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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
第二章 暗躍するものたち
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(4)成敗②

 遠くから悲鳴が聞こえてくる。


 それにかすかに頬を緩めながら、新之助は目的の人物をその視界に捉えていた。


 彼が襖の向こうから部屋を窺っていることにも気付かないで、わたわたと右往左往している侍が一人。


 その様子を、盃を片手に悠然と眺めている男が一人。


 その男は羽織も袴も黒で統一していた。


「まったく、どういうことだ。任せておけば大丈夫だと申したのは、その方であろう?」


 落ち着きない侍が、杯を傾ける男に声を荒げた。


「大丈夫と申し上げたのはクモさまのことだ。屋敷の警備はあなたの役割だろう」


 やれやれと息をつく男の態度に、侍はますます苛立った様子で、男の持つ盃を取り上げてしまった。


「悠長に酒など飲んでいる場合ではなかろう。わしは今度のことが明るみになれば、今までのすべてが無駄になるのだぞ」


「そんなことは知らぬ」


 男はまた盃を取り返すと、なみなみと酒を注いだ。


「し、知らぬとはなんだ!そなたの口車に乗って、わしは後悔しているのだぞ」


 男が侍を見た。


 その刺すような視線に侍がたじろいだ。


「貴様の短慮ゆえの結果であろう」


「な、なに?」


「まあ、よい。貴様は所詮捨て駒。どうなろうが俺の知ったことではない」


 言い捨てると、黒づくめの男は盃を捨て立ち上がった。


 盃から零れた酒が僅かに侍の袴にかかる。


「お、おのれ」


 侍が脇差に手を掛けた。


 それを見て、男が口を歪める。


「俺を斬るか?斬ればクモさまが貴様を喰らうぞ」


「!」


 力なく項垂(うなだ)れる侍の前に片膝をつくと、男が侍に顔を寄せた。


 何か囁いた。


 それは新之助には聞き取れなかった。


 だが、侍の視線で新之助は悟った。


 彼の隠れる襖の方を侍が見たからだ。


「佐伯よ。クモさまに喰われたくなければこの事態を収束させるのだ。そうすれば、格別な取り立てがあるだろうよ」


「……無論、そのつもりだ」


 侍が立ち上がった。ゆっくりと襖に近づいてくる。


 やはり、この侍が親の仇である佐伯なのだ。


 新之助は刀を脇に置き、襖が開かれるのを待っていた。




「用心棒としてこちらに詰めております。風間と申します」


「用心棒は奥には来るなと言い付けていたと思うが」


「は。あまりに不穏な事態ゆえ」


 ちらりと佐伯が黒づくめの男を振り返った。


 男は口元を歪めたまま、こちらを見ている。


「ここはいい。早く侵入者を斬り捨てるのだ」


「それは、出来ませぬ」


「なに?どういうことだ」


「侵入者よりも、こちらにいる悪党の方が悪質でございましょう」


「そなた、何を言うている」


「これに見覚えがございませんか」


 そう言うと、新之助は一枚の文書を差し出した。


「なんだ、これは」


 佐伯はそれを見た途端に青ざめた。


「国許に送るはずの西洋式鉄砲を江戸の商人に売りつけようとしたものの、その商人から断りの文書が来たと、そういうことでございますな。さらにもう二・三。こちらは鉄砲買い付けを了承したとの書簡。こちらは代金領収の証文……」


「……知らぬ。わしは知らぬ」


「知らぬはずはございますまい。それと前後して、国許で稲垣家の当主と内儀が何者かに襲われ落命しております。おそらくはその鉄砲の横流しに気付かれたと思い襲わせたのでございましょう。稲垣家当主はその頃財政監査を行うために江戸に赴き帳簿を改めたのち帰国したばかり。疑問に思ったことをご家老にでも報告したものと思われる。そういえば、ご家老のお身内がご正室さまでございましたな」


