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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
登場人物紹介編
1/45

【一の殿方】江戸城大奥姫さまの間

 私はずっと、初めて会ったときから

 この子の傍らにいることを

 生涯の役目だと誓った

 たとえ想いが届かなくとも

 あなたの側に居続ける

 この命が果てるまで……




 清水宗明(しみずむねあき)は、今日も憂鬱だった。明るい日差しの中で、それを(いと)うかのように、表情は(けわ)しい。


 彼は今、大奥へと通じる庭を、足早に歩いているところだ。

 将軍しか入ることのできない、大奥。そこに何故彼が入ることが出来るのか。そこには、()むに()まれぬ理由があるからなのだが、その元凶ともいうべき場所へ、彼は向っている所だった。


 特別な許可でもって、彼は、彼だけが通ることを許された通用門から大奥へと入る。あまたいる大奥の奥女中たちには目もくれず、彼は歩く速度を緩めることなく奥へと進んで行った。


 宗明は以前、西の丸に住む世継ぎの若君の側に(つか)えていた。けれど今は、その若君のお声掛かりもあり、城の問題児の話し合い手兼目付け役を務めている。 男子禁制の大奥で、これは異例のことだった。

 いかにその問題児が、問題児なのかが()かろうというものだ。

 宗明がその問題児に仕えて、この年で二年が()とうとしていた。

 

 その問題児とは。

 将軍の一人娘、夕羅(ゆら)姫のこと。

 隙あらば姿をくらます姫君に、宗明はずっと振り回されてきた。 三日と空けず、行方知れずになる姫。今日もどこかに消えたらしいという知らせを受けたのは、宗明が(とこ)を上げた時分だった。


 まだ、夜が明け切らぬ時間帯。

(またか……)

 こういう知らせは何度となく受けてきたから、驚くということはない。 けれどやはり、焦燥感は否めなかった。

 

 姿だけなら、姫君然として可愛らしいのに、何故、こんなに跳ねっ返りなのだろう。 出会いからして常では考えられない状況であったのだから仕方ないと言えば、仕方ない。幼い時から、そうだったのだ。


 そこで宗明は、少し遠い目になった。

(そう。初めて出会ったのは、まだ自分が元服前で、姫さまは私を可愛らしい声でこう呼ばれたのだ)

三郎太(さぶろうた)

と。


 これは、宗明の幼名(ようみょう)だった。 兄二人は夭折したため、特に願い出て、彼が清水家の嫡男(ちゃくなん)となる許しを得た。その頃に姫と出会った。


「三郎太」

 宗明となった今も、姫は彼をそう呼ぶ。


「三郎太」

 そうそう。可愛らしい声で、そう呼ばれることは満更でもない。

 宗明が幼い頃の、まだあどけない姫の姿を思い浮かべた時だった。


「三郎太っ!」

 はっとして、周りを見回した。

 今のは、回想ではない……?


「ここよ。ここ。」

「はあああ」


 長い溜め息を一つ吐き出して、宗明は頭を抱えた。

 声の主は。

 彼の姫さまは。

 立ち木の枝に腰掛けて、みたらし団子を頬張っていた。


「…何、してらっしゃるのです?」

 そんなとこで。

 いや、愚問だった。

 彼女は登りたいから、そこに登る。団子を食べたいから、食べるのだ。


 単衣に袴という、男装束で城下に繰り出し、どこをほっつき歩いて来たんだか。

 脇差しまで差して!

 慣れたこととはいえ、泣きたくなる……。

 側仕えの腰元(こしもと)や、私の気持ちにもなっていただきたい!


