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そのまま

番外編 初デート

作者: こまこま
掲載日:2026/05/23

夜。


マンションの下。


詩はエントランスを出た瞬間、

少しだけ立ち止まった。


黒い車。


運転席の窓がゆっくり下がる。


「すみませんっ…待たせました?」


「ちゃうよ、待ってへん」


昂汰。


いつも通りの声。


なのに、

今日は全然いつも通りじゃない。


運転席から降りて来た彼に

ぎこちなく挨拶する


「……こんばんは」


「ん、こんばんは」


それだけ。


それだけなのに、

お互いちょっと硬い。


「ん、乗って」


ドアが閉まる。


急に静かになる車内。


はじめての助手席。


…近い。

思ったよりずっと。


昂汰の匂いも、

体温も、

全部近い。


詩はシートベルトを引こうとして、

少し手を滑らせる。


「あ、ごめ…」


その瞬間。


昂汰の手が伸びる。


「貸して」


カチ。


すぐ終わる距離。


なのに、

顔が近すぎる。


詩、停止。


昂汰も途中で気づく。


(近)


一瞬だけ目が合う。


詩の睫毛が揺れる。


昂汰、反射で離れる。


「……ごめん」


「い、いえ…」


沈黙。



車が動き出す。


夜の街が流れていく。


ラジオは小さめ。


でもたぶん、

どっちも内容聞いてない。



詩は窓の外を見てるふりをしながら、

横を気にしてる。


ハンドルを持つ大きな手。

時々リズムを取るように動く指も

真剣な横顔も。



普段の昂汰と、

少し違う。


(……かっこいい)


思った瞬間、

恥ずかしくなって視線を逸らした。


(かわいい…)


緊張しながら、

ちょこんと助手席に座る

私服の詩に会うのは

慣れていなくて。

時折向けられる視線に

身体中に力が入る


(…なんでこんな緊張してんねん、俺)


試合前でももう少し落ち着いてる。


隣にいるだけ。


それだけなのに。


詩がちょっと動くだけで気配を感じる。


咳してないか、

苦しくないか、

寒くないか、

気になってしゃあない。



赤信号。


車が止まる。


ふと昂汰が横を見る。


「……酔ってへん?」


詩は少しだけ瞬いて、

小さく笑う。


「大丈夫」


その笑い方が、

病院で見てたのより柔らかい。


昂汰、一瞬黙る。


「……ならよかった」


それだけ言って前向く。


でも耳赤い。


詩、気づく。


(あ)


ちょっとだけ、

嬉しくなる。



「寒ない?」


海沿いの駐車場。


車を降りた瞬間、

昂汰がすぐ聞く。


詩は少しだけ目を丸くして、

首を振る。


「大丈夫」


でも次の瞬間、

風で髪が揺れる。


昂汰、黙って自分の上着脱ぐ。


「着とき」


「え、大丈夫…」


「ええから」


半分被せるみたいに渡される。


詩は少し迷ってから、

小さく袖を通す。


大きい。

昂汰の匂いがする。


それだけで、

また心臓がおかしくなる。



海は暗い。


でも真っ暗じゃない。


遠くの街灯りが、

水面に細く揺れてる。


詩は静かにそれを見てる。


昂汰は、

そんな詩を見てる。


「なんか…」


詩がぽつっと言う。


「……どうした」


小さく聞くと、

詩は少しだけ困ったみたいに笑う。


「夢みたい」

「…あ、ごめん変なこと言った」


すると昂汰、

小さく首振る。


「……いや」


それから、

視線を海に戻したまま。


「俺も」

“そう思ってた”




夜風が冷たくなってきて、

詩が少し肩をすくめる。


昂汰、

それ見て横歩きながら考える。


(……今か?)


でも急すぎる?


いや寒そうやし自然?


でも下心あると思われへん?


何やねん下心て。


付き合ってるやろ。


いやでもまだ早…


頭うるさい。


詩はそんなこと知らず、

普通に隣歩いてる。


少し眠そうで、

でも楽しそう。


それを見て力が抜ける


「うた」





目の前に差し出された手

見上げれば、

少し緊張したような顔

「…ほら」

促されるように重ねた。



いつの間にか定着した名前

プロポーズしてくれたあの時に

呼び捨てに変わった

あの瞬間を思い出す


彼の口から出て来る

自分の名前は

なんだか特別なものに聞こえる



繋いだ手。

時々触れる肩。


(ちかい…)


どうやって歩いたらいいのか

どこを見たらいいのか

どうやって息をしたらいいのかさえ

わからなくなる



でも昂汰さんは変わらなくて。

歩幅も一定。

呼吸も変わらない。


(慣れてる…)


その事実に、

ちくっとする。



海沿いの歩道。


波の音。


繋いだ手。


まだ少しぎこちない空気のまま、

ふたり並んで歩いてる。


昂汰は表面上は落ち着いてる。


……ように見える。


その時。


詩が急に立ち止まる。


「……え?」


何?

