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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
出会い編  ※  第一章 将軍の姫 
17/45

(4)幽霊騒動 ②

 遠くで大奥を廻る「火の用心」の声が聞こえてくる。


 ゆらはしとねの上で掛物を引きかぶり、膝を抱えて座っていた。


 朝、樫の木の下で宗明に訴えた、部屋に出る幽霊。


 昨晩突然に枕元に現れ、ゆらはその夜を一睡も出来ずに過ごしていた。


 もし今夜も出たなら、二日続けての寝不足。いくら体力に自信のあるゆらでも、さすがに応えそうだった。


 昔から大奥には物の怪の噂が絶えないけれど、まさか自分の前に出てくるとは思ってもみず、怖がりなゆらはもう泣きそうだ。


 いくら宗明が障子の向こうの縁で宿直とのいをしていると言っても、御簾を隔ててあやめの他二人の腰元が不寝番ねずばんをしていると言っても、簾中にあるのはゆらだけだ。


(はあ。怖い……)


 何度目かもう分からない溜め息を吐いて、脇に置いた懐剣を引き寄せた。


 お守り刀でもある懐剣は、水戸にいた時におじいさまに頂いたものだった。鞘には飾り気がないものの、色鮮やかな組紐が幾重にも巻かれている。


「肌身離さず持っているように」


 そう言って渡された懐剣だった。


(三郎太もいるし、大丈夫だよね)


 掛物の下から目だけを覗かせて、ゆらは部屋を見渡した。


 深夜。用心も兼ねて火は極力使わないようにしている。頼りは月明かりだけだ。

 満月に近い月は、明るく室内を照らしていた。


 「火の用心」の声も聞こえなくなった頃。


 室内の温度が急に下がったような気がして、ゆらはぶるっと身震いした。


(来た?)


 そっと首を回して見れば、枕元に昨夜と同じ黒い影。

 こちらを窺うように、そこに浮かんでいた。


「あ……三郎太」


 声を上げたが、掠れて思うように声が出せない。


 座ったまま後退り背中が御簾に当たると、それをからげて腰元を呼ぼうとした。


「三郎太を呼んで!」


 だが、起きて番をしている筈の三人は、その場に横たわり眠っていた。


「何でよ!」


 振り返ると、枕元にいた影が褥の上にいた。


(近付いてる?)


 懐剣を抜き胸の前に構えると、ゆらはありったけの力を振り絞って悲鳴を上げた。


「きゃああああ!」


 障子が音を立てて開けられた。


「ゆらさま!」


 頼もしい男の声。


 影がすっとゆらの目の前に飛んで来た。


「……」

「え?」


 何か喋った……。

 目を見張った時。


 ザンッ!

 白刃の描く残像と共に、影がゆっくり真二つに割れた。


 宗明が御簾ごと切り払ったのだ。


「ギッ」

 影は小さく叫ぶと霧散した。


 本当に跡形もなく消えてしまった。


 月明かりが照らす室内は何もなかったように静かだった。


 ガタガタと小刻みに震えるゆらの前に宗明が膝をついた。


「大丈夫か?」


 色白のゆらの顔がいつもよりも青白く見えるのは、月光のせいばかりではないだろう。


 宗明は震えるゆらに伸ばし掛けて引っ込めた手を、彼女が固く握っている懐剣に移して、それを取り上げると鞘に納めた。


「もう、大丈夫だ」


 努めて優しい声音で言えば、こくりと頷く。


 その仕草に自然に笑みが零れたが、次に告げられた言葉に宗明は目を細めた。


「さっきのヤツ、“見つけた”って言ったの……」

「見つけた?何を?」


 いや、そもそも幽霊が喋るだろうか。


「わたしを見ながら“見つけた”って」

「ゆらさまを?」


 どういう意味だ?

 眉を潜めた宗明の前で、ゆらは震えていた。 


「とにかく、今夜はお休みください。私はあちらに控えております」


 そう促した宗明の袂を、ゆらは掴んだ。


「ゆらさま?」

「怖いよ。寝られない!」


 大きな目に涙が浮かんでいる。


 その潤んだ瞳に見つめられ、宗明は思わず、本当に思わず、ゆらの体に腕を回していた。


「大丈夫。私が側にいます。あなたの事は必ず守るから」


 己の胸の中で、小さな体が震えている。


 そう思うと、宗明はまた抱く腕に力を込めた。


 そして、宥めるように背中を擦ってやると、次第に落ち着いて行くのが分かった。


 怖がりで、頼りない、愛しい少女。


「当分、私が宿直とのい致しましょう。ですから、ゆらさまは安心してお休みを……」


 形の良い耳に囁くと、ゆらの力がふっと抜けた。宗明の胸に凭れ掛かる重さが変わった。


 緊張の糸が解け、眠りに落ちたようだ。

 宗明はほっと息を吐いて、ゆらの体を褥に横たえた。


 乱れた髪を整えてやる。


 艶やかな黒髪。

 長い睫毛が、閉じた瞼を縁取る。

 そして紅を差したような唇は少し開いていた。

 眠っている時は起きている時とはまた別の魅力。


 そこには年相応の妖艶さも垣間見え、宗明はその場から動けない。


(無防備だな……)


 その時月が雲に隠れたのか、室内が真っ暗になった。


 宗明はそれに誘われるように眠る姫に顔を寄せた。


「清水さま?」


 己の唇が触れる寸前、破れた御簾の向こうから声が掛けられた。


 ゆっくりと顔を上げれば、目覚めたばかりのあやめが手燭の明かりをこちらに向け立っていた。


「姫さまは……?」

「大事ない。お休みになった」


 ほっとするあやめは、しかし微妙な表情。


 その表情を見れば、自分の行動を見られたのだと分かる。


 宗明はさっと立ち上がると、口元を手の甲で押さえながら「私は外にいるから」と足早に縁に出た。


 顔が熱い。日の下で見れば恐らく真っ赤になっているだろうが、幸い今は深夜。誰も彼の顔の色など気付かないだろう。


(だが、不覚だった)


 姫に近侍するあやめに見られたとは。


 最近自分の気持ちを抑えられない事があることは、己が一番よく分かっていた。


(身を弁えねば……)


 自分は臣下なのだと。

 本当なら姫の側にいることも許されない身なのだと。


 今の状況こそ、己の最上の幸せなのだと。


 そう自分に言い聞かせ、宗明は再び夜の闇に潜む気配に意識を向けた。





(口付けをしようとされていたのだわ……)


 あやめはゆらの褥の傍らに控えながら、先程の事を考えていた。


 胸が痛い。

 宗明の想いと、彼の立場を知ればこその痛みだった。


 先の見えない想いに、宗明は恐らく長い間耐えてきた。

 そしてこれからも耐えて行かねばならない。


(なんとも、不憫な事)


 もし此の世が身分など関係なく、好いた者同士想いを遂げることの出来る世であったなら。


(そんな事、考えても仕方ないわね)


 あやめは自嘲の笑みを浮かべた。


 考えても、身分は冷然と人々の前に存在し、将軍の姫が旗本に嫁ぐなどありえない。

 帝の後宮に入ってもおかしくない姫君なのだから。


(わたくしが言わなくても、清水さまが一番よくお分かりだわ)


 だからこそ彼は己を律し続ける。


 けれど、そのタガが外れかかっているのだとしたら?


 それが限界に来る前に、宗明は自分からゆらの側を去るだろう。


 姫を傷付けない為に。


 あやめはそう思い深い溜め息を吐いた。





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