 姫さまよ……。その可憐なお姿にふさわしく、御簾(みす)の中で微笑んでいてもらえたら、私の寿命はあと三十年延びるはずですよ……。


 脱力する宗明に気付いているはずなのに。

 そんな目付け役を嘲笑(あざわら)うかのように、ゆらは団子を詰め込み過ぎて枝の上で(もだ)えていた。


 なんとか団子を飲み込んだゆらは、ぴょんと飛んで、すとんと地面に降り立った。

 「あ、危ない!」と声を震わせる宗明のことなど気に掛ける様子もなく、彼にずいっと顔を近付けた。


 そしていきなり、

「三郎太。出るのよ」

(ささや)くように言ったのだ。宗明はきょとんとした。


「出るって、何がです?」

「これが」

 そう言って、夕羅は両手を前に突き出して、ぶらんとぶら下げた。


 失笑。

「あ、あきれてる!」

「柳を見れば幽霊だと言い、夕顔をみれば妖怪だと言う。そんなあなたさまが言うことは、いちいち真に受けてられませんよ」

 宗明がそう言うと、夕羅はぶぅっと顔を(ふく)らませた。


「今度は、ほんとだもん」

「はいはい」

「だって、あたし見たんだから」

「はいはい」

「三郎太。あたし、怖くて眠れない……」


 やれやれと背を向けて、姫の居室(きょしつ)に戻ろうと一歩を踏み出していた宗明(むねあき)は、思いの(ほか)弱弱しいゆらの声に、ぴたっと立ち止まった。

 振り返って見れば、ゆらは、めったにないくらいに沈んだ顔をしていた。

「姫さま?」


 こんな顔をされては無下(むげ)にも出来ず、話だけでも聞こうと宗明は体の向きを姫の方へ戻した。

 結局、宗明は夕羅に弱いのだ。


「何が出ると言うんです?」

「夜、横になってしばらくすると、天井に、ゆらゆらと黒い影みたいのが現れるのよ」

 そう言って、ゆらはぶるりと肩を震わせた。


「よいですか。姫さま」

「うん」

「怖いと思う気持ちが、魔を引き寄せるという事もあるのです。将軍家の姫と言うもの。(あやかし)を撃退するくらい、お気持ちを強く持っていらっしゃらねばなりませぬ」

「だって、怖いんだもん」


(まったく。()ねっ返りかと思えば、妙に怖がりで、気弱な所もおありだ)

 宗明は小さく息を吐くと、

「とりあえず、お部屋に戻りましょう。お許しが出れば、今夜は私が宿直(とのい)を致しますから」

「本当?三郎太、いてくれるの?」

「お許しが出れば、ですよ。さあ、あやめどのも心配されている。参りましょう」


 先程までの怖がりようはどこへやら。

 宗明が宿直(とのい)すると聞いた途端、ゆらは足取りも軽やかに小さな庭を横切ると、自室へと通じる縁へ上がっている。


「まだ、泊まるって決まった訳ではないんだけどな」

 そう言いながらも、宗明の眼は優しく細められていた。

 


 

 かけがえのない少女。

 自分が、この手で守るべき少女。

 他の誰でもなく、この清水宗明だけが。

 夕羅(ゆら)姫を守るのだ。

 

 これからも、ずっと……。





 部屋に帰り、男装束から、姫装束に着替えたゆらは、やはり将軍家の総領(そうりょう)姫らしく見えるのだ。 結い上げた(まげ)に、華やかなかんざしを挿し、桃色の打掛けを羽織って、脇息に体をもたせ掛ける姿には、腰元から感嘆の溜め息が漏れるほどの愛らしさ。


けどそれは、黙って座っているだけなら、という話。口を開けば、どこで覚えてきたのか、町人言葉なんかもたまに出て、宗明は、頭を抱えたくなることがある。


「まあ、元気でいらっしゃるのが、一番ですわなあ。」と、乳母の如月(きさらぎ)などはのんきに言うが、そこには半分あきらめも混じってはいるのだろう。


(そんな現実を、姫さまを溺愛する上さまが知らないのが、せめてもの救い……)

 宗明は何となく天井に目をやりながら、そんなことを考えていた。



 夕羅姫は、側室である志乃を母親に持つ。

 志乃は商家の娘で、行儀見習いという目的で、腰元となって大奥に上がっていたところを、将軍に見初められたのだった。


 美しいが、病弱な母親。それを寵愛する父。そんな二人の間に出来た、たった一人の娘を、将軍は溺愛していた。


 正室である御台所には息子が一人。 女の子だからか、志乃と御台所の関係が良好だからか、夕羅は御台所にもかわいがられていた。


 環境としては過ごしやすいと思われるのだが、何故かゆらは城を抜け出し、城下を徘徊するようになってしまった。 それが何を原因としているのか。宗明は未だ答えを出せずにいる。



