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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
出会い編  ※  第一章 将軍の姫 
14/45

(2)ゆら姫 十七歳 ⑥

 若い娘が全力で走る姿に、道行く人がぎょっとした様子で立ち止まっている。けれど、ゆらはそんな人々の反応など我関せずで、包みだけは落とさないようにと気を遣いながら足を動かし続けた。

 

 そして商家の角を曲がったところで、新之助の後ろ姿を見付けたのだった。


 彼は一膳飯屋の前で所在無げに立ち尽くしていた。


「風間さん!!」


 ゆらはそんな新之助の姿を認めると、往来に響く声で名を呼びながら、彼の背中に体当たりした。


「うわっ」


 新之助は前に倒れ込みそうになったが、持ち前の身体能力で何とか踏み止まった。


「何だ!?」

 振り返れば、額を擦るゆらがいた。新之助の筋肉質な背中に勢いよく額をぶつけたらしい。


「どうしたの!?」

 何故この子がここにいるのか。


「おしずさんが、これを風間さんにって」

「え?」


 受け取った包みは温かかった。


「ああ。帰りに煮物をって言われていたの、忘れてた。わざわざ有難う」

「へへへ。間に合って良かったです」


 まだ涼しい季節とは言っても、全力で走れば汗も掻く。ゆらは袖口でぐいっと額を拭った。


「もしかして、一人?」


 先程の侍がいないと見渡せば、ゆらは満面の笑顔で頷いた。


「急がないと風間さん見失っちゃうでしょ。置いて来ちゃった」

「そ、そうなんだ」


 ただでさえあの侍には快く思われていないのにと思ったが、頻繁に顔を合わせるのでもないのだから、別にどうと言うことはない。万が一、また手合せすることになるなら、いつでも受けるつもりだった。


「風間さんのおうちって、こっちの方なんですか?」

「ん?ああ、すぐそこの長屋だよ」

「へえ」

 

 言って、往来の先を見るゆらに、

「案内は出来ないな。悪いけど」

と、申し訳なさそうに返した。


「え?わたしは別に案内なんて……」


 ごまかしてはいるけれど、新之助の住む長屋に行きたいと思っているのがありありと分かり、とても残念そうな表情になっている。しかし新之助はそれが分かっていながら、「じゃあ、本当にありがとう。またね」と言って、あっさり帰ろうとした。


「ちょ~っと待ってください」


 そんな新之助の袖を掴み新之助の前に回り込んだゆらは、大きな丸い目をきらきら輝かせていた。


「な、なに?」

「お団子食べてください。風間さん」

「お団子?」


 きょとんとする新之助に、ゆらは懐に隠し持っていた団子の包みを差し出した。てへっと笑ったゆらに、新之助は愛想笑いを浮かべ、胸元に押し付けられた団子を受け取るしかなかった。


「あ、ありがとう」

 新之助の表情が引きつっているのに、ゆらは気付いているのかいないのか。


「風間さんはお団子好きですか?」

「ああ、まあ、好き……だよ」

「良かった!わたしもだ~い好きなんです」

「そ、そう……。だよね。女の子は甘味が好き……。じゃあ……お礼に道場まで送るよ」

 

 彼女は何故こんなに懐っこいのか。戸惑いつつも先に立って歩き出した。


「大丈夫」

「え?」

「一人で帰れます」

 

 新之助が振り返れば、彼を制するように、ゆらは片方の掌を開いて前に突き出していた。


「いや。そういう訳にもいかないでしょ?女の子を一人で帰す訳にはいかないよ」

「いえ。本当に大丈夫なんで」

 

 ぐいぐい来るかと思えば、この引き際は何なんだ?


「それじゃ、風間さん、また明日」

「あ、ちょっと待っ……」


 止める間もなく、持ち前の俊足を生かして走り去る、ゆら。

 角を曲がった先で、何かを倒したような大きな音がしたけれど。彼女の謝る声がしばらくしていたけれど。

 静かになった往来に残された新之助は、ふっと小さな笑みを浮かべた。


「元気な子……」


 そうして、まだ温かい包みを抱えなおした。

 その上には、ゆらに貰った団子の包み。


「団子が先か。煮物が先か」


 (今夜の夕餉は随分贅沢だな)と思いながら、踵を返した新之助だった。





 その頃宗明は柳生の部屋にいた。

 じっと押し黙る宗明に、柳生は煙管を咥えたまま庭を眺めている。


 浪人者との手合せが終わった後、庭で立ち尽くしていた宗明に部屋へ来るように促した柳生だったが、特に慰める言葉を掛けるつもりはないようだ。

 沈黙のまま時間だけが過ぎていった。


 しばらくして、柳生が煙管きせるをひっくり返して、煙草盆たばこぼんにトンと軽く打ち付けた。


 その音を合図にしたように、宗明が勢いよく畳に手をついた。


「お師匠さま。私を鍛え直してください」

 そんな宗明を柳生は目を細めて見返した。


「免許皆伝も受けた、そなただ。今更良かろう」


「いいえ。あのような浪人者に負けるなど、いざとなった時にゆらさまをお守りできるとは思えません。どうか、今一度稽古を!」


(まったく真面目な男だ……)


 苦笑を浮かべる柳生に気付かず平伏し続ける宗明に、ややして柳生が言った。


「風間との勝負は五分五分であった。どちらが勝っても負けても文句は言えぬ。それを分かっていながら、そう申すなら、宗明よ。通うてくるがいい」

「お許し頂けますか」

「昼間は稽古があるし、そなたも務めがあろう。日が暮れてからでも良ければ、来るがいい」

「はい。有難うございます」


 余程新之助に負けたことが応えたのか。この日を境に、ゆらのお付きとは別に、足繁く道場に通う宗明の姿が見られるようになった。





 道場に戻ったゆらは、どれだけ落ち込んでいるかと内心びくびくしていた宗明が、変わらず穏やかでほっと胸を撫で下ろした。

 それに、一人で新之助に煮物を届けたこともばれてはいないようで、そのことにも安心した。


「帰ろっか。宗明」

「そうですね」


 それ以降、家路を急ぐ二人の間に会話はなかった。


 吹き過ぎる風は湿気を帯び、今しも雨が降り出しそうだった。

 まだまだ夜になれば寒い季節。それなのに、この夜は生温かく、ねっとりと纏わりつくような空気で、ゆらはしきりに空を見上げては顔を曇らせた。

 

 宗明はそんなゆらの数歩あとを離れて歩きながら、抱きしめたい衝動に駆られる己を律し続けていた。


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