみを握りつぶすかのように、宗明は襟元をぎゅっと掴んだ。

 慣れることのない苦しみ。彼女には決して気付かせてはならない痛み。

 それを抱えたまま彼女の側にいることを選んだのは、己れ自身だ。宗明はそっと小さな息を吐いて、その苦しみを体の外に追い出した。


「三郎太!」

「はい」

「三郎太!あれが、黒船?」

「え?」


 興奮した声を上げる姫に誘われるように目をやれば、一隻の大きな船が岬の突端に姿を見せた所だった。


「そのようですね。さあ、目的はすべて果たせました。帰りますよ」

 一刻も早く、ここを立ち去るべきだ。

 彼女を促して歩き出そうとする宗明に、しかし彼女は付いて行かない。


「あの黒船がもっと近くまで来るまで待ってるもん」

「……あれは、これ以上湾の中には入って来ません。座礁しますからね」

「ええ!?」

「ええ!では、ありません。黒船なんぞ見物に来ていると上さまがお知りになったら、今度こそ外出禁止になりますぞ」


 そうなのだ。彼女の目的は団子だけではなく、この処頻繁に姿を見せるようになった黒船こそ、彼女の第一の目的だった。

 

 ここぞとばかりに「将軍に報告するぞ」と奥の手をちらつかせる宗明に、少女はぷうっと頬を膨らませた。


「また、そのような顔をされる。いくら姫さまの我がままでも、これ以上は聞けません。さあ帰りますよ」


「だったら、かあさまに桜の枝を持って帰るわ」

「よろしゅうございます。あちらの山桜から、私が一枝折って参りましょう」

 

 松林の向こうの小高い丘に、一本だけひっそりとある山桜。それに向かって宗明は歩き出した。


 これ幸いとばかりに、姫は何故か宗明とは逆の方向に走り出した。下駄を脱ぎ捨て裸足で疾走する姿は、もはや深層の姫君のそれではない。


 後ろから宗明の怒号が追いかけて来たが、そんな事には構わず、彼女はひたすら街道を駆け岬の突端までやって来た。松林にいた時よりも、ぐっと黒船が近くなる。その中で働く異人の姿も見えそうだった。

 

 彼女の瞳の中のきらきらが、いっそう輝きを増した。

「く・ろ・ふ・ね~~~!!」

 乙女の浪漫を掻き立てられ、大声で叫んだ姫。

「ゆ・ら・さ・ま~」 


 早々と追いついた宗明の、重い拳骨が怖ろしいまでに低い声と共に姫の頭頂部に落とされた。 





「かあさま……?」


 腫れているように思える頭頂部を擦りながら、ゆらは病床にある母に遠慮がちに声を掛けた。


 あの状況でも、宗明はしっかり桜の枝を折っていて、それを手に城に帰ってすぐ、母の見舞いにやって来たのだ。


 すると母は薄く目を開け、顔だけをこちらに向けた。

「なあに。ゆら?」

 か細い声に、胸がキュッと痛くなるのを感じながら、ゆらは母の側ににじり寄った。


「今日は、昨日よりもお顔の色がいいみたい」


 実際はそうでもないのに、そう言ってしまうのは、自分の願望のせいなのだと、彼女は痛いほどに分かっていた。


 母がふっと笑んだ。


「あ、あのね。これ、咲いてたの。かあさまに……」

「まあ……。もう、そんな季節なのね。ゆらの花ね。嬉しいわ」


 四月生まれの、ゆら。その時期にちょうど咲く桜を、母はあの日以来「ゆらの花」と言って慈しむ。それが嬉しくて、ゆらは桜が咲いているのを見ると決まって一枝手折り母に贈るのだった。


「三郎太と黒船を見に行ったのよ」

 誇らしそうに言うゆらを、桜を見つめていた母は怪訝そうに見返した。

「黒船?」

 今は母と二人きりの室内。これ幸いとばかりに、ゆらは先程見た光景を興奮しながら話した。


「まあ、怖ろしい……。そなたに何かあればどうするのです?」

「三郎太が一緒だったもの」

「その三郎太に責が及びましょう」

「?」


 母は二年前よりいっそう細くなった腕を、ゆらに差し出した。


「よいか、ゆら。人の上に立つものは、常に従う者を気遣うてやらねばなりませぬ」

「でも三郎太だもの。気なんか遣わないわ」

「それは、清水さまのお優しさよ。そなたは、それに気付けるようにならねばなりません」


 そこで、母は深く息をついた。そして、頃合を見計らったように廊下に控えるお中臈が声をかけて来た。


「お方さま。そろそろお休みになりませんと」

「じゃあ、かあさま。また来るわ」


 腰を浮かせたゆらに、母の手がそっと触れた。

「清水さまは何があっても、そなたの側にいてくれましょう。よいか。決してないがしろにしてはなりませぬぞ」

「分かってるわ。かあさま」


 母を安心させるように微笑むと、ゆらは足早に部屋を後にした。


 最近母はまるでゆらの行く末を案ずるようなことばかりを口にするようになった。その原因を考えるのが怖ろしくて、ゆらはあまり深く考えないようにしているけれど、もし母が自分の命について何か感じることがあってそのようなことを口にするようになったのなら……。


 ゆらは廊下を歩きながら、最悪の事態を考えそうになって、ふるふるとかぶりを振った。


 今時分、宗明は役所の方に詰めている。自室に戻ればあやめがいるが、それまでゆらは一人。


 ゆらはきゅっと唇を引き結ぶと、目に付いた草履をひっかけ庭に下りると、目に付いた背の高い木へと登って行った。

 

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