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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
出会い編  ※  第一章 将軍の姫 
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(2)ゆら姫 十七歳 ②

 黒船見物から帰り、母に桜の枝を送った日から程なくして、譜代外様の大名を招いての花見の宴が催されることになった。


 異国の船の来航や、それに伴う諸藩の反応の温度差など、お上としても頭の痛い事案が続いていて、この辺りで一度情報交換も兼ねた気分転換なんてどうですかという思惑からの企画であった。


 何か事が起こった際には大名皆将軍のもとに集い、諸藩一致団結してそれに当たろうと鼓舞する狙いもあるようだったが、果たしてそう上手く行くのか。


 300年という泰平の世にあって、将軍の求心力は幕府の重臣たちが思う以上に弱まっており、今また帝のもとに人心が戻りつつある。幕府の中でその事に気付いている者はごく僅かだった。


 そしてそんな時代の変遷など何処吹く風と、今日も我が道を行く少女が一人……。






 花見の会場として白羽の矢が立ったのは、若年ながら困窮する藩財政を立て直したという時の人、外様大名の赤松和成。その播磨国某藩の江戸上屋敷であった。その庭には桜並木があり、その眺めの素晴らしさは市中でも評判だった。


しかし藩邸に多数の藩主を招くなど、藩の機密や防犯の意味からも問題が多く赤松は丁重な断りを入れたというが、将軍のごり押しでついに首を縦に振らざるを得なくなってしまった。

 

 春の日が燦々と降り注ぐ、絶好の花見日和。

 城からは、うきうきとした様子の将軍御一行が出立した。行列には当然ゆらも加わっており、華やかな輿に乗り一路藩邸を目指した。


 播磨国某藩の江戸上屋敷は城からそう離れてはおらず、大した時間も掛からず到着したが、普段歩き回っている周辺を輿で行くことに、ゆらは少々物足りなさを感じたらしい。

 

 輿の窓を少し開け、脇を歩くあやめに声をかけた。

「ねえ。ちょっと降りてみてもいい?」

「だめです」


 今日は強気のあやめであった。諸藩の大名が居並ぶ場所で、将軍家の姫が変わり者と噂が立っては、いよいよ嫁ぎ先がなくなるかも知れない。それだけは避けねばならず、あやめは心を鬼にして、今日は一日大人しくして頂こうと心に誓っているのだ。


「えー」

 口を尖らせるゆらに、

「間もなく着きましょう。大人しゅう座っていなされ」

と、言葉強く言い返した。少々胸が痛むが、ここで折れてしまったらゆらが調子に乗るのは目に見えている。


 あやめはゆらよりも先に、輿の窓をぴしゃんと閉めてしまった。中から姫の不満そうな声が聞こえてくるが、聞こえないふりをして前だけを見て歩いて行った。


 

 播磨国某藩の上屋敷の敷地はさほど広くないものの、その昔京の職人を招いて設計させたという御殿や庭は、質素なようで随所に趣向の凝らされている立派なものだった。そこに、現在の藩主和成の倹約の意向を受けて一層の無駄が省かれ、苔むした古刹を思わせるような趣ある屋敷となっていた。


「素敵ですわねえ」


 あやめが思わず感嘆の声を上げれば、付き従う腰元たちも一斉に頷いた。

 将軍の一行から少し離れた場所で輿を降りたゆらは、目を輝かせるあやめたちをしり目にきょろきょろと落ち着かない。


「いかがなさいました?」

「いや。ちょっとね」

 聡いあやめは、それだけでゆらが何を考えているか分かったようだ。

「姫さま。抜け出す隙など窺っても無駄でございます」

「え?わたしは別に……」

「本日勝手な振る舞いをなさったら、当分外出は禁止だと清水さまが申されておりました」

「ええ?なんで~」

 

 宗明は本来の役目で今日は将軍に付き従っている。ゆらの側にはいられないため、事前にしっかり釘を刺しておこうと言うつもりだった。


「三郎太の奴~」

「口汚いことを申されますな。さあ、皆さま能舞台の方に行かれますぞ」


 将軍と御台所を始め、病床の芳乃以外の側室がぞろぞろと屋敷の奥へと向かっている。そこには兄 政光の姿もあり、久々に見る異母兄の姿に、ゆらはまたうずうずと走り出しそうになっている。めったに会えない兄に、いろいろな話を聞いて貰いたい……。斜め前に座った優しい兄の横顔は穏やかでいて、どこか憂いを帯びていた。

