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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
出会い編  ※  第一章 将軍の姫 
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(1)ゆら姫 十五歳 ③

「お師匠、お呼びか?」

「おお、師範代。忙しい所を済まぬのう」

「いえ。それで、ご用件とは?」

「うむ。おしずも聞いておけ。こちらは、将軍家の姫君 ゆらさまじゃ」


(うわっ。言っちゃったよ)

 別に隠しておかなければならない事ではないが、お忍び気分なだけに素性の知れるのは気恥ずかしい。


「え?」

「ほう」

 おしずはただ驚いたようだが、師範代はぎろっと、まるで値踏みするかのようにゆらを見ている。


「ゆらさまは水戸のご隠居の秘蔵っ子でな。江戸にお戻りになる折に、わしもご隠居から文を頂いておったのだ」


「そう言えば、二年ほど前に水戸から使いの方がおいでになったことがありました」


「左様。しかし、いかんせん、わしはすでに市井の中に身を置いておる。城に上がる機会もない。自然、姫さまにお会いする機会もなく、時ばかりが過ぎておったが、なるほど来るべき時というのは必ずあるものじゃな」

 

「まあ……」

 おしずが静かに感嘆の声を漏らしている。

 が、師範代は他の二人ほどには感激屋ではないらしい。

 ずいっと柳生の方に身を乗り出すと、


「厄介事が舞い込む前に、早々にお帰り頂くがよろしいかと」

と師匠を睨み付けた。本人にその気はないのだろうが、鋭い眼差しだけに、傍から見ると睨んでいるように見えるのだ。


「まあ、待て。師範代」

「しかし」

「ゆらさまにも言いたい事があろう。まずはそれを聞いてからだ」

「……」

 師範代は不満そうだったが、師匠の意思に逆らう気はないのか、すっと身を引く。


「さて、ゆらさま。こうして、この屋敷の主だった者が、ゆらさまの事を知った訳じゃが、あなたさまはどうしたいとお考えか?」


 柳生は寄る年波に勝てず、やや下がり気味になっている目尻を一層下げて、優しい目でゆらを見た。その目は、水戸のおじいさまがゆらに向けるのと同じ光を帯びていた。


(どうしたい……?)


 ゆらは、自分が何故今ここにこうしているのかを思い返してみた。


 自分が城を抜け出すようになった訳。

 それは、母の病に他ならない。

 決して逃れたいのではなかった。けれど衰えて行く母の姿に、自分の感情が追い付いて行かないという戸惑いはある。


 ゆらはぐっとおなかに力を入れた。どこまで上手く言葉に出来るかは分からなかったけれど、今まで自分の中でも処理し切れないでいた複雑な思いを吐露したのだった。


「自分の居場所が欲しい……。水戸ももちろん大好きだし、お城はわたしの家です。けれど、いつも何か落ち着かなくて、わたしの持っている以上の物を求められているような気がして……。本当のわたしでいられる場所がほしいなって……。かあさまの看病をしたいと思っても、腰元たちが全部やってしまうでしょう?じゃあ、わたしがここにいる意味はいったい何なのって思ってしまう」


「ゆらさまがお城にいらっしゃると思うだけで、お母君さまは励まされるのではないかしら?」


 おしずが慰めるように言うと、ゆらはふるふると頭を振った。


「それが城下に出る理由か……。甘い」

 突然浴びせられた厳しい言葉に、ゆらは顔を強張らせた。

「師範代」


 おしずが嗜めるように言うのを視線で制すと、

「あなたが城を抜け出すことで、あまたの腰元や近習の侍が迷惑を蒙るということはお考えにならないのですか?母君のお役に立ちたいと思うのはけっこうだが、周りの迷惑も考えずに自分の思いを押し通すのは、我がまま以外の何物でもない」


