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『土いじりしかできない無能』を追放したら、国中が枯れ果てた件~十年後、蒔いた種と再会するのは私だけ~

作者: uta
掲載日:2026/08/22

「お前を追放する。二度と戻るな」


ギルド長ボルドの声が、大広間に響いた。


わたし――エルナ・フォルスは、ゆっくりと顔を上げた。


恰幅のいい体を装飾過多の外套で包んだ男が、見下すようにこちらを睨んでいる。


「土いじりしかできない無能に、Sランクは過ぎた地位だ。冒険者ってのはなあ、魔物を斬ってこそ価値があるんだよ」


その隣で、金髪を巻いた義妹――リゼットが、扇で口元を隠して笑っていた。


「あら、お義姉様。ずっと泥にまみれていたんですもの。追放されても、故郷の畑でお似合いですわ」


(半年後、あなたたちは水も飲めなくなるのだけれど)


わたしは内心でそう呟いた。


この人たちは、東の水脈が濁り始めていることに気づいていない。


北の麦畑の土が、もう三年分の地力しか残っていないことも。


わたしの《万物鑑定》は、この国の豊穣がどれほど薄氷の上に成り立っているかを、毎日教えてくれていた。


だが、それを口にする価値も、もう感じなかった。


「弁明はないのか?」


ボルドが苛立たしげに言う。


わたしは静かに一礼した。


「……ありません。長い間、お世話になりました」


それだけだった。


喚くことも、すがることもしない。


(喚くだけ無駄。種を蒔けば、いつか必ず実りと再会する。半年後が、見物ね)


ざわめく冒険者たちの視線を背に、わたしは静かに大広間を出た。


腰に下げた種袋が、歩くたびに小さく揺れる。


(さて。この国が枯れる前に、やっておくことがある)


