『土いじりしかできない無能』を追放したら、国中が枯れ果てた件~十年後、蒔いた種と再会するのは私だけ~
「お前を追放する。二度と戻るな」
ギルド長ボルドの声が、大広間に響いた。
わたし――エルナ・フォルスは、ゆっくりと顔を上げた。
恰幅のいい体を装飾過多の外套で包んだ男が、見下すようにこちらを睨んでいる。
「土いじりしかできない無能に、Sランクは過ぎた地位だ。冒険者ってのはなあ、魔物を斬ってこそ価値があるんだよ」
その隣で、金髪を巻いた義妹――リゼットが、扇で口元を隠して笑っていた。
「あら、お義姉様。ずっと泥にまみれていたんですもの。追放されても、故郷の畑でお似合いですわ」
(半年後、あなたたちは水も飲めなくなるのだけれど)
わたしは内心でそう呟いた。
この人たちは、東の水脈が濁り始めていることに気づいていない。
北の麦畑の土が、もう三年分の地力しか残っていないことも。
わたしの《万物鑑定》は、この国の豊穣がどれほど薄氷の上に成り立っているかを、毎日教えてくれていた。
だが、それを口にする価値も、もう感じなかった。
「弁明はないのか?」
ボルドが苛立たしげに言う。
わたしは静かに一礼した。
「……ありません。長い間、お世話になりました」
それだけだった。
喚くことも、すがることもしない。
(喚くだけ無駄。種を蒔けば、いつか必ず実りと再会する。半年後が、見物ね)
ざわめく冒険者たちの視線を背に、わたしは静かに大広間を出た。
腰に下げた種袋が、歩くたびに小さく揺れる。
(さて。この国が枯れる前に、やっておくことがある)
琥珀色の空が、赤錆の谷の方向へと傾いていた。
◇
王都を出たわたしが向かったのは、辺境の村外れ。
そこには、しわ深い顔の老人が、曲がった腰で畑を耕していた。
『種爺』――本名ヨナス。
この国で唯一、わたしの言葉をまともに聞き取れた男だ。
「爺さん」
声をかけると、老人は鍬を止めて振り返った。
「追放されたか」
「ええ。あっさりとね」
「あんたの言うことは、いつも十年先を向いておるからなあ。今の連中には、早すぎたんじゃろ」
わたしは小さく笑って、腰の種袋から油紙の包みを取り出した。
中には、黒く艶めいた一粒の種と、一枚の鑑定書。
「爺さん。これを、あんたに預けたいの」
種爺は目を細めて、それを見つめた。
「……ただの種じゃなさそうじゃな」
「《世界樹の萌芽》。大地の魔力循環を司る、神代の樹の種よ」
老人の手が、わずかに震えた。
「土のことなら、わしにも分かる。……これは、とんでもないもんじゃ」
「この種は、十年後に花開く。それまで、ただ隠して、守っていてほしいの」
わたしは彼の節くれだった手に、油紙の包みを載せた。
「王都は、これから枯れていく。あの人たちは気づかない。でも、あんたが守るこの一粒が、いつか意味を持つ」
種爺は、包みを胸に抱いた。
「あんたは、どうするんじゃ」
「わたしは、赤錆の谷へ行く。同じ種を、もう一粒ね」
「別々に、育てるのか」
「ええ。……その時まで、生きていられるといいけれど」
老人は、しわだらけの顔をくしゃりと歪めて笑った。
「わしは、あんたが蒔いた花を、一目見るまでは死なんよ」
夕暮れの畑に、二つの影が長く伸びていた。
こうして、十年の物語が――静かに、蒔かれた。
◇
赤錆の谷。
その名の通り、赤茶けた砂と岩ばかりの不毛の地。
誰も見向きもしない、死んだ土地。
「うわぁ……本当に、何もないですね」
隣で麻の服の袖をまくった少女――ミラが、頬に土をつけたまま呆然と呟いた。
かつてわたしが救った村の子で、追放を聞いて勝手についてきた娘だ。
「エルナ様、こんなところで、本当に作物が育つんですか?」
わたしは膝をつき、乾いた土を一握り、掌に乗せた。
《万物鑑定》。
瞬間、掌の土が語りかけてくる。
――地下四十尺、清水脈あり。塩害なし。眠れる地力、豊富。
「育つわ。むしろ、ここは眠っているだけ。地下四十尺に清水脈、塩害なし。眠れる地力も豊富」
「眠ってる?」