疲れた?

しんどい?

寒い?


頭フル回転。


すぐ顔覗き込もうとする。


「どうした」


詩は答えない。


ただ、

繋いだ手を見てる。


昂汰もつられて視線落とす。


「……おっきい手」


昂汰、停止。


すっぽり包まれた温もりが

なんだか不思議で。


骨ばった長い指

硬くなった掌

綺麗に切り揃えられた爪


この手が。

「…戦ってる手だね」


しみじみ。

ほんとにしみじみと。



(…待て)

(何その言い方)

(あかんやろ)


「すごいなぁ……」


しかも少し嬉しそう。


自分の服着た彼女が、

大好きな人の手、

みたいな顔して、

見てる

握って来る



「……うた」


低い声。


「ん?」


「……ほんまお前」

「それ無意識でやってる?」


詩、意味分からない顔。


「…なに?」


昂汰、数秒黙る。


それから、

繋いだ手に少しだけ力込める。


「……いやもうええ」


詩は首を傾げる。


逸らされた視線

口元に当てられた手

赤い耳


(……?)



「……うた」

「お前ほんまズルい」


「え…?」


「自覚ないから余計や」

“ちょっともう、こっち見んな”


強制的に前を向かせる。

でも。

繋いだ手だけはもう離せない。



車に戻る。

「昂汰さん、服…」

脱ごうとする彼女の手を止める

「ええよ、そのまま着とき」

“かわいいから”

口には出せない


「寒ないか?」

「うん、あったかい」

嬉しそうに頷く。

「…手、もあったかかった」


「……っ」


エンジンかけるフリして時間稼ぐ。


詩は気づかない。


窓の外見ながら続ける。


「楽しかったね」


少しだけ、弾んだ声。


昂汰、

ハンドル握ったまま止まる。


(マジで、何なんほんま)

(何でそんなこと言うん)

(付き合いたてやぞこっちは)



帰り道。


助手席の詩、

少し眠そうで。


でも寝たくないみたいに、

頑張って起きてる。


「寝てええよ」


「……寝ない」


その一言で、

また心臓やられる。



赤信号。


止まる。


昂汰、

前見たまま思う。


(これを、もし失ったら)


そこまで考えて、

自分で止まる。


でももう、

想像しただけで無理。


助手席の詩はもう静かで、

窓の外をぼんやり見てる。


さっきまでの無防備な嬉しさが、

少しだけ落ち着いたあと。


前を見たまま、

ハンドル握り直す。


(……早めに)


心の中で、はっきり言う。


(ちゃんと、手に入れる)



横を見ると、

詩が小さくあくびをしてる。


「眠い?」


「ううん……眠くない」


その声が、また静かに刺さる。


少しだけ笑って、

アクセルを少し踏む。


(急がんでもええ)

(でも、後回しにはせん)


詩の横顔見ながら、

静かに心の中で決意する


(……近いうちに、ちゃんと“こっち側”に置く)



