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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
第二章 暗躍するものたち
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(2)捜索 ④

 新之助の住んでいるのは、大店おおだなの店主が家主で、そのおたなの裏に軒を連ねるようにして建てられている長屋だった。


 一歩木戸を入ると、子供たちが梅雨の憂さを晴らすように走り回り、井戸端ではおかみさんたちが夕餉に使う野菜を洗いながら井戸端会議をしていた。


「こんにちは」


 そんなおかみさんたちに挨拶して通りすぎる新之助に倣って、ゆらも軽く会釈すると、途端に「んまあ!」という感嘆の声が上がった。


 びくっとして立ち止まるゆらを促す新之助の周りに、たちまちおかみさんたちの人垣ができた。


「風間さま。こちらの可愛らしいお嬢さん、どなた?」


 随分気安い。


 武家とはいえ、一介の浪人である新之助に遠慮するところなどないのだろう。


 加えて年よりも幼く見えるゆらを連れていたからか、おかみさんたちは好奇心剥き出しの、遠慮なんか知りません状態で、口々に二人を冷やかした。


 これにはさすがの新之助も参ったようで、「先を急ぐので」と一言呟くように言って、ゆらの手首を掴むと足早におかみさんたちの群れから飛び出した。


「ああん、風間さまのいけず~」


 妙に色っぽい声が二人を追ってくる。


 ゆらは若干顔を赤らめながら新之助に引っ張られるようにして足を動かしていた。


 最後に。


「あとで、そのお嬢さんのこと教えてくださいよ~」


 逃げるように二人は新之助の部屋に滑り込み、音を立てて障子戸を閉めたのだった。




 

 深い溜め息をつきながら、新之助はゆらに上り框に座るよう促した。


「おかみさん連中に捕まったら話どころではなくなるから」


「う、うん。そんな感じだったね」


 軽く笑って、新之助は「番茶くらいしかないんだ」と言いながら鉄瓶を手にした。


「ありがとう」


 障子戸を入れば、すぐそこは一畳ほどの土間で、釜戸や簡単な流しのある台所になっている。


 湯飲みを受け取り、つい物珍しく思って目をやれば、洗って伏せてある茶わんや小皿の他には、あまり料理のための道具はないようだった。


 新之助は先ほど閉めてしまった障子戸を心持ち開け、その前に立った。それから、ゆらの視線に気付いて苦笑する。


「何もないでしょ」


「え、あ、うん……」


「男の一人暮らしって言ったら、こんなもんだよ」


 どことなく寂しげな表情になった新之助に、ゆらは驚いた。


「風間さん?」


「ゆらさんのような人には想像も出来ないだろうけどね。……ああ、別に皮肉を言ったわけではないんだよ」


 慌てて取り繕うように言った新之助。


 そんな彼に曖昧な笑みを返して、「実際、わたしには想像できないから」と自分の暮らしを顧みるゆら。

 

 城の台所に冷やかしに入ることはあっても、炊事の仕方も掃除の仕方すら分からないゆらだ。


 この長屋で一人で暮らす新之助の暮らしぶりなど想像も出来なかった。


「まあ、俺のことは脇にやっておくとして。おしずさんのことだ」


 その場の空気を変えるように、新之助は普段よりも少し低い声を出した。


「あ……うん」


「さっきの話、もう少し詳しく聞かせてよ」


 そうして、ゆらは道場で感じた違和感について説明した……。





 聞き終えた新之助は。


 考え込むように顎に手を当てていた。


 そんな彼の様子を窺いながら、すっかり冷えてしまった番茶を啜ると、話し疲れて渇いた喉に心地良かった。


「いわゆる、あやかし・物の怪と言われるものだろうか」


 自問するように言った新之助の顔を見ると、まだ視線を伏せたまま己の考えの中に沈んでいる様子だった。


「やっぱり信じられないよね?」


 恐る恐る声をかけたゆらの声に顔を上げると首を横に振った。


「信じられない訳ではないんだ。ただ、もし本当に物の怪に攫われたんだとしたら、おしずさんを見付けるのは難しいだろうなって思うんだ」


「それは……そうだよね……。風間さんは、妖だと思う?」


 すると新之助は小さく微笑んだ。


「妖・物の怪・幽霊、そう言われるものの類は結構人の身近にいるものだよ。現に、俺の友達には河童がいるしね」


「へ?河童……」


「そう、河童」


 いや、この美形の口から河童って……。


 今度はゆらが呆気に取られる番だった。


 どういう経緯で河童と出会い、友達になったのか。


 すごく聞きたくて、うずうずしてしまう。


 当の新之助は、その河童のことを思い出してでもいるのか、懐かしそうな眼差しをあらぬほうに向けている。


「す、すごいね。わたしも友達になりたいなあ」


 多少の戸惑いはあるものの、それは正直な気持ちだった。


 だって、河童だよ!?


