第二話
今日から仕事が変わった。久々に楽な仕事だ。通行人にサービスチケットを渡したりもするが、同じ場所でずっと立ってりゃいいだけだ。
渋谷の道玄坂小路にあるカジノゲーム屋のプラカード持ちが新しい仕事だけど、本当にこんな楽して日給七千円貰っちゃっていいのかなと思ったが、一週間もするとそれが誤りだと判った。
私がばら撒くサービスチケットでお客が入らないと、規定の金額は、払えないと言われた。日給七千円は、最低限の集客ノルマが達成されて初めて支給される金額だと言う。一人も客が来なければ、三千円しか貰えない。雨の日でも、ずっと傘を差して立っていなければならない。
もう直ぐ梅雨になる。その事を少しも考えていなかった。
それでも、週末で客が入った日などは、指が切れそうなピン札の福沢諭吉を手にする事が出来るし、気立ての好い店長が、時々飯を奢ってくれたりするので、少しばかり長く頑張ってみることにした。
私の立場所は、道玄坂と、文化通りを結ぶ小路の角だ。ロイヤルホストと、風俗の無料案内所に挟まれたその小路を入った中程に、プラカードの店がある。
看板は出してない。違法カジノだからだ。バカラだけの店だが、この店は100%客が負ける仕組みになっているらしい。どういう仕組みなのかは詳しくは知らないが、客が一人でも入りさえすれば、従業員の日給が全部払える位なのだから、鴨を丸裸にするノウハウはきちんとあるのだろう。チラッと聞いた話なのだが、客が現金を全部すっても、近くにある系列の闇金を紹介してまで金を突っ込ませると言う。まるで死肉を貪るハゲタカのように、一片の肉片も残さず客から金をむしり取る。
貪られた客達を私は、可哀想だとか、哀れだとか思った事はない。ざまあ見ろという気も起きない。いたって無感動に、サービスチケットを手にした人間を見る。
夕方から明け方の五時頃まで、いろいろな人生が私の前を通り過ぎて行く。
未来に何の不安も感じずこの世を謳歌している若いサラリーマン達。B系ファッションで身を包んだ男女のグループ。円山町のクラブにでも行くのだろう。ダブダブのファッションにピアス、まるで日本人ではないみたいだ。ケータイを片手にブランド物のバックをぶら下げた若い女は、いずれも風俗嬢だ。明らかに場違いというか、不釣合いなカップルは、これからホテルに向かう風俗嬢とその客。お水系の女や、ギャル系の子にやたらと声を掛けてるのは、ホストかスカウト。道玄坂上のマンションから、日に何度も自転車で降りてくる男は、裏DVD屋の従業員で、注文がある度にディパックにブツを入れて店まで飛んで行く。怪しい中近東系の外人は、殆どが路上でのドラッグの売人。中国エステに客を引っ張り込もうと、やたらに声を掛け捲ってる小娘(シャオチェイ)達は、殆どが大連辺りからの日本語学校の留学生だ。彼女達は皆驚くほど綺麗で可愛い。この子達はキャッチ専門で、客には付かない。店に入ると、キャッチの子達の35%マイナス程の子がサービスをする。地回りのヤクザも、日に何度となく私の前を通り過ぎる。昔のヤクザほどはそれらしい格好はしてないといっても、全身から発する強面オーラは、どんなに己の素性を隠そうとしても無理だ。
そういった、いつもの顔触れの中に違った人間が混じると直ぐに判る。半日、何千何万という人間を目にしていると、十日もすれば大概の顔を憶えてしまう。
ナナという少女と出逢ったのは、プラカード持ちの仕事を始めて一ヶ月程経った頃だった。
アタシの収入源は、出逢い系サイトでエンコー相手を引っ掛ける事。
引っ掛けるといっても、絶対ウリはやらないんだ。ご飯して、お茶してバイバイがアタシのやり方。結構、これだけでも満足して何千円かのお金をくれる中年オヤジがいるんだよね。時々、洋服とかバックとかの小物まで買ってくれる好いオヤジもいて、取り敢えず食べるには困らない毎日。たまには無理やりホテルに連れ込まれたりすることもあったけど、どうにかアタシの処女は健在みたい。