 遠慮の一つもない物言いに、その場の空気が凍りついた。

 ゆらの顔は青ざめ、何かを言いかけてはやめているのか、唇がぷるぷると震えている。


 こほんと咳ばらいがして、その空気を動かしたのは柳生だった。


「まあ、師範代もいとけない姫君にあまり辛辣なことを言うものではない。だが、ゆらさま。師範代の言う事にも一理ある。それは、ご自分が一番よく分かっておいでだろう」


 柳生の優しい眼差しに励まされたのか、ゆらは青ざめたまま、こくりと頷いた。


「ふむ。では、ひとつ、わしの考えを聞いて頂こう。まず、ゆらさまはご自分が今何処にいるのか、ちゃんとお城の方に伝えること。それで、市中に出ることを禁じられたなら、わしがとりなして差し上げよう。それから、もうひとつ。母君さまに、その日あったことを面白おかしく話して差し上げること。これは市中にお出にならなかった日にも、必ずされるがよい。この二つの事を守って頂ければ、わしはいつでもゆらさまにおいで頂きたいと思うている。……いかがかな?」


「抜け出すことをやめろとは言わないのですか?」


 そう問えば、柳生はふっと人のいい笑みを浮かべた。


「水戸のご隠居さまからの文に、もしゆらさまが訪ねてきたら、力になってやってくれと認めてあった。まあ、そんなことが書かれてなくても、わしはゆらさまの味方だが。のう、師範代?」


 険しい表情の師範代が、ぎろっとゆらを睨んだ。

 その視線を真正面から受け、ゆらはびくっと肩を震わせた。


「お城の方がご了承されての外出というのであれば、こちらからは何も申し上げることはありません。姫さまの安全が第一でございます故」


「ふむ。それはそうだ」


「いざとなれば、私もお守り致しますが……。いかがでしょう。姫さまにその気がおありなら、稽古を付けて差し上げましょうか?」


「ほう。それは良い考えだ。さすがは師範代だのう」


「まあ。それなら、ゆらさまがここにいらっしゃる理由にもなるわね」

 何故か、おしずもうきうきと声を弾ませている。


(あれ。話が変な方向に……)


 ゆらが不安に思い始めた時はもう遅く、三人はゆらに付ける稽古について話を詰め始めていた。一人取り残された感のあるゆらが、ぼんやりと三人が楽しそうに話をしているのを眺めていると、廊下に衣擦れの音がし、若い侍が姿を見せた。


「お師匠さま。お客さまでございます。どちらにお通し致しましょう?」

「おお。そうか。ならば、わしが玄関まで行こう」

「はい。かしこまりました」

「ゆらさまは、わしが戻るまでゆっくりされていよ」


 そう言われてしまうと、「帰る」という訳にもいかず、ゆらは出されていた湯呑を手にした。


「では、私も失礼して道場に戻ろう。また何かあれば教えてくれ」

 師範代はおしずにそう言い置くと、部屋を出て行った。


「ふふ。いい人でしょう?」


 女二人になったところで、おしずがおもむろに、そう切り出した。

「へ?」

「素敵よねえ。師範代」


 色恋ごとには疎いゆらも、何となく分かってしまった。


「えっと、つまり、おしずさんは師範代の事を好きなんですか?」

「あら、やだ」


 ばしっと肩を叩かれ、思いの外強い力に体が沈む。


「強面で無愛想だからちょっと怖い感じだけど。本当はとても優しくて、いい人なのよ」


(そ、そうなんだ……)


「じゃあ、師範代もおしずさんの事を?」


「ふふ。それは分からないわ。だって、あの人、ちっとも表情に出ないんだもの」

「ああ。ですね……」


 では、おしずの恋も前途洋々という訳でもないのか。


(おしずさんにはお世話になったし、わたしに出来ることがあればしてあげたいな)


 生来お人好しなゆらは面倒を背負い込む性質で、それ故、自身を追い込んでしまうという所がある。


 母の事にしてもそうだ。医師や腰元に任せておけばいいものを、自分で出来ることをと思うあまりに、自分には何も出来ないのだと、しなくてもいい落胆をしてしまい、結果城を抜け出すという所まで至ったのだ。己の出来ることには限度があるのだと理解するには、彼女はまだ若すぎた。


 頬を赤らめるおしずを見返しながら、ゆらの頭の中では目まぐるしく師範代との仲を取り持つ計画が練られていた。


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