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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
第二章 暗躍するものたち
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(3)用心棒⑨

 痛みに悶える久賀を余所に、三人と一匹は戸惑いながらも藪の中で膝を突き合わせた。


「ゆらさん、どうしてここに」


「風間さんこそ」


「俺は……ほら、ここが新しい士官先で」


「わたしたちは、おしずさんとかあさまを探してたら、この屋敷に」


 顔を見合わせる二人の間に宗明が割り込んだ。


「多数の娘がいなくなっている状況がある中で、深川の中でもこの屋敷が怪しいとこの猫が言うものでな」


「猫?」


 ちらっと目をやれば、毛艶の良い猫が得意そうに胸を張っていた。


「え~っと……」


 今一つ状況のつかめない新之助だったが、ゆらのお目付け役の侍が冗談を言うよ

うな男ではないとも思うので、恐らくこの猫は、新之助が友人となった河童と同じように人と心を通わせることのできる類の生き物なのだろうと思うことにした。


「侵入者だと家人が騒いでいた。見つかったんじゃないか?」


「それは、ゆらのせいや」


 猫が喋った。


 うん。猫が喋った。


 思ったが、新之助はあえてそのことに触れず話を進めることにした。


 世の中には思いもつかない不思議なことがたくさんあるものだ。


「まあ、ゆらさんなら仕方ないかな。でもこれ以上家人を刺激するのも良くないだろう。どうするつもりだ」


 新之助の視線は宗明に向けられていた。


「俺はここの用心棒をしている。場合によっては、あんたたちにとって不都合な対応も取らざるを得ない」


「……」


「そこでひとつ交換条件だ」


「何?」


「あんたたち、あえて騒ぎを起こしてくれないか」


 その場にいた全員が新之助を見た。


 ようやく鳩尾の痛みから解放された久賀までが怪訝そうな視線を向けた。


「風間。この人たちはどうやらお前さんの知り合いらしいのに、何だってそんなことを言うんだ。見つかれば、このお嬢さんが危ないだろう」


「ここに忍び込んだ時点で、危険はもとより承知の上だろう?」


 新之助はゆらを見た。


 この状況にあっても緊張感のかけらもない少女はやんわり微笑んでいた。


「この屋敷の中のどこかにおしずさんがいるというなら、それはたぶん奥向きだろう。この久賀が騒いで騒いで騒ぎまくってくれるから、それに乗じて動け」


「おいおい。俺が行くのかよ。まあ、いいか。どうせ、しがらみなどないのだ。面白そうな方に(くみ)してやるさ」


 この時ほど、この男の性格を有難いと思ったことはない。


「騒ぎなど起こしても、我らに得などあるまい」


 こちらは相変わらずの不機嫌さだ。


「そうでもないはずだ。そちらの不思議の猫さんが人を引き付けている間に堂々と屋敷の中を調べ歩けばいいだろう?」


「鈴ちゃんが?」


「ふうん。旦さんが来はるまでの辛抱、か。ええで。やったる」


「大丈夫、鈴ちゃん?」


「あんたは、はよう、探し人を見付けや」


「うん……」


「貴様。何を企んでいる」


 割り込んできた鋭い声に目をやれば、ゆらの守り人の険しい視線が新之助に注がれていた。


「別に。俺には俺の事情があるだけだ」


「……気に入らん」


 本当に扱いづらい男だ。


 そう思い嘆息した新之助に、ゆらがこの場にそぐわない明るい声で言った。