マルキューの前で知り合ったヨシエちゃんから教わったのが、下着を売る事。ドンキで一番安いパンツを買って来て、穿いたやつを売るんだけど、汚れてれば汚れてるほど高く売れるからって、ヨシエちゃんなんかわざとトイレで拭かないで染みだらけにして売るらしいんだ。アタシはそこまでしない。お金の為とはいえ、目の前でパンツを脱いで相手に渡す時は、マジ恥ずかしい。
アタシが言うのも変だけど、この国って何か病んでるっぽい気がする。ニートの兄貴もアタシの下着を漁りまくって変な事してたみたいだし、世の中みんなキモィ奴ばっか。男という男が全部キモく思える。だから、ジャニーズ系のイケメンにも興味湧かない。却って、可愛い女の子を見るとドキドキする事がある。この頃、アタシはレズなのかなって自分が心配になっちゃって、将来に不安を感じたりもしてるんだ。だって、女の子に生まれたんだから、一度は純白のウエディングドレスに身を包んでお姫様抱っこされたいじゃん。
出でよ私の王子様!ってのが、今の心境なんだけど、まさか、しばらくして知り合った冴えないオッサンが、アタシの王子様になるなんてこの時は思いもしなかった。誰が何と言ったってそう思える訳ないもん。だって、年の差が三十以上離れてるんだよ。アタシのパパより年上なんだから。それも、ジローラモみたいなチョイ悪系のカッコイイオジ様ならまだ判るけど、どう贔屓目に見ても落魄れたジジイなんだもん。
けどね、アタシを地獄の底から救ってくれたのは事実だし、感謝もしてる。
そのオッサンと出逢ったのは、家出して三十日目の、一日中雨がシトシト降っていた日だった。
その日引っ掛けたエンコー相手がチョー最悪な奴で、会った初っ端からヤリたいオーラ出しまくりだった。
「幾らならホテルに行くんだ?二万?三万?君みたいに可愛い子なら五万でもいいぞ。」
「オジサン悪いけど、さっきから言ってるようにウリの方はやってないの。会ってお茶とかご飯付き合ってまで。まあ、パンツ位なら今脱いで売って上げるけど、それ以上はダメ。五万が十万でも百万でも無理!」
そう言って何度も断ったけど相手はなかなか諦めず、
「じゃあさあ、何もしないから、ホテルで俺が一人エッチしてるのを見ててくれない?絶対、君の体には触らないから。ね、約束する、この通り!」
放っとくと道のど真ん中で土下座でもしそうだったから、仕方無しに、
「判った、でも絶対だよ、体に指一本触れちゃダメだからね。」
と言って、その男と円山町のホテルに入った。部屋に入るなり、男はTVのスイッチを入れ、AVのチャンネルにすると、あっという間にズボンを脱ぎパンツまでずり下げた。ゲッ・・・醜いものを見てしまった・・・。吐きそうになるのを何とか我慢して、
「約束のお金、先に頂戴。」
そう言うと、男は財布からお金を出し、アタシの方へ差し出した。近寄って手を延ばした途端、男にその手を掴れ、ベッドに転がされた。馬乗りになって来た男の手が、アタシの86センチDカップの胸を鷲掴みにした。
「顔はロリだけど、体はすっかり大人だな・・・こりゃあ反則だぜ。」
生まれてこの方、まだ誰にも触らせてない乙女の乳房をこんな男に揉みしだかれるなんて・・・って、そう思った途端、アタシはプッツンと切れた。思い切り男の顔を爪で引っ掻き、怯んだところで体制を入れ替えた。止めは膨らました股間へのキック一発。散らばった一万円札を急いで拾い、部屋を出た。
まさか追い駆けて来るなんて思っていなかったから、ホテルを出た後はそれ程慌てずに歩いていた。そしたら、スケベ男の執念とは恐ろしいもので、そいつはゾンビみたいな形相でアタシを追い駆けて来た。
雨の中、とにかく路地から路地を逃げ回った。人通りが多い所に早く出なくちゃって思ったんだけど、ぐるぐる回っているうちにミュールが脱げて転んでしまった。
万事休す!