 そんなゆらに、新之助はくすくす笑った。


「いつか、ゆらさんにも紹介出来るといいけれど」


 そう言いながら、新之助は自分の中に生まれた感傷を吐き出すように大きく息をついた。


「それよりも今はおしずさんだよ」


 こくりと頷いたゆらは居住まいを正した。


「とりあえず、まずは道場に行って調べてみるしかないかな」


「お師匠さまや師範代にも話してみようか?」


 黙ってしまった新之助の様子を窺うように言ったゆらに、新之助は首を横に振った。


「いや。闇雲に話して、却って不安にさせてしまったら申し訳ない。俺たちである程度裏を取ってからでないと……。特に柳生どのは、今の段階で確かでない情報を聞くのはお辛いだろう」


「そ、そっか……」


 新之助は前へ突っ走ることばかりの自分と違う。


 短慮だと宗明にもよく言われるが、まったくその通りだと、このような時には自覚する。けれどだからと言って、その性分がすぐに改善されるはずもなく、ゆらは自分の浅はかさをただ恥じるばかりだった。


 どうしても、口から出る言葉に、頭の考えるのが追いつかない。


 それは頭が足りないからというよりも、単に世間ずれしていないから、人生の経験値が少ないから、ということが要因のほとんどであろうが、ゆら本人としても人知れず思い悩んでいることではあった。


 こうして市井に交わり、いろいろなことを経験して行くうちに、少しずつでも物事のもっと奥、人の意図している表に出てこない領域というものにまで思いを致すことができるようになるなら、それはもう十分過ぎるというものだ。


 が、そこまで高望みしてしまうと自分自身がしんどくなりそうだと思う。


 多分に性分によるところもあるのだから、短慮は短慮なりに、言いかけた言葉をもう一度咀嚼してみるとか、相手の気持ちを慮った言動を心掛けるとか、そう言ったことを気を付けていた方が、ゆらには合っているように思われた。


 ゆらがうじうじそんなことを思っている間にも、目の前に立つ新之助はいろいろと策を巡らせていたようだ。


 障子戸にもたせかけていた体をつと動かし、長い指をこめかみに当てた。


「そのゆらさんの感じた違和感ていうのは、柳生の人たちは感じていなかったわけだよね」


「うん、多分……。おしずさんもちらっともそちらを見ることはなかったし。でも、もし気付いていて、隠したい事であったというなら分からないけど」


「隠したい事?」


「うん。家の中で物の怪の気配がするだなんて、普通あまり人に知られたくないことだと思うんだ」


「なるほどね。でも、あの人達のゆらさんとの関わり方を見ていると、気付いていたとしたら、少しでもゆらさんを遠ざけよう、屋敷に立ち入れさせないようにしようとすると思う。黙っていて、もしゆらさんに危害が及ぶようなことになったらって、まず考えると思うんだ」


「……」


「それだけ、柳生の人たちはゆらさんを大切に扱っていたように、俺には見受けられたけどね」


「……うん。きっと、そうだと思う」


 ゆらの立場・身分を思えば、柳生家の面々が、そのような奇異を放っておくはずはない。


 それは、ゆら自身にも分かることだ。


「その違和感に気付いていたのは、ゆらさんだけだろう」


 新之助はそう断言した。


「じゃあ、どうするの?」


「明日、道場に行って見るよ。無断欠勤のことも詫びねばならないし……」


「そうだね。分かった。じゃあ、明日は道場で会いましょう」


 すると新之助はにっこりと微笑んだ。


 まるで邪気のない笑顔に、なぜかゆらの心臓が一跳ねした。


 ばくばくとうるさいくらいに騒ぐ心の臓に首を傾げながら、ゆらは新之助の笑みの意味を図り兼ねている。


「ゆらさんは来ない方がいい」


「ど、ど、どうして?」


「俺、あのお付きのお侍に斬られたくないからさ」


 にこやかな笑顔で物騒なことを言った新之助に、ゆらはなんとも言えない表情で答えた。


 その気持ちは良く分かる。


 かの御仁のいざという時(それは多分にゆら絡み)の短気は、ゆらも身を持って知っているからだ。


 新之助にとっても、先日の初対面での手合わせという印象深い出来事があるだけに、なるべくならあの侍とは対峙したくなかった。


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