「ようし。そうと決まれば、さっそく行きましょ!」


「ゆらさま」


「三郎太。わたしたちが侵入しているのはもう知られているんだよ。だったら、それを逆手に取った方が動きやすいわよ、きっと。鈴ちゃん、絶対怪我なんてしないでね」


「あんたと一緒にせんといて」


「ははは。だよねえ」


 この少女にとことん弱いらしい守り人が諦めたように深々と息をつくのを見て取ると、新之助は藪の中を抜け出した。


「じゃあ、猫さん。頼む」


「よっしゃ。ほな、行くで」


 そう言うと、鈴は久賀の肩にぽんと飛び乗った。


「うわ。なんだよ、猫」


「猫ちゃう。鈴や。うちのこと、しっかり追いかけるんやで」


「え、そういうこと~???」


 久賀が状況を把握した瞬間、鈴は久賀の頭のてっぺんにとんと足をついて飛んだかと思うと、雨に濡れそぼった地面に下り立ちそのまま駆けて行った。


「あ、ちょっと、待て」


 しばらくすると屋敷の中から悲鳴とも怒声ともつかぬ声が聞こえてきた。


 鈴がさっそく暴れだしたのだ。


「よし。じゃあ、俺たちも行こう」


「あ、風間さん」


 歩き出そうとした新之助を思わずゆらは呼び止めた。


「風間さんにまた会えて嬉しかったよ」


 思わぬ言葉に目を見張った新之助は、ふっと笑みを零すと「俺も」と言って歩き出した。



「ゆらさまは本当に信じておられるのですか」


 新之助のあとを少し遅れて歩きながら、宗明が憮然として言った。


「何が?」


「何が、ではありません。あの猫と言い、あの浪人者と言い、胡散臭(うさんくさ)いことこの上ないではありませんか」


「でも三郎太は、にいさまに話を聞いているのでしょう」


「それは……そうですが」


 釈然としないものがあるのか、宗明はむっつり口を閉じてしまった。


 屋敷の中からは時折何かの壊れる音も聞こえてくる。


 鈴と久賀は存分に暴れまわってくれているようだ。


 新之助はほくそ笑むと、ばたばたと人の行き交う廊下へ堂々と上り込んだ。


 隙のない動きで廊下を行きながら人の流れを観察する。


 がちゃんと派手な音のした方へと向かう人々。


 それとは逆に、主の居室の方へと急ぐ数人と手燭を持って廊下の奥の暗がりへと消えていく集団を目の端にとらえた。


「ゆらさんはあちらへ」


 そう言い置いて、新之助は主の居室の方へと足を向けた。


「三郎太」


「不本意ですが参りましょう」


 ゆらと宗明は廊下の先の暗がりへと入って行った。

 




「守りを固めろ」


 灯りの乏しい部屋のからそんな声が聞こえてきて、ゆらと宗明は咄嗟(とっさ)に柱の陰に隠れ中の様子を窺った。


「ここだけは何としても死守しろとの旦那さまのお言い付けだ」


 ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯りに照らされ浮かぶ影は三つ。


 余分に見積もっても五・六人がせいぜいだろう。


 この部屋には何があるのか。もっとよく見ようと首を伸ばしてみたが、間口の狭さの割に奥行きはあるのか隠れている宗明からは部屋の全体までは見渡せなかった。


 だが。


(私一人で十分だな)


 宗明は静かに鯉口(こいぐち)を切った。


 鈴たちの起こしてくれた騒ぎのおかげで家人たちの動揺は深い。


 浮足立っている者など宗明の相手ではなかった。


「なあ、せっかく用心棒を雇ったのだから、そいつらをこっちに回してくれてもいいのにな」


 するとそんな愚痴めいた言葉が聞こえてきた。


(用心棒?)