「昔の知識でね。こういう土地は、水の道さえ通してやれば、驚くほど蘇るのよ。まずは土を作る。話は、それからね」
わたしは腰の種袋から、まず豆の種を取り出した。
根に養分を溜め、痩せた土を肥やす種。
前世の農学では、基本中の基本。
だが、この世界の誰も、それを知らない。
「……エルナ様って、やっぱりすごい人ですね」
ミラが目を輝かせる。
わたしは淡々と鍬を振るいながら、答えた。
「すごくないわ。ただ、土の声を聞いているだけ」
「あ、それ! 照れてるってことですよね!?」
「……違うわ」
違わなかった。
谷の隅、日当たりのいい一角に、わたしはもう一つの種を埋めた。
油紙に包んだ、黒く艶めく一粒。
《世界樹の萌芽》。
「十年後、ここで会いましょう」
誰にともなく、わたしはそう囁いた。
赤錆の谷に、初めての緑の芽が――ほんの小さな一点、生まれた瞬間だった。
◇
――王都、その一年後。
「なぜだ……!」
ギルド長ボルドの怒声が、執務室に響いた。
机に叩きつけられたのは、各地からの報告書の山。
『東部水源、濁り止まらず』
『北部麦畑、不作。地力尽きたとの声』
『南方村落、魔物の異常繁殖により壊滅寸前』
「どうなっている! 去年まで、すべてがうまくいっていたはずだ!」
扉が開き、金髪を巻いた女――リゼットが、豪奢なローブを翻して入ってきた。
「ボルド様、ご安心を。わたくしの錬金術で、水脈の浄化などたやすいこと」
彼女は宝石で飾られた薬瓶を掲げ、濁った水に振りかけた。
きらきらと光る、見た目だけは華やかな液体。
だが。
水は、濁ったまま。
「……あら?」
もう一本。もう一本。
「そんなはずは……! もう一本、もう一本……!」
瓶を空にしても、水は一滴も澄まなかった。
「リゼット……お前、まさか、何もできんのか?」
「ち、違います! これは水が特別に汚れているだけで――わたくしの錬金術は完璧なはずよ!」
二人は気づいていなかった。
この国の水脈も、土地も、作物も。
そのすべてを、たった一人の『土いじりしかできない無能』が、静かに支えていたことを。
枯れた花瓶の花のように、彼らの繁栄は、根を失って萎れ始めていた。
――そして王都から遠く離れた辺境で。
種爺は油紙の包みを胸に抱き、枯れゆく大地を見つめていた。
「あんたの言った通りになったのう、エルナ。じゃが、わしは守り抜くぞ。この一粒だけは、な」
枯野に立つ老人の背を、冷たい風が吹き抜けていった。
◇
――赤錆の谷、五年後。
かつて赤茶けた砂ばかりだった谷に、今は麦の穂が黄金色に揺れていた。
用水路が縦横に走り、果樹が実をつけ、村人たちの笑い声が響く。
噂を聞きつけて集まった移民が、いつしか一つの村を作っていた。
「エルナ様! 王都から来た人たちが、また泣いてます!」
ミラが駆け込んでくる。
見れば、痩せこけた一家が、井戸から溢れる清水を掌に受けて、涙を流していた。
「王都では……水もパンも、もう手に入らないんだそうです……」
ミラが声を落とす。
母親らしき女が、震える声で言った。
「ここには、当たり前に緑がある。……なぜ、こんなに違うんですか」
わたしは静かに、彼女に椀を差し出した。
「土は、正直なだけよ。手をかけた分だけ、返してくれる」
村人たちが、ぽつりぽつりと語り出す。
「王都のギルドは、豊穣を『当たり前』だと思っていた」
「あの鑑定士様が――誰にも見向きされずに、水脈を、土を、ずっと診ていてくださったのに」
「追放したんだと。……愚かな話だ」
ミラが、こぶしを握りしめた。
「みんな、失ってから気づくんですよね。エルナ様がどれだけすごかったか」
わたしは谷の隅に目をやった。
そこには、五年前に埋めた《世界樹の萌芽》。
今や、わたしの背丈の三倍ほどに育ち、淡い光を帯びた若木となっていた。
その根から、目に見えぬ魔力が土へ、水へ、大地全体へと巡っている。
「あと五年」
わたしは呟いた。
「あと五年で、この子は花開く。……その時、すべての因果が巡り終わる」
黄金の麦畑を、優しい風が撫でていった。