詩は何も知らないまま、

「次どこ行くの?」って小さく聞く。


「もうちょい先」


この関係、

ゆっくりのままにはしない。



車が、いつもの帰り道を外れて少し静かな道に入ったあたり。


詩はまだ窓の外を見てる。


さっきの夜景の残像みたいな光が、ガラスに流れていく。


昂汰は一度だけ深く息を吐いてから、ハンドルの上で手を止める。



「うた」


いつもより、呼び方が低い。


詩が振り向く。


「ん?」


その顔見て、一瞬だけ間が空く。


「真面目な、話やけど」


「……うん」


空気が変わるのに気づいて、詩の声が少しだけ小さくなる。


昂汰は前を見たまま言う。


「結婚の話、したやん」


詩、少し瞬く。


「……うん」


「言うとくけど」


そこで一回止まる。


「俺、それ“いつか”やと思ってへんから」


詩の呼吸が少し止まる。


昂汰はようやくこっちを見る。


真っ直ぐ。


逃がさない目。


「籍、入れよ」


「……え?」


詩の声が、ほんの少し裏返る。


昂汰は続ける。


「日にちは相談する」

「詩の体調とか、タイミングとか、それはちゃんと見る」


そこはちゃんと現実的。


でも核心はそこじゃない。


「でも、後回しはせん」


詩の指先が、少しだけ動く。


「お前がどっか行くのも」

「横から掻っ攫われんのも」


そこで一度止まる。


「もう想像したくない」


詩、何も言えない。


昂汰はハンドルに視線戻してから、

少しだけ低く言う。


「ちゃんと、先に置いとく」

「俺のとこに」


車内が静かになる。


エンジン音だけが普通に戻ってくるのが、逆に現実的で。


詩は少ししてから、小さく息を吸う。


「……ほんとに、いいの?」


その一言は、責めてない。

疑ってもいない。


昂汰はすぐ答えない。


少しだけ間を置いてから、


「そうやな」

「…こわいか?」


詩の目が揺れる。


昂汰はそこで初めて、少しだけ柔らかく言う。


「…俺は、怖いよ」


膝の上、握りしめられた手に

重ねる


もう片方は頭の上

ポンっと置かれた後

少しずつ滑り落ちてきて

頬が包まれる


「詩と」

「俺の人生が」

“重なる”


それは、彼の“覚悟”だった。





詩はしばらく黙ってから、

小さく頷く。


「……うん」


その返事を聞いて、ようやく昂汰は息を吐いた。





玄関の前。


ドアに手をかけて、

でも少しだけ名残惜しそうに

詩が振り向く。


「……今日、ありがとう」


ちゃんとした言葉。


昂汰は一瞬だけ目を細める。


「おう」


それだけ。


いつも通りの返事なのに、ちょっと遅い。



詩がドアを開けようとした、その瞬間。


ぽつっと言う。


「……なあ」


詩が止まる。


「お前さ」


少し間。


「ほんまに、ええん?」


詩の動きが止まる。


「え?」


振り返る。


「…俺で」


その一言だけ、やけに軽く落ちる。


でも、重い。


詩はすぐ返せない。


こういう言い方は、ずるい。


説明しないくせに、本音だけ置いていく。


少ししてから詩が言う。


「……なにそれ」


笑おうとして、うまく笑えない。


ちょっとだけ息を吐く。


「いや」

「なんかさ…」


珍しく、言葉を探してる。


「詩の気持ち、置いて来てないよな、って」

溢れたのは、“不安”。

それに、怖さが混じってる。


詩は、首を振る。


「…そんなことない」


言いかける。


でも昂汰が先に続ける。


「でもな」


ここで一回、空気が変わる。


「お前だけは違うねん」


詩の呼吸が止まる。


昂汰は視線を外さないまま、少しだけ苦笑する。


「今日もずっとそう」

「詩からどう見えてたかわからへんけど」


「運転してる時も、歩いてる時も」

「ずっと落ち着いてるフリしてるだけで」


“普通に余裕ない”


詩はしばらく動けない。

何か言おうとして、言葉が出ない。


「正直、焦ってるし」

「お前の言葉ひとつで普通に持ってかれるし」

“自分でもわけわからん”


固まったままの詩を見て

ちょっと苦笑い


ドアを開けて、

「ほら、入り」


いつもの声に戻す。


でもその“いつも”がさっきよりずっと優しい。


詩がふらふらと足を踏み入れる直前。


昂汰が小さく付け足す。


「……焦らせて悪いけどな」


一拍。


「こっちも余裕ないねん」


詩は昂汰の顔を見上げたまま、

その場を動けない。


「ほな、な」

「ちゃんと鍵閉めてな」


立ち去ろうとする彼の姿に、

ようやく我に帰る。


「ま、待って…!」


捕まえた腕を両手で握りしめて。


「流されてないし、ちゃんとわかってる」

「ちゃんと、自分で、考えてる」

昂汰の目を見ながら

言い聞かせるように

ゆっくり


でも、声の震えは隠せなくて


「…昂汰さんが、好き」

「わたしも、…誰にも、あげたくない、よ」








車の中で昂汰は、ようやく息を吐く。


(……あかんわ)


(ほんまに、あいつだけは)


エンジン音だけが、静かに夜に残った。


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