琥珀色の空が、赤錆の谷の方向へと傾いていた。



王都を出たわたしが向かったのは、辺境の村外れ。


そこには、しわ深い顔の老人が、曲がった腰で畑を耕していた。


『種爺』――本名ヨナス。


この国で唯一、わたしの言葉をまともに聞き取れた男だ。


「爺さん」


声をかけると、老人は鍬を止めて振り返った。


「追放されたか」


「ええ。あっさりとね」


「あんたの言うことは、いつも十年先を向いておるからなあ。今の連中には、早すぎたんじゃろ」


わたしは小さく笑って、腰の種袋から油紙の包みを取り出した。


中には、黒く艶めいた一粒の種と、一枚の鑑定書。


「爺さん。これを、あんたに預けたいの」


種爺は目を細めて、それを見つめた。


「……ただの種じゃなさそうじゃな」


「《世界樹の萌芽》。大地の魔力循環を司る、神代の樹の種よ」


老人の手が、わずかに震えた。


「土のことなら、わしにも分かる。……これは、とんでもないもんじゃ」


「この種は、十年後に花開く。それまで、ただ隠して、守っていてほしいの」


わたしは彼の節くれだった手に、油紙の包みを載せた。


「王都は、これから枯れていく。あの人たちは気づかない。でも、あんたが守るこの一粒が、いつか意味を持つ」


種爺は、包みを胸に抱いた。


「あんたは、どうするんじゃ」


「わたしは、赤錆の谷へ行く。同じ種を、もう一粒ね」


「別々に、育てるのか」


「ええ。……その時まで、生きていられるといいけれど」


老人は、しわだらけの顔をくしゃりと歪めて笑った。


「わしは、あんたが蒔いた花を、一目見るまでは死なんよ」


夕暮れの畑に、二つの影が長く伸びていた。


こうして、十年の物語が――静かに、蒔かれた。



赤錆の谷。


その名の通り、赤茶けた砂と岩ばかりの不毛の地。


誰も見向きもしない、死んだ土地。


「うわぁ……本当に、何もないですね」


隣で麻の服の袖をまくった少女――ミラが、頬に土をつけたまま呆然と呟いた。


かつてわたしが救った村の子で、追放を聞いて勝手についてきた娘だ。


「エルナ様、こんなところで、本当に作物が育つんですか?」


わたしは膝をつき、乾いた土を一握り、掌に乗せた。


《万物鑑定》。


瞬間、掌の土が語りかけてくる。


――地下四十尺、清水脈あり。塩害なし。眠れる地力、豊富。


「育つわ。むしろ、ここは眠っているだけ。地下四十尺に清水脈、塩害なし。眠れる地力も豊富」


「眠ってる?」


「昔の知識でね。こういう土地は、水の道さえ通してやれば、驚くほど蘇るのよ。まずは土を作る。話は、それからね」


わたしは腰の種袋から、まず豆の種を取り出した。


根に養分を溜め、痩せた土を肥やす種。


前世の農学では、基本中の基本。


だが、この世界の誰も、それを知らない。


「……エルナ様って、やっぱりすごい人ですね」


ミラが目を輝かせる。


わたしは淡々と鍬を振るいながら、答えた。


「すごくないわ。ただ、土の声を聞いているだけ」


「あ、それ! 照れてるってことですよね!?」


「……違うわ」


違わなかった。


谷の隅、日当たりのいい一角に、わたしはもう一つの種を埋めた。


油紙に包んだ、黒く艶めく一粒。


《世界樹の萌芽》。


「十年後、ここで会いましょう」


誰にともなく、わたしはそう囁いた。


赤錆の谷に、初めての緑の芽が――ほんの小さな一点、生まれた瞬間だった。



――王都、その一年後。


「なぜだ……!」


ギルド長ボルドの怒声が、執務室に響いた。


机に叩きつけられたのは、各地からの報告書の山。


『東部水源、濁り止まらず』

『北部麦畑、不作。地力尽きたとの声』

『南方村落、魔物の異常繁殖により壊滅寸前』


「どうなっている! 去年まで、すべてがうまくいっていたはずだ!」


扉が開き、金髪を巻いた女――リゼットが、豪奢なローブを翻して入ってきた。


「ボルド様、ご安心を。わたくしの錬金術で、水脈の浄化などたやすいこと」


彼女は宝石で飾られた薬瓶を掲げ、濁った水に振りかけた。


きらきらと光る、見た目だけは華やかな液体。


だが。


水は、濁ったまま。


「……あら?」


もう一本。もう一本。


「そんなはずは……! もう一本、もう一本……!」


瓶を空にしても、水は一滴も澄まなかった。


「リゼット……お前、まさか、何もできんのか?」


「ち、違います! これは水が特別に汚れているだけで――わたくしの錬金術は完璧なはずよ!」


二人は気づいていなかった。


この国の水脈も、土地も、作物も。


そのすべてを、たった一人の『土いじりしかできない無能』が、静かに支えていたことを。


枯れた花瓶の花のように、彼らの繁栄は、根を失って萎れ始めていた。


――そして王都から遠く離れた辺境で。


種爺は油紙の包みを胸に抱き、枯れゆく大地を見つめていた。


「あんたの言った通りになったのう、エルナ。じゃが、わしは守り抜くぞ。この一粒だけは、な」


枯野に立つ老人の背を、冷たい風が吹き抜けていった。



――赤錆の谷、五年後。


かつて赤茶けた砂ばかりだった谷に、今は麦の穂が黄金色に揺れていた。


用水路が縦横に走り、果樹が実をつけ、村人たちの笑い声が響く。


噂を聞きつけて集まった移民が、いつしか一つの村を作っていた。


「エルナ様! 王都から来た人たちが、また泣いてます!」


ミラが駆け込んでくる。


見れば、痩せこけた一家が、井戸から溢れる清水を掌に受けて、涙を流していた。