 とりあえず、姫が部屋に落ち着いたのを見届けて、宗明は退室しようと立ち上がった。

「三郎太?」


 不安そうに声を上げた夕羅を安心させるように微笑み返すと、

宿直(とのい)の許しを頂いて参ります。夕餉(ゆうげ)の後に、また……」

「……うん。なるべく早くに戻ってね」


 まるで子犬のような目でこちらをみるゆらに、鼓動が高まるのを感じて、宗明は気取られないようにそっと視線を外した。

「もちろん。すぐに参ります。では」


 縁に出た時、何かがちらりと動いたような気がした。

(なんだ?)

 よく見ようと、目を凝らしたが、軒下には何もいない。

(気のせいか)


 だが、何となく空気が澱んでいるような、そんな感じを受ける。

(ゆらさまは、勘の鋭い所がおありだからな……)

 野生の勘とでも言うべきものが。


「三郎太?」

 怪訝(けげん)そうに声を掛ける夕羅に、安心させるように微笑(ほほえ)み掛けて、宗明は今度は本当に、先程の庭に下りた。 心の中では、(これは、本当に、早く戻って来なければならないらしい)と思いながら。




 雨戸が閉めめ切られた縁に、宗明は短刀を抱えて座り込んでいた。

 春まだ浅い、夜。空気は、ひんやりとしていた。

 昼間見た、影のようなもの……。 あれが、頭から離れない。


 ゆらはもう夢の中だろう。

 宿直(とのい)する旨の挨拶をした時の、彼女のほっとしたような顔が、頭から(はな)れない。


(あやかし)の類が出るとすれば、丑三つ時か……?)


 大奥中を巡る、「火の用心」の声が遠くに聞こえた。静かな夜。音と言えば、それのみだった。




 間もなく丑三つ時。

 ことり、と部屋の中で音がした。

 刀を持つ手に力が入る。


「キャッ」

 ゆらの小さな悲鳴が聞こえた。

「御免!」

 短く言うと、宗明は飛び込んでいた。


 御簾(みす)の外には、不寝番(ねずばん)の腰元が、懐剣を手にしたまま、泡を吹いて気を失っていた。


 それを横目で見て、御簾の内に目を凝らせば、そこには影が二つ。


(いや。二つなんてありえない!)


 三郎太は御簾ごと影を突き刺し、さらに上に向かって切り放った。

 影は「ギッ」という身の毛のよだつ声を出して、霧散(むさん)した。


 影と対峙(たいじ)していた夕羅は、へなへなとその場に座り込んでしまった。 息一つ乱さず彼女に近付寄った宗明は、彼女をそっと抱いた。


「平気か?」

 こくこくと小刻みに頷くのを感じて、「なら良かった」と、微笑んだ。


 すると夕羅が、

「三郎太って、意外にかっこいいのね」

と感心したように言ったのだ。


(意外にってなんだよ。)

と思わないでもなかったが、

(まあ、ちょっとでもかっこいいって思ってくれたなら、良しとしないと)

と、思い直した宗明だった。


「三郎太」

 まだ震えの止まらない夕羅が、か細い声を出した。

「なんです?」

「あの影、このところずっと、わたしを見ていたの」

「……」

「でもやっぱり、わたしの()間違(まちが)いだろうと思って……」

「もっと早くに言って頂けたら」


「だって。柳を幽霊だって言っちゃうような、わたしなのよ。信じてくれないだろうと思ったから。でも今夜は宿直をしてくれて嬉しかった」

「あなたを守ることが、私の役目ですから」

「うん。またさっきみたいなの来たら、よろしくね!」


 宗明は夕羅を抱く手に力を込めた。

 夕羅はそんな宗明の肩に、頭をもたせ掛けた。

「三郎太がいてくれたら、わたし、怖い物なんてないんだ……」

 その言葉に、宗明は小さく笑った。


「ならば、ずっとお側におりましょう。姫の盾となり、刀となりましょう」


 

 

 けれど、運命とは皮肉なものだ。

 世界に二人だけいられたら良かったものを。

 この夜を境に歯車は少しずつ回り始め、ゆらと宗明はその大きな変化に飲み込まれていくことになる……。



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