隣の家に住んでいる人、僕は彼女のことが好きだ。
隣の家に住んでいる人、僕は彼女のことが好きだ。
彼女はいつも窓辺に佇んで本を読んでいる。
憂いに満ちた瞳は泉のようで。
雨空を胸の奥の鏡に映し出したような双眸は深く青い。
厚い表紙の本を愛読する彼女は女神のようだ。艶やかな肌、控えめな目もと、そこへうっすらと影を落とす長い睫毛などなど……そのすべてが彼女を一つの芸術品のように魅せている。
淑やかな輝きはどこまでも深く、窓越しに見ているだけの僕の心にさえも確かに届いてくる。
いつか彼女と話したい。
そんな風に思いつつも。
当たり前だがそんな日は訪れないまま時が過ぎてゆく。
そして――。
「近く引っ越します」
「え……」
ある日の朝、彼女は突然僕の前に現れた。
「お話ししたことはありませんでしたが、お隣さんとして、今までお世話になりました」
目の前に在る彼女の双眸は光を浴びた貝殻のように煌めいている。
「急なことで失礼いたしました」
「いえいえ……」
「では。さようなら。ありがとうございました」
短く礼を発し彼女は身体を反転させる――その片手首を掴んだ。
「何か?」
戸惑った表情でこちらを見ている。
「あ……す、すみません……その」
「お話がありますか」
「い、いつも! 本! 読んでいらっしゃいましたよね!」
「え」
「窓のところでっ……」
すると彼女は身体の向きをこちらへ戻して「はい」と返事した。
「どんな本がお好きなのかな、って……実は、少し、気になっていたんです」
「そうでしたか」
「よければおすすめの本とか……教えてくれませんか」
すると彼女は微笑んだ。
「ぜひ」
隣の家に住んでいる人、僕は彼女のことが好きだ。
「あ、ありがとうございますっ……!」
「こちらこそ」
彼女が隣の家に住まなくなっても、それでも僕は彼女のことが変わらず好きだ。
――これは、僕たちの始まり。
◆終わり◆