「王都では……水もパンも、もう手に入らないんだそうです……」


ミラが声を落とす。


母親らしき女が、震える声で言った。


「ここには、当たり前に緑がある。……なぜ、こんなに違うんですか」


わたしは静かに、彼女に椀を差し出した。


「土は、正直なだけよ。手をかけた分だけ、返してくれる」


村人たちが、ぽつりぽつりと語り出す。


「王都のギルドは、豊穣を『当たり前』だと思っていた」


「あの鑑定士様が――誰にも見向きされずに、水脈を、土を、ずっと診ていてくださったのに」


「追放したんだと。……愚かな話だ」


ミラが、こぶしを握りしめた。


「みんな、失ってから気づくんですよね。エルナ様がどれだけすごかったか」


わたしは谷の隅に目をやった。


そこには、五年前に埋めた《世界樹の萌芽》。


今や、わたしの背丈の三倍ほどに育ち、淡い光を帯びた若木となっていた。


その根から、目に見えぬ魔力が土へ、水へ、大地全体へと巡っている。


「あと五年」


わたしは呟いた。


「あと五年で、この子は花開く。……その時、すべての因果が巡り終わる」


黄金の麦畑を、優しい風が撫でていった。



――十年後。


一人の老人が、杖代わりの古い鍬を突きながら、荒野を越えてきた。


種爺――ヨナス。


枯れ果てた王都を捨て、噂だけを頼りに、赤錆の谷を目指す長い旅。


胸には今も、油紙に包んだ種袋。


十年、守り抜いた一粒。


「もう、目も霞んできおったが……」


谷の入り口にたどり着いた老人は、そこで足を止めた。


息を、呑んだ。


砂漠だったはずの土地に――


見渡す限りの、緑の楽園が広がっていた。


黄金の麦。実る果樹。澄んだ水の流れ。


そして中央に、天を衝く巨大な樹。


《世界樹》が、淡い光を放ちながら、大地に魔力を巡らせていた。


その根元で、土を耕す一人の女。


深い緑がかった栗色の髪。土で汚れた手。


十年前と、何も変わらぬ穏やかさで。


「エルナ……」


老人の声が、震えた。


女が顔を上げ、琥珀色の瞳を細めて微笑む。


「爺さん。……よく、来てくれたわね」


種爺は、しわだらけの顔をくしゃくしゃにして、胸から油紙の包みを取り出した。


「守ったぞ。十年間……この一粒だけは、な」


わたしは、その包みを両手で受け取った。


中の種は、黒く艶めいたまま、静かに脈打っている。


「あんたが蒔いた種は、ちゃんと花開いたよ」


老人の目から、涙がこぼれた。


「わしはその花を……一目、見たかったんじゃ」


わたしは、世界樹の傍らに、彼が守り抜いた種を埋めた。


瞬間。


二つの萌芽が呼応するように、世界樹が眩く輝いた。


新たな芽が、大地から芽吹く。


十年をかけて、別々に育てた二つの種が――今、一つの森となって結実する。


「種を蒔く者は、いつか必ず、その実りと再会する」


わたしは、静かに言った。


「……それが、十年後でもね」



――同じ頃、荒廃した王都のギルドに、一通の書状が届いた。


王家の紋章が押された、査問状。


震える手でそれを開いたボルドの顔から、血の気が引いていく。


『《世界樹の管理者》エルナ・フォルスに無断で危害を加え、これを不当に追放した罪。国家の豊穣を担う人物への背任、及び国土荒廃を招いた重過失を問う』


「せ、《世界樹の管理者》……? あの女が……? そんな……そんなの、聞いていない!」


リゼットが、効果のない錬金薬瓶を取り落とした。


かつて煌びやかだった彼女のローブは、今や色褪せ、宝石も一つ、また一つと売り払われて欠けていた。


「わたくしの錬金術は……完璧なはずだった……」


窓の外には、緑を失った荒野が広がっている。


作物は枯れ、水は濁り、魔物の遠吠えが夜ごと近づく。


彼らが自ら切り捨てたものの正体に、今さら気づいても――もう、遅かった。


「なぜだ……なぜ、あの女がいた頃は、全てがうまくいっていた……!?」


ボルドの叫びは、枯れた大地に虚しく吸い込まれていった。


断罪は、エルナの手によるものではなかった。


剣でも、魔法でも、復讐の言葉でもない。


ただ、蒔かれた種が花開き。


ただ、大地そのものが、静かに答えを返しただけ。


因果は、めぐる。



――赤錆の谷。


「エルナ様、王都から知らせが。……ついに、査問が入ったそうです!」


ミラが息を弾ませて報告する。


わたしは世界樹を見上げたまま、ただ小さく頷いた。


「そう」


「そうって……! ボルドたちが、ようやく罰を受けるんですよ!? もっと喜んでもいいのに!」


「わたしは、何もしていないわ。ただ、十年前に種を蒔いた。それだけ」


土のついた手で、若い芽を撫でる。


ミラは、ぽかんと口を開け――やがて、にっこりと笑った。


「……それ、やっぱり、いちばん格好いいやつですね」


世界樹の梢を、風が渡っていく。


新たな森が芽吹く谷で、種爺は老いた腰を伸ばし、久しぶりに――心から笑った。


「蒔いた種は、必ず実る。それが、たとえ十年後でもな」


蒔いた種は、必ず実る。


それが、たとえ十年後でも。


物語は、静かな緑の中で、確かに実りを迎えたのだった。


――さて。


この森には、まだ埋めていない種が、いくつも眠っている。


次はどの土地を、眠りから起こしてやろうか。


わたしは腰の種袋に、そっと手を添えた。

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