 抜き身を払おうとした宗明の動きが止まる。


「あいつらはだめだ。用心棒とは名ばかりの役立たずどもだからな」


 その場にくくくという冷笑が沸き起こった。


「ここにいる女たちも可哀そうに」


「まったくだ。旦那さまに望まれなけりゃ、まっとうな暮らしが送れただろうにさ」


 男たちは下卑た笑いを漏らしたが、その笑いは深まる前に途切れてしまった。


 どさっと人の倒れる音がした。


 その傍らに立つのは、太刀を捧げ持った宗明だった。


「き、斬ったの?」


「峰打ちです」


 そろそろと近付いて来たゆらの視線が部屋の奥に注がれた。


 ぼんやりとした灯りの向こうに木で出来た柵のついた部屋があった。


「座敷牢ですね」


 息ひとつ乱さない宗明が淡々と言った。


「おしずさん……?かあさま……?」


 恐る恐る呼びかければ、その牢の中から弱弱しい声が返ってきた。


「もしや、ゆらさまですか?」


 ばっと檻に取り付いたゆらは、灯りの届かない座敷牢の中に目を凝らした。


「おしずさん?」


 ふっと目の前に人が現れた。


「ゆらさま……」


 涙声で木の檻に手を掛けたその人は(おも)やつれしてはいたが、確かに柳生道場のおしずだった。


「おしずさん、やっぱりここにいたんだ。良かった!」


「ゆらさま、どうしてここへ……」


「どうしてって、おしずさんやかあさまを助けるためだよ。ねえ、おしずさん、わたしのかあさまは……」


「ゆらさまの母上さま?」


「ともかく、ここを開けましょう」


 宗明が見張りの一人の懐から取り出した鍵で牢の錠前を開けた。


 ばっと扉を開ければ、おしずが倒れ込むようにして出てきた。そして江戸市中で行方知れずになっていた娘たちが次々とそれに続いた。


 全部で十二名。


 母を除けばこれで全員だ。 


 皆一様に疲れ切った表情で、ふらふらと足元が覚束ず床に座り込んでしまった。


「しっかりして。ここから逃げなきゃ」


「みな、ろくに食べていないのです、ゆらさま。ここでの扱いはそれはもう酷いもので……」


「信じられない」


 言葉を失うゆらの傍に膝をついた宗明がおしずに問うた。


「志乃の方さまはどちらにおられる?」


 するとおしずは娘たちと顔を見合わせたかと思うと申し訳なさそうに目を伏せた。


「お母上さまはここにおいでではありませんわ。この座敷牢に入れられたのは、そちらのおさえさんが最後でしたの。ゆらさま、お母上さまが?」


 言葉なく頷いたゆらの手をおしずが取った。


「志乃さまはゆらさまの母君ですもの。きっとご無事でいらっしゃいますわ。ね」


 ゆらは涙が零れそうになるのを懸命にこらえた。今は泣いている時ではない。


「急ごう」


 宗明が短く声をかけたところで、部屋の空気がすっと冷たくなった。


 ただでさえ乏しい蝋燭の灯が、さらにか細く弱弱しくなった。


「ひっ」


 娘の一人が声を上げた。


 見れば、娘たちは怯えたように身を寄せ合い一つに固まっていた。


「来たわ」

「クモさまよ」


 クモさま?


 宗明が太刀を握る手に力を込めたとき、牢の中から何かがすごい勢いで出てきた。


 ゆらを背にかばい刀を向けると、ソレはその上を飛び越えていった。


 ソレはひとつではなかった。


 数え切れないくらいの黒い物体。


 ソレは宙を飛び、娘たちの前に次々と降り立った。積み重なるようにしてカサカサと数を増していくクモを目の前にして、娘たちがばたばたと気を失っていった。


「なんだ、これは……」


 あまりの光景に宗明が掠れた声を出すと、「これが、わたしたちをここに攫ってきたのです」とおしずが震える声で言った。


「まさか……」


 宗明が動揺している。


 いつも冷静な彼が、これ以上はないというくらいのありえない光景を目の前にして狼狽(うろた)えていた。


 冷たい汗が背を伝った。


「んぎゃっ」


 その時間抜けな声が上がった。


 見れば、ゆらの周りを真っ黒いクモたちが取り囲んでいる。


「ゆらさま!」


 狼狽えている場合ではなかった


 刀を構え腰を浮かした彼の目の前で、ゆらが脱兎の勢いで逃げ出したのはその時だった。


 クモたちもそれに誘われるようにカサカサと移動を始めた。


 娘たちの周りから次第にクモの数が減っていき、代わりにゆらを追うクモの数が増えていった。


「おしずさん、逃げられるか?」


「はい。わたしも武家の娘です。皆を無事に連れて行きます」


「頼む」


 太刀を手に駆け出した宗明。


 彼の足もとにはまだわらわらとクモが動いていたが構っている暇はなかった。


 それらを蹴散らすようにして宗明は座敷牢から飛び出した。


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