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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
第二章 暗躍するものたち
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(3)用心棒⑩

「なんで追いかけてくるのよ~」


 恐々とした声を漏らしながら廊下を逃げていたゆらは、雨戸の隙間を見付け庭に飛び下りた。


 急な方向転換にもかかわらず、クモたちはくいっと曲がり、ゆらのあとに続いてカサカサと庭に出て行った。


「はわ~、追いかけてくるう」


 なんなの?なんなの?


 恐怖に引きつったゆらの顔が稲光に照らされる。


 すぐ近くで雷鳴が轟き、腹にずんと響いた。


「ひ~~~」


 ひどい夜だ。


 とんでもない日だ。


 おしずを見付けたというのに母はいなかった。


 心配で心配でならないのに、自分は気持ち悪い蜘蛛の集団に追いかけられている!


 前庭と思われる所まで出てくると広い池があった。


「あっ」


 思わず足を止め振り返ると、あっという間に蜘蛛がゆらの周りに集まってきた。


 もう右も左も蜘蛛だらけだ。後ろは池。


 逃げ場はなくなってしまった。


「ど、どうしよう」


 蜘蛛がカサッっとゆらの足の甲に乗った。


「いや~」


 身をよじって振り払おうとしたゆらの足にふっと何かが触れた。


 びくっとして見下ろせば、光沢のある衣の袂が見え、その先にある白い指が見えた。


 それはゆらの足の甲に取り付いた蜘蛛を摘み上げたかと思うとぽいっと放り投げた。


 蜘蛛は弧を描くようにして宙を飛び、仲間の中心に落ちて行った。


 カサカサと蜘蛛たちが身じろいだ。


 振り仰げば、異常なまでに背の高い人影が横に立っていた。


「ひっ」と小さく叫んで身を引こうとすると、その人が腕を伸ばし、着物の袂でゆらの体を柔らかく包み込んだ。


 よく見れば、異常に背が高いと思ったのは烏帽子と呼ばれる公家の被り物を頭に乗っけていたからで、本当の背の高さは新之助や宗明とそう変わらないようだった。


 袂の陰でほっと胸を撫で下ろしたゆらに、その人は穏やかな微笑みを稲光の中に浮かび上がらせた。


「あの、どちらさま……」


「まずは、この気持ち悪い状況をどうにかしませんとねえ」


 焦っている風もなく鷹揚に言ったその人は、袂の中から出した細く長い指をくいくいっと動かした。


 その間口の中で何かを呟いている。


 刹那、バサバサという音と共に空から何かが舞い降りてきた。


 ゆらは袂の中で身をすくめながら、目の前で起きた世にも奇妙な光景を凝視した。


 白い紙だ。白い紙で出来た鳥だった。


 無数のその鳥がバサバサと飛び回りながら、ゆらを囲んでいた蜘蛛を食い尽くしていく。


 紙がどうして蜘蛛を食べられるのか。


 そんなことを疑問に思う間もないくらい呆気なく捕食は終了した。


 あんなに大量にいた蜘蛛が一匹もいなくなった場所に、満足そうに下り立った紙の鳥たちは、残り物を探す鳩のように地面をついばんでいた。


「ほえ~」


 ゆらが感嘆の声を上げると、烏帽子を被ったその人が「(えん)」と短く言葉を発した。


 たちまちに燃え上がり、跡形もなくなった紙の鳥たち。


 降りしきる雨の中。ゆらは烏帽子の人の袂の中で呆然とその光景を見届けた。


 すると頭の上から「くすり」と笑う声。


 振り仰ぐと、烏帽子の人がにこやかな表情でゆらを見下ろしていた。


「初めまして。鈴がずいぶんお世話になったようでありがとうございました」


「え?あっ、もしかして、鈴ちゃんの旦さん!……ですか?いえ、お世話になったのはわたしの方で。ほんとに、なんとお礼を言ったらいいか」


 にこにこと相好を崩す烏帽子の人は「いかにも」と頷いた。


嵯峨(さが)大膳(たいぜん)と申します。以後お見知りおきを。ゆらちゃん」


 飄々として掴みどころがない。けれど畏怖の念を感じるほどに、美しく清廉な空気を纏った人だった。


 これまで出会ったどんな人とも違う、その空気は人というよりも神や仏に感じるものに近いように思えた。


 この人は自分と同じように息をしているのだろうか。


 そんな間抜けなことを思って、ゆらは我知らず嵯峨の口元に手を伸ばしていた。


 嵯峨は伸びてきたその手をやんわりと握ると、顔を近付け、また「くすっ」と笑った。


 その笑みすら神々しく、ゆらはぼうっとなって嵯峨を見つめるばかり。


 額と額がくっつきそうなくらい二人の顔が近付いた。


 これほど美しい人と密着しているというのにゆらはまったく羞恥を感じず、心はただ穏やかに、まるで()いだ水面(みなも)揺蕩(たゆた)うような浮遊感に包まれていた。


 そんなゆらに嵯峨が言った。


「さあ参りましょう。妖魔との戦いへ」


 間近にある、変わらぬ穏やかな微笑み。


 けれどその異国の人の持つような色素の薄い灰色の瞳には、ゆらの決意を促すかのように鋭い光が瞬いていた。




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