 新之助が言葉を続ける毎に、佐伯の顔がどんどん青くなっていった。


「となれば、鉄砲横流しにご家老も加担されているのかも知れませぬ。その折の帳簿もこちらに」


 新之助が懐に手をやった。


「く、曲者……」


 声を上げかけた佐伯の喉元に新之助が懐剣を突き付けた。


「ひ……」


「話はまだ終わっておらぬ。しばし待たれよ」


「い、いくら欲しいのだ?」


「……」


「用心棒の賃金だけで不満ならば、言い値で払ってやる。それらの書簡も買い取ってやろう」


 新之助はくっと口の端を上げた。


「ほう。ならば、いくら払う?」


「じゅ、十両。十両でどうだ」


「安い」


「では二十」


「その程度の額で御身が守れるとお思いか」


「では、いくら……」


 佐伯の向こうで黒づくめの男が動いた。


 咄嗟に佐伯の襟首を掴み脇に投げた。


 佐伯がもんどりうって畳に転がり、ガッという金属と金属がぶつかり合う音がしたと思うと、新之助は懐剣で男の振るった何かを弾き飛ばしていた。


 部屋の隅まで飛んだそれを見れば、棒状の手裏剣だった。


「無駄口はそのくらいにしておけ」


 男が近付いてくる。


 そして佐伯を見て冷笑を浮かべた。


「使えねえ奴だ」


「お、お前。裏切るつもりか?」


「あんた、そいつやるなら、早くやれよ」


 男は面倒くさそうに新之助に言った。


 佐伯にではなく新之助に。


「やりたいのはやまやまだが、俺も話が終わらねば、やれん」


「お前たち、人の事を何だと思って」


「まあ、いいさ。俺はそろそろ行くぞ。ここにいても埒が明かん」


「な、な、お前がクモさまに従えばいくらでも儲かると言うから、仲間になったというのに」


「仲間~?ま、あんたのおかげでうまい酒は飲めたな」


 じゃあなと手を振って去ろうとする男を、佐伯は何とかして引き留めようとしている。


 新之助としてもこの怪しい男の事が気になるが、それより今は佐伯だ。


「佐伯殿。こちらの話がまだ終わっていない」


「う、うるさい。何なのだ、お前たちは。わしは何も悪くないぞ!」


「佐伯殿。少し落ち着いて」


「うるさい!わしは何も悪くない。悪くないぞ」


 佐伯はばっと立ち上がり、次の間へと続く襖を開け放った。


 そこには重厚な扉を持つ内蔵があった。


「わしは悪くない。わしは悪くない」


 ぶつぶつ言いながら錠前を外している。


「どうしたんだ。あの人」


「あれがあの男の本性さ」


 すぐ横で聞こえた声に振り向けば、去って行ったはずの黒づくめの男がそこにいた。


「!」


「ちょっと忘れ物してね。あいつからまともな話を聞こうとしても無理だぜ。あいつはただの傀儡(かいらい)だからな」


「傀儡?」


「そう。クモさまのための、な」


 瞬間拳が飛んできた。


 すんでの所で避けた新之助が後ろへ飛ぶと、すぐさま次の拳が繰り出される。


 それを難なくかわしながら、「クモさまとはいったいなんだ?」と冷静に尋ねた。


「思った通り。あんた、やるな。どうだ。仲間にならんか」


「俺は、酒は飲めない」


「はは。だったら無理だなあっと」


 男がくるっと後方へ宙返りした。と思うと、内蔵の入り口に立っていた。


「おい」


「佐伯は返してやる。ただ、まともな話が出来るかどうかは定かじゃないがね」


「……」


 男が内蔵の中に姿を消した。


 するとすぐに、佐伯が内蔵から飛び出してきた。


 投げられた玉のようにぽーんと勢いよく。


 畳の上で一度跳ね、そのまま伸びてしまった。


「大丈夫か?」


「わ、わしは……」


 切れ切れの息の中で声を漏らした。唇が切れたのか血が流れている。


「ここでの仕事は終わりだな。じゃあな。あんたとはまたどこかで会うかもしれねえな」


「待てよ。これ、どうすんだよ」


「だから、あとはあんたの好きにしろって言ってんだ。クモさまはもうその男には関係ない」


 新之助は唇をかんだ。


 おそらくクモさまの事を追及しようとすれば、ことはさらに厄介になるだろう。


 今は佐伯の罪を暴くことが先決だ。


「よし。じゃあ、行くか」


 男がそう言いながら内蔵から出てきた。


 すると、その後ろにもう一つの影。


「クモさまの正体見たら、生きて帰れないぜ」


 さも楽しそうに言って、黒づくめの男が新之助の肩をポンと叩いた。


「え?」


「もう、いいや。ここは終了。おしまい。んじゃあな!」


 ぱっと男の姿が消えた。


 それと同時に男の後ろにいた影がはっきりとした形をとった。


「冗談だろ……」


 さすがの新之助もかすれた声を漏らした。


 そこには天井までも届く巨体を持った毒々しい蜘蛛がいた。





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