◇
――十年後。
一人の老人が、杖代わりの古い鍬を突きながら、荒野を越えてきた。
種爺――ヨナス。
枯れ果てた王都を捨て、噂だけを頼りに、赤錆の谷を目指す長い旅。
胸には今も、油紙に包んだ種袋。
十年、守り抜いた一粒。
「もう、目も霞んできおったが……」
谷の入り口にたどり着いた老人は、そこで足を止めた。
息を、呑んだ。
砂漠だったはずの土地に――
見渡す限りの、緑の楽園が広がっていた。
黄金の麦。実る果樹。澄んだ水の流れ。
そして中央に、天を衝く巨大な樹。
《世界樹》が、淡い光を放ちながら、大地に魔力を巡らせていた。
その根元で、土を耕す一人の女。
深い緑がかった栗色の髪。土で汚れた手。
十年前と、何も変わらぬ穏やかさで。
「エルナ……」
老人の声が、震えた。
女が顔を上げ、琥珀色の瞳を細めて微笑む。
「爺さん。……よく、来てくれたわね」
種爺は、しわだらけの顔をくしゃくしゃにして、胸から油紙の包みを取り出した。
「守ったぞ。十年間……この一粒だけは、な」
わたしは、その包みを両手で受け取った。
中の種は、黒く艶めいたまま、静かに脈打っている。
「あんたが蒔いた種は、ちゃんと花開いたよ」
老人の目から、涙がこぼれた。
「わしはその花を……一目、見たかったんじゃ」
わたしは、世界樹の傍らに、彼が守り抜いた種を埋めた。
瞬間。
二つの萌芽が呼応するように、世界樹が眩く輝いた。
新たな芽が、大地から芽吹く。
十年をかけて、別々に育てた二つの種が――今、一つの森となって結実する。
「種を蒔く者は、いつか必ず、その実りと再会する」
わたしは、静かに言った。
「……それが、十年後でもね」
◇
――同じ頃、荒廃した王都のギルドに、一通の書状が届いた。
王家の紋章が押された、査問状。
震える手でそれを開いたボルドの顔から、血の気が引いていく。
『《世界樹の管理者》エルナ・フォルスに無断で危害を加え、これを不当に追放した罪。国家の豊穣を担う人物への背任、及び国土荒廃を招いた重過失を問う』
「せ、《世界樹の管理者》……? あの女が……? そんな……そんなの、聞いていない!」
リゼットが、効果のない錬金薬瓶を取り落とした。
かつて煌びやかだった彼女のローブは、今や色褪せ、宝石も一つ、また一つと売り払われて欠けていた。
「わたくしの錬金術は……完璧なはずだった……」
窓の外には、緑を失った荒野が広がっている。
作物は枯れ、水は濁り、魔物の遠吠えが夜ごと近づく。
彼らが自ら切り捨てたものの正体に、今さら気づいても――もう、遅かった。
「なぜだ……なぜ、あの女がいた頃は、全てがうまくいっていた……!?」
ボルドの叫びは、枯れた大地に虚しく吸い込まれていった。
断罪は、エルナの手によるものではなかった。
剣でも、魔法でも、復讐の言葉でもない。
ただ、蒔かれた種が花開き。
ただ、大地そのものが、静かに答えを返しただけ。
因果は、めぐる。
◇
――赤錆の谷。
「エルナ様、王都から知らせが。……ついに、査問が入ったそうです!」
ミラが息を弾ませて報告する。
わたしは世界樹を見上げたまま、ただ小さく頷いた。
「そう」
「そうって……! ボルドたちが、ようやく罰を受けるんですよ!? もっと喜んでもいいのに!」
「わたしは、何もしていないわ。ただ、十年前に種を蒔いた。それだけ」
土のついた手で、若い芽を撫でる。
ミラは、ぽかんと口を開け――やがて、にっこりと笑った。
「……それ、やっぱり、いちばん格好いいやつですね」
世界樹の梢を、風が渡っていく。
新たな森が芽吹く谷で、種爺は老いた腰を伸ばし、久しぶりに――心から笑った。
「蒔いた種は、必ず実る。それが、たとえ十年後でもな」
蒔いた種は、必ず実る。
それが、たとえ十年後でも。
物語は、静かな緑の中で、確かに実りを迎えたのだった。
――さて。
この森には、まだ埋めていない種が、いくつも眠っている。
次はどの土地を、眠りから起こしてやろうか。
わたしは腰の種袋に、そっと手を添えた。