「助けてェ!」
こうやって叫べば、普通は白馬に跨った王子様が飛んで来るものもんだけど、この際、別に王子様じゃなくても構わない。どんな奴でもいい。緑色したシュレックだって・・・。
現れたのは、どう見てもケンカの弱そうなオッサンだった。
それでも邪魔者が入った事もあって、追い駆けて来た変態男は少し怯んだ。
「関係無い者は引っ込んどいてくれ。」
「助けてと叫ばれたら関係無いだのって言ってられないだろう。どういう理由があるのか判らんが、いい年をした大人がこんな子供を追い掛け回すなんて只事じゃない。」
「この女はドロボーだ。俺から金を取って逃げたんだ。」
オッサンがアタシの顔を見た。疑わしそうな表情をしてる。
「違う、ドロボーじゃないよ。この変態が、無理やりアタシをホテルに連れ込んで、いやらしい事をしようとしたんだ。」
「何がいやらしい事だ、何が無理やりだ、それで金を稼いでるエンコー女だろうが。」
「アタシは絶対ウリはしないって言ったじゃん。オジサンだって体には絶対、指一本触れないって土下座までしたくせに!」
「何を!」
「ストップ!ストップ!援交がどうのこうのってアンタは言ってるけど、それは本当の話か?」
「あ、ああ・・・」
「お嬢さん本当?」
「・・・うん。」
「年は幾つ?」
「・・・十六。」
「アンタ、これって犯罪になるんじゃない?淫行罪だよ。警察呼ばれたら塩梅悪いんじゃないの?」
「まあ・・・そうだけど・・・。」
「ねえ君、金は幾ら取ったの?二万円か、じゃあ、そのお金をこの人に返しなさい。」
「ええ!?返すの?」
「いいから、言うとうりにしなさい。さ、これでいいだろう。アンタの金は戻った。さて、今度は、この子に治療代と雨で濡れた服のクリーニング代を渡して上げなさい。転んで擦り剥いた程度だが、それなりの誠意を見せてこそ大人というもんだ。それとも警察を呼んできちんと全て話し合った方がいいかい?」
変態男は、渋々戻った金の中から一万円札を出し、アタシにくれた。そして、雨の中を走るように去って行った。
「オジサン、サンキュー。」
「どういたしまして。」
その言い方が可笑しくて、思わず笑っちゃった。緊張感が無くなった途端、急に膝が痛み出した。転んだ時に打ったみたい。
「大丈夫か?歩けそうかい?」
「うん、平気・・・だと思う。ちょっと痛いけどね。」
「何処まで帰るんだ?よかったら送って行くけど。」
「今夜はマン喫に泊まるから。」
「着てる物が濡れてるし、汚れてるよ。それに家で心配してるんじゃないのかい?」
「着替えなら駅のコインロッカーにあるし、家の方はどうでもいいの。」
「家出娘って事か?」
「ピンポーン。」
「まあ、深くは聞かないし、どうこうしろとも言わないが、私も駅まで行くついでだから一緒に歩こう。万が一、さっきの男がもう一度君を追って来ないとも限らないしね。」
「オジサン、随分気が利くじゃん。ひょっとしてぇ、オジサンも下心あり?」
「馬鹿を言いなさんな。」
「あは、きょどってる。少しは当たったみたいだね。」
「いい大人をからかわんでくれ。人の好意をそうやって茶化すんだったら好きにすればいい。」
そう言って、オッサンはすたすたと歩き出した。アタシは慌ててその後を追い駆け、オッサンの差す傘の中に入った。
「ごめん、怒んないでよ。冗談だから。」
おっさんは駅までの間、ずっと何も喋らなかった。ハチ公前に来ると、
「私は東横線だから、こっちの方に行くよ。」
と言って、自分が持っていた傘をアタシにくれた。
「ありがとう。」
礼を言うと、オッサンはニコッと笑った。シワだらけになったその顔が、まるでチャウチャウみたいで思わず可愛いって思っちゃった。もう少し二枚目の渋いオジ様なら、この出逢いも、より劇的になって、それこそドラマや映画の世界みたいな展開になって行くんだろうけど、どう見てもチャウチャウにしか見えない笑顔のオッサンが相手じゃ、大して期待は出来そうにもない。けれど、このチャウチャウがジャン・レノみたいに活躍してくれるんだから、世の中って判んないよねぇ。
ちなみに、アタシはナタリー・ポートマン程美人じゃないけど、胸は間違いなく勝ってる。
本当は、顔もそれ程負けてるとは思ってないけど・・・。