 

 能を見ながらの宴席という事で、ゆらの前にも贅を尽くしたご馳走が並べられた。途中父と誰かが縁談がどうのと話をし始めたが、自分には関係ないことだと、ゆらは食べることだけに集中して大満足だった。


 宴席がお開きになると、将軍の「では、赤松自慢の桜を見てみよう」と御台所を誘って庭へと下りて行った。他の者もそれを合図に思い思いの時を過ごし始めた。


「姫さま。お庭に茶席が設けられているそうにございますよ」


 あやめのその言葉に誘われるように、ゆらも庭に出たが、草履を突っかけた途端脱兎の勢いで走り始めた。狭い輿に押し込まれ、宴席の間も大人しくしていた鬱憤がここに来て爆発してしまったのか。


「あ。姫さま、こらっ!」


 あやめの慌てた声も無視して走り去る、ゆら。

 何事かと振り返る名だたる大名たちに顔から火が出そうになりながら、あやめ以下腰元たちはゆらの後を追ったのだった。

 

 桜の刺繍の美しい打掛がどんどん遠ざかって行く。この日の為に御台所が特別にあつらえてくれた打掛であったのに、それをものともせず日々鍛えている健脚で疾走する。


 あやめたちがそれに追いつくはずはなく、後を追うあやめたちの目の前で、ゆらは脇のつつじの垣根に飛び込んだ。


「見失うてはならぬ!お大名の皆様が姫さまに気付く前に確保するのじゃ!」


 あやめの必死の叫びに、続く腰元たちは一斉に頷いた。


 彼女らはつつじの枝に引っかかっては悲鳴を上げながら、やっとの思いで垣根を越えると、そのあやめたちの目の前に若い侍が立っていた。


 垣根の中から現れたあやめたちに驚いた様子もなく、ただ一点を見つめたまま佇む侍。


 (あっ)と思って、あやめは立ち止まってしまった。その侍は紛れもなく、今回の宴の主催者である赤松だった。先程の宴席で、ゆらの給仕をしながら将軍と話す彼を見たから、まず間違いない。 そんな藩主が一人で立ち尽くしているというのにも驚いたが、何よりあやめの気がかりは、彼がゆらに気付いたかどうかだった。

 

 会釈をしながら通り過ぎるついでに彼の視線を追ってみれば、案の定彼の視線の先には、蝶のように振袖をひらひらさせながら走り去る姫の姿。彼もあれが将軍の姫であると気付いているかも知れない。あやめは誰何すいかを恐れ身を縮ませたが、彼は腰元たちに気付いた様子もなく走り去る姫の姿を追っていた。

 

 (もしや……)とどきりとしながら、赤松の脇を過ぎる。


 確かに、散り初めの桜の下を桜の刺繍を施した振袖が舞うさまは、幻想的で美しい。心奪われる殿方がいてもおかしくはない。


 当の本人に自覚は全くないようだが、傍から見て、ゆらはかなり美形な方だ。何処で、誰が、姫に懸想するかも分からないと、あやめは常日頃から思っている。

 けれど、その恋は前途多難だ。結局、ゆらも相手も実らぬ恋に苦しむだけで終わってしまうに違いない。


(それを分かっておいでだから、清水さまは……)


 己の想いを決して表に出そうとはしない。


(あの方は?)


 あやめがそっと振り返って見れば、赤松は踵を返し御殿の方に歩み去る所だった。心配する程の執着ではなかったのか。

 ほっとして、また前を見た。


「あやめさま。いかがなされました?」


 腰元の一人に問われたのに笑顔で返し、


「さあ、一刻も早く姫さまを捕獲しなければ。あの方は何処に茶席があるのかも分からぬのに、やみくもに走っておられる」


 また頭痛がしてきた。けれど今はそれに構っている暇はない。とりあえず赤松の事は頭の隅に追いやり、ゆら姫捕獲に集中することにした。


 その後すぐ赤松が振り返り、名残惜しそうに桜の姫の面影を追っていたことを知らぬままに……。



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