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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
第二章 暗躍するものたち
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(4)成敗③

「佐伯殿」


 畳の上に突っ伏している佐伯を揺さぶれば、「う~ん」と呻いて薄目を開けた。


「あなた、クモさまの手下なんだろう?どうにかしてくれよ」


「ん、な……クモさま……」


 まだ思考の回路が繋がらないのか反応が鈍い。


「そう、クモさまだよ」


 佐伯の焦点がやっと巨大な蜘蛛に合った。


「ひ……」


 小さく悲鳴を上げたまま硬直した佐伯。


 驚愕の表情で真っ黒い色をした蜘蛛を見上げている。 


「あなたのクモさまだろう?」


 半ば飽きれながらそう言えば、佐伯小刻みに頷いた。


「あ、ああ、そうだ。クモさまだ。いや、違う。これは違う。違うけど違わない……」


「は?何言ってんだ」


「う、うわ~」


 佐伯はその場から逃げ出した。「誰か。誰か、いないか!」と縁側に通じる障子を開けて声を張り上げている。


 そしてそのまま裸足で庭に飛び出し助けを呼び続けている。


 クモさまだが、クモさまではない……。


 新之助は刀を構え直しながら蜘蛛を見た。


(なら、これはいったい何だ)


 その大きさのせいか動きは緩慢だ。


 あの男は確かにこれを“クモさま”と呼んで姿を消したのではなかったか。


 それなのに佐伯は「これはクモさまであって、そうではない」と言う。


(混乱している……)


 新之助はひとつ小さく息をついた。


 考えるよりもまずは行動か。


(さて、どっちを優先するかな)


 振り返れば、佐伯は降りしきる雨の中で慟哭していた。


 このままでは気が触れてしまいそうなくらいに。


(まずはあっちか)


 踵を返し、縁側に出ようと足を踏み出した。


 直後目の端で黒い塊が動いた。


 確認する前に刀を振り上げる。


 ガッと言う鈍い音が響いた。


 刃で受け止めていたのは蜘蛛の鋭い脚。


 何も音を発しない蜘蛛はとても静かな存在だった。


 けれど、それだけに禍々(まがまが)しい。


 間近に迫るクモの眼は新之助を見ているようで見ていない。


 それは(うろ)のような空洞、命の光を持たない眼だった。


「クモさま~!」


 佐伯が叫んでいる。


(愚かしい)


 (おのれ)よりも力ある存在を求め、道を誤ったというのか。


 何のために。


 金のため? 


 出世欲のため?


 その為に人が犠牲になっているというのに。


 ああして叫んでいても、誰も助けに来ないではないか。


 それが自分の価値だと、なぜ気づかない。


 新之助は蜘蛛の足を押しのけた。


 ゆらりと蜘蛛の巨体が揺れる。


「大きいだけの物なのだな。お前は」


 力もなく、素早さもない。


(あの黒づくめの男は、それを知らなかった訳でもあるまい)


 虚勢か。


 逃げるための時間稼ぎか。


 新之助はそれ以上動こうとしない蜘蛛をそのままに佐伯のもとに走った。


「佐伯殿。しっかりされよ」


「ああ、クモさま~」


 見れば、佐伯は涙まで流していて、それに気づいた新之助は思わず「ちっ」と舌打ちしてしまった。


「こんなとこに(うずくま)っていても仕方ないだろう。行くぞ」


 ちらっと蜘蛛を見たが、まだ内蔵の前で佇んでいた。


「いやじゃ。わしのクモさま~」


「クモさまクモさまとしつこいんだよ」


「風間さん!」


 苛立つ新之助の耳に、いきなり年若い娘の声が飛び込んできた。


 顔を上げれば、クモさまのいる部屋のすぐ側、周り縁の角にその娘が立っていた。


「ゆらさん」


 どうして、こんな時に来るかな、この子は……。


「ゆらさん、気を付けて!」


「女、女だ」


 佐伯の恰幅の良い体がすっと立ち上がった。


「おい?」


にえですぞ。さあ、お召し上がりください!」


 嬉々として叫ぶ佐伯の視線はゆらを捉えていた。


 ググと蜘蛛が体の向きを変えた。と思う間もなく、部屋の壁に突進。


 ドーンという音と共に壁に大穴を開けた。


 蜘蛛の目の前には、ゆら。


 彼女は立ち尽くし、呆然と禍々しい存在と対峙していた。


「ゆらさん!」


 動きが鈍かったのって、腹が減っていたからなのか。


 新之助は駆け出しながら、そんな間抜けなことを思っていた。


「クモさまのお食事だ~」


 佐伯のむかつく声を背に受けながら。





「ゆらさま」


 宗明がゆらの前に立った。


 ググ、ググと蜘蛛が近付いてくる。


「逃げられよ」


「やだよ」


「あなたは!たまには私の言うことを聞いてくれ」


 この状況を前にしても、まだ我を押し通そうとするゆらを宗明は叱責した。


 宗明の広い背中が盾となり、ゆらは不思議なくらい恐怖を感じていなかったのだ。


「頼むから、逃げてくれ」


「ゆら。ここは殿方の言うこと、聞くもんやで」


 不意に鈴がゆらの肩に乗ってきた。


「鈴ちゃん、無事で良かった!」


「ほれ、ちょっと下がれ」


 鈴に促され素直に数歩後ずさると、宗明との間に久賀が入ってきた。


「俺でも少しはお嬢ちゃんを守れるかな」


 はにかんだように笑っている。


「ゆらさん!」


 新之助も縁に上がってきた。


「風間さん、びしょ濡れ。大丈夫?」


「俺の事より、ゆらさんだろ」


「貴様、あとで覚えていろよ」


 宗明の鋭い声が前方から飛んできた。


 それに肩をすくめて答える新之助。


「ゆらさんだけは必ず無事に返すさ」


「ふん。当然だ」


 宗明は刀を正眼に構えた。


 新之助は太刀をだらりと下げたまま。


 蜘蛛が屋敷中に轟く咆哮を上げたのはその時だった。


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