歯が噛み合う
茜色の光が、工房の床に斜めに落ちていた。
私は、後輪のそばに座り込んで、最後の留め具を締める。
小さな歯車。
それにつながる、少し長めのベルト。
進むための力は、後ろへ送る。
「……よし」
声に出すと、少しだけ緊張がほどけた。
完璧じゃない。
でも、昨日までの形とは、明らかに違う。
自転車を庭へ運び出すと、ルーカスがついてきた。
上着を持ってきてくれている。
「なんか、増えてない?」
「増えた」
「だよな」
後輪の歯車を見て、彼は目を細める。
「これ、踏んだ力がここに来るのか」
「うん。前で踏んだ力が、歯車で後ろに送られる」
「なるほどなあ……」
納得したような顔。
私は、頷いてから、深く息を吸った。
もう一度、乗らなければならない。
怖い。
前回、空と地が反転しかけた瞬間は、まだ頭に残っている。
——大丈夫。まだ不完全だけど、安定するように改良した。
しっかり息を吐いてから、言葉にする。
「乗るね」
「無理するなよ」
ルーカスは、私が倒れてもいいように、すぐに自転車を支えられる位置に立ってくれる。
それだけで、ひどく安心した。
彼が支えてくれる。そう思うと、思いっきり乗ってみようという気になる。
「うん」
跨る。
ハンドルを握る。
足を、ペダルに乗せる。
ぎい、と木が鳴った。
一歩目は、やっぱり重い。
でも——
歯車が、噛んだ。
かちり、と。
小さな音なのに、胸の奥まで響く。
くる、と。
後ろで、確かな回転が生まれる。
初めて、力が暴れずに、前へ進んだ。
「……あ」
前輪が、落ち着いている。
ハンドルが、暴れない。
身体が、前に引っ張られすぎない。
私は、もう一度踏み込んだ。
今度は、ちゃんと進む。
風が、頬を打った。
ほんの一瞬だけ、足が地面から遠くなる感覚。
走っている。
私が作ったもので。
胸の奥で、何かが弾けた。
「おお……!」
後ろから、ルーカスの声がした。
思わず笑ってしまう。
「まだ、ぎこちないけどね」
曲がろうとすると、やっぱり少し怖い。
止まるときも、余裕はない。
でも。
倒れない。
ちゃんと、前へ行く。
庭を半周して、ゆっくり足を止めた。
胸が、少し苦しい。
でもそれは悪い感じじゃない。
「どうだった?」
ルーカスが近づいてくる。
「……前より、ずっといい」
「やっぱり?」
彼は、嬉しそうに笑った。
「でも、まだ調整がいる」
「そっか。音もギシギシ鳴ってるしな」
「うん、もっと綺麗に歯車をかみあわせて、音を小さくしたい」
自然に、次の話になる。
失敗を数えるんじゃなくて、次を話し合える。嬉しい。
私は、自転車を見下ろした。
まだ粗い。
でも、ちゃんと“走ろうとしている”。
見えない力は、少しだけ、形になった。
「ねえ、ルーカス」
「ん?」
こちらを見返す碧色の目を見つめる。
「これさ、もう一回作り直すけど……付き合ってくれる?」
「今さら?」
彼は少し驚いたように即答した。そして、明るい笑顔で続ける。
「最後まで見るに決まってるだろ」
その言葉に、胸の奥があたたかくなる。
私は、うなずいた。
まだ、完成じゃない。
でも、確かに一歩進んだ。
歯車は、ちゃんと噛み合っていた。
あとは、迷わせないように、整えていくだけだ。




