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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
出会い編  ※  第一章 将軍の姫 
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(2)ゆら姫 十七歳 ⑤

 子供たちの稽古はそろそろ終わる時間だったが、まだまだ彼らは元気だ。

 ゆらが道場に戻ったのをいち早く見つけた体格のいい少年が駆け寄ってきた。


「ゆら。遅いぞ。俺との勝負、逃げたのか?」


 これは藤吉と言って、道場近くの長屋に住む町人の子供。近所の子供たちのガキ大将だった。


「逃げてなんかないよ!気合を入れるために顔洗ってたんだ。勝負よ、藤吉」

 

 (おいおい)と呆気にとられる宗明の手を離し、ゆらは勇んで竹刀を手にした。

 藤吉はまだ10歳くらい。ゆらにとっては、勝っては負けを繰り返す好敵手。精神年齢も、二人ほぼ同じくらいと思われた。


「ゆらさま、手合せの前に紹介しておきましょう。新しく指南役として来てもらっている、風間新之助どのです」

 

 宗明は、藤吉とゆらが竹刀を合わせようとしているのが気になりながら、師範代の視線の先で会釈する若い侍を見た。

 月代も伸び、総髪になってしまった頭。顔は朗らかに笑っているが、目には鋭い光が宿っていた。


(浪人者……と言ってしまうには隙がなさすぎる。若いが、かなりの手練れだ……)


 会釈を返しながら、一瞬で新採用の指南役を観察し終えると、宗明はゆらの持つ竹刀を取り上げた。


「いい加減になさいませ。帰りますよ」

「何で?」

「何でって、稽古の時間は終わりでしょう。長居をすれば迷惑です」

「やだ。さっき竹刀振ってもいいって言ったじゃない」

「それは、帰ってからでも出来るでしょう?」

「……むう……」


 こうなったら宗明は一歩も譲らない事を知っているゆらは、(師範代もいいって言ってるのに)と思いながらも、言い返せなくなってしまった。


「別にいいんじゃないですか」


 そこに突然割り込んで来たのは、風間新之助だった。彼は帰り支度を始めながら、こちらを見ることなく話していた。その態度に宗明は苛立った。第一印象から何となく気に食わなかったが、この風間という男と深く関われば、ろくなことにならないと本能が訴えかけている。


「そちらには関係ないことだ。下がっていてもらおう」

「約束は守った方がいいと思いますけどね」

「何だと?」


「そちらのお嬢さんに竹刀振ってもいいって言ったんだったら、ちょっとは振らせてあげたらどうですかって言ってんですよ」

 

 侍同士、初対面で喧嘩腰になるなど、通常ではあり得ない。

 どうやら新之助も宗明を気に入らないらしい。


 さすがのゆらも、この事態は自分のせいなのだと思うのか、おろおろと宗明と新之助の顔を見比べている。


 そこに助け舟を出したのは、事の成り行きを静かに見守っていた師範代だった。


「ここは道場だ。互いに剣で決着を付けたらいかがかな?」

「「え?」」


 その場にいた誰もが、師範代の提案に疑問を示した。


「侍の問題は刀で解決するのが当たり前だ。それとも、二人とも自信がないか?」

「 「 あります!」 」


 ここまで言われて引き下がれないのが、武士の辛い所だ。

 二人は飄々としていながら、互いを意識しているのがありありと分かる様子で、道場の竹刀を手にした。


(なんで、こんなことになっちゃったの?)


 原因となったのに、ゆらはこの流れに付いていけない。けれど道場にいる他の人は楽しんでいるらしく、道場主である柳生は一番良い位置で観戦しようともう座っているし、おしずも子供たちに応援の掛け声を教えていた。


(そもそも風間さん、関係ないじゃん。ああ、いや、関係ないのに、わたしの事を庇おうとしてくれたんだけどさ。それに宗明だって、何熱くなっちゃってるの?だって、あの宗明だよ?いっつも冷静で、絶対道を踏み外さない、あの宗明だよ!)

 

 頭を抱えそうになるゆらを余所に、師範代が始まりの合図をした。

 それと同時に竹刀のぶつかる音が道場の中に響く。


「ほう。初めて立ち会う流派だ」


 この時代、全国には様々な流派が溢れていた。最近流行の北辰一刀流などとは違う、少し粗削りだが神道無念流の流れをくむ剣術のようだった。

 

 二人の背丈はほぼ同じくらい。だが体格はやや宗明の方ががっしりしているか。その分新之助は動きの素早さという点で、宗明よりも勝っているようだった。一旦竹刀を離すと、互いの間合いで踏み込む隙を窺っている。

 

 道場の空気がピンと張りつめた。終始和やかな雰囲気のこの道場では、ついぞない緊張感だった。最初は大きな声を出していた子供たちもいつしか無言になり、二人の息遣い以外の音が道場から消えた。

 

 新之助が竹刀を下げる構えを取った。宗明の眉がピクリと動く。


 終わりはまさに一瞬だった。緊張から息苦しくなって、ゆらが大きく深呼吸した時。宗明が相手の頭を狙って繰り出した竹刀を、新之助が柔らかな所作で弾き飛ばし、そのまま宗明の首元に竹刀の先を突きつけたのだ。

 

 一瞬の間を置いて、師範代の静かな声が掛けられた。


「それまで」


 その声と同時に、宗明は深々と礼をすると無言のまま道場を出て行った。


「あ、三郎太」

「ゆらさま。今はだめよ」


 おしずに肩を掴まれ、ゆらははっとして足を止めた。侍なら負けた姿など見せたくはないだろうという事に思い当たる。ゆらは唇を引き結んで、おしずに頷いた。


 勝負が終わると子供たちも飽きたのか、それぞれ家路に就き始めた。


「ゆら、今度は俺と勝負しろよ」

「うん。またね」


 藤吉に手を振って、さてどうしたものかと思案していると、井戸端で身を拭って来た新之助が帰り支度を整え、道場を出ようとしたところで、ゆらを見た。


「俺は余計なことをしたかも知れないけど……」

「え?」

「あなたは言いたいことを、もっと言ってもいいと思う」

「……」

 

 ゆらは新之助の言葉に瞠目した。

 自分としては、宗明には我儘過ぎるくらいに言いたいことを言っているつもりだ。

 それなのに初対面の新之助にそんなことを言われるなんて。

 ゆらの意を汲んだように、新之助が微笑んだ。


「我儘を言っているようで、本当に言いたいことは飲み込んでしまっているでしょ?あの人に凄く気を遣ってるって、見てたら分かるよ。俺が言うことではないと思うけど……言わなければ伝わらない事って、案外多いよ」


「……」


 新之助の言葉に、ゆらは何も言い返せないまま、彼が道場を出て行ってからも、そこに立ち尽くしていた。

 

 そこに、おしずが何やら包みを抱えて入って来た。


「わあ、風間さん、帰っちゃったかあ」

「おしずさん?」

「煮物、持たせてあげようと思ったのに間に合わなかったわ」 

 包みを見せながら、おしずは残念そうに溜め息を吐いた。


「だったら、わたしが持って行くよ。まだ、そんなに離れてないだろうから」

「え、でも、ゆらさま」

「平気平気。もう、この辺りなら迷わないから!」

「いえ。そういう事ではなく、清水さまに一言……」


 おしずが何か言っているが、ゆらはそれに構わず、包みを抱えて走り出した。


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