(3)用心棒②
外からは雨音が途絶えることなく聞こえていた。
夜の闇が濃くなるにつれ、いよいよ雨脚が増してきたようだ。
遠くの方で雷の音もしている。
ここにきてようやく、梅雨明け間近の大雨になるのかも知れなかった。
ゆらは突っ伏していた体を起こし畳に正座したものの、まだ布をかぶったままの姿で鈴という猫と対峙していた。
軒を打つ雨音も雷の音も布を通せばおぼろげに聞こえるだけだ。
外の音は気にならないが、しかし目の前にいる猫はどうしたって目につく。
てちてちと前足をなめている猫。
茶に黒い縦じまのあるキジトラだった。
もふもふふわふわ。毛繕いしたからか、さらに毛艶も良くなっている。
(可愛いのに……)
人の言葉さえ口にしなければ、すぐにでも抱き上げてスリスリギュウギュウしたいところだ。
けれど相手は妖の類と思われる。
猫でアヤカシと言えば……。
「猫又だ」
「ちゃう」
「猫又でしょ?」
「ちゃうっちゅうねん」
「だってお話しできるし」
「話しできたら猫又かい」
「だって猫又じゃん」
「しつこい」
鈴と名乗った猫はてちてち舐めるのをやめ、ぎろっとゆらを睨んだ。
「ほんまボケてるなあ。先が思いやられるわ」
「だって、お話しできる猫なんて」
「ええか、よう聞け」
鈴は小さな胸をうんと張った。まさにふんぞり返っている。
ほっぺたがぷっくりと膨らんで、笑っているようにも見えた。
「うちはなあ。偉い坊さんから仏さんの法力を授かった、有難
くも可愛らしい猫さんやで!」
ゆらは思わず「うへへへえ」と平伏してしまった。
ゆらのそんな反応に、鈴もまんざらでもないのか、うんうんと満足そうに頷いている。
「鈴ちゃんて凄いのねえ」
顔を上げたゆらは、心底感心してそう言った。
「あんた、騙されやすそうやな……」
「え、わたし、騙されてるの?」
「いや。騙してへんけど」
「だったら、鈴さんはお寺の猫さんなのね?」
「ちゃう」
「でも、お坊さんに飼われてたんでしょう」
「ちゃう。飼われてへん。力授かっただけや」
「ん~?」
どうやら猫に理解できることが、ゆらにはできないらしい。
考え込んだゆらに、鈴は「もうええわ!」と言い放つと、ちょいちょいと招き猫
のように手招きした。
「なんですかあ?」
なんとなく人と猫の立場が逆転しているように思えるが、当のゆらが気にしていないのだから、まあいいだろう。
にじり寄ったゆらの耳に鈴は口を寄せた。
ぴくぴく動く髭がくすぐったい。
くすくす笑うゆらに、「真面目に聞け」と怒鳴ると、声を潜め「これからうちの言うこと、仔細漏らさず覚えるんやで」と言った。
「今夜から、うちはあんたと一緒に行動する。かと言って、四六時中傍にいるわけやないけどな。あんたが城の外に出たいなあ思たら、この鈴を振るんや。そしたら、うちが迎えに出てきたる」
鈴はどこから出したのか、小さな“鈴”をゆらの手の平にコロンと落した。
チリンと儚げな音がした。
「それから、これ。これは、あんたの身代わりになってくれる紙人形や。これにな、あんたの息をちょっと吹きかけてみ。そしたら、もう一人のあんたが部屋で留守番しといてくれる。どや。便利やろ」
鈴は人の形に切られた紙人形を数枚ゆらに渡した。
「これが身代わり……」
「息吹きかけんかったら、ただの紙やで。忘れたらあかんで」
「うん。分かった……って、鈴ちゃん。どうして、こんなものをわたしに?」
「うちの旦さんからの預かりもんや。心して受け取り」
「うちの、旦さん?鈴ちゃんの旦那さん?」
「まあ、旦那さん言うたら旦那さんやけど」
旦さんの話になった途端、鈴の歯切れが悪くなった。
「うちはそらもう、いつ嫁に行ってもええ思うくらい旦さんが好きやけど」
もじもじと身をくねらす様は、どう見たって恋する乙女のそれだった。
ゆらはふむふむと頷きながら、そんな鈴の次の言葉を待っている。
「いかんせん旦さんは人間やし、なかなか思うとおりにいかんのや」
「ふうん、大変なんだね」
「旦さんかて、鈴が一番や言うてくれてるし、お互いその気になればいつでも大丈夫なはずなんや。けどな。うちは猫で、旦さんは人間。恋の神さまもほんま罪作りやで」
「わあん。鈴ちゃんかわいそう!」
もし宗明がこの場を目にしたなら。
こめかみを押さえながら、何も言わずにそっと踵を返したことだろう。
「その鈴ちゃんの大切な旦さんは、どうしてわたしのことを知っているの?」
ここで初めてまともなことを尋ねたゆらに、鈴はふんと鼻を鳴らすと、
「それはうちからは言われへん。おいおい旦さんが教えてくれるやろ」
「じゃあ、わたしも旦さんに会えるの?」
「そら会える。そのために旦さんはわざわざ東下りしはったんやから」
「……旦さんて、何者?」
仏の法力を授かった猫の主人である旦さん。
紙人形を形代に使う旦さん。
会ったこともないゆらのことを知っている旦さん。
思えば思うほど不思議な人に思えてくる。
すると鈴がにやりと笑った。ような気がした。
「うちの旦さんはなあ、当代一の陰陽師や。帝の覚えもめでたい、すんごいお方やで」
そう言って、誇らしげに胸を張った鈴。
もふもふの腹毛が柔らかそうにふんわり広がった。




