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戻るもの、戻れぬもの

エルンストが戻る、と聞いて、私は倉庫へ足を運んでいた。


扉が開く。


外套を払う音。

低い足音。


「——戻った」


自然に皆の視線が集まる。


「おかえりー」


扉に背を向けていたアルドが振り向き、手をひらひらさせた。

ルーカスは机に広げた紙から顔を上げる。


「魔術院はどうだった?」


「決着はついた」


エルンストは簡潔に告げる。


「共同研究となった。今後、妨害はない」


アルドが肩をすくめる。


「やっぱりね。面子は守りたいってところか」


エルンストは否定も肯定もせず、室内を見回した。


「こちらは?」


アルドが先に口を開く。


「沈石粉が流れを可視化できる理由と、呪文の流れが元へ戻ろうとする理由。理屈は通った」


要点だけを、短く。


エルンストは頷いた。


ルーカスが紙束を差し出す。


「こっちも、ちょうど終わったよ。魔石の流れの分類」


机の上に並ぶ図。

沈石粉で浮かび上がった流れを書き写したものだ。


「形だけじゃ足りなかった」


ルーカスは一本の線を指でなぞる。


「同じ傾向の流れでも、速さが違えば振る舞いが変わる。太さが違えば、受け止め方も違う」


だから三つで見ることにした、と続ける。


ひとつ目は――流れの軌跡。

直線的に収束するもの。

緩やかな循環を描くもの。

分岐して拡散するもの。

波のように振動するもの。


ふたつ目は――流れる速度の帯域。

緩慢なものから、急速に走るものまで。


みっつ目は――流れの厚み。

細く鋭いもの。

幅をもって押し出すもの。


「この三軸で整理した。重ねてみないと、見えなかった」


アルドが低く笑う。


「ずいぶん丁寧にやったな」


「あんたがやらないからだよ」


ルーカスは肩をすくめる。


エルンストは紙を手に取り、数枚めくった。


「……無駄がない。魔石側は整ったな」


その一言に、場の空気が静かに引き締まる。


「呪文の流れも整理済みだよ」


ルーカスが別の紙を差し出す。


「おおー、すごい。いつのまに」


アルドがぱちぱちと拍手する。

ルーカスは横目で見て、軽く息を吐いた。


エルンストは紙を揃え、机に戻す。


「次は、相性を確かめる段階だな」


倉庫の空気が、確実に前へ進んでいる。


研究は、動いている。


アルドがふと、私を見る。


「君は?」


軽い調子。けれど、逃げ場はない。


「あ……私は」


一瞬、言葉が遅れる。


「もうしばらく、自転車に専念します」


静かな間。


「ギルド経由で増産をしようということになって…」


ルーカスが目を丸くする。


「そんなに?」


少しだけ笑う。


「クララさんが今、ギルドに相談してくれてるの」


「それが軌道に乗れば、戻れると思います」


そう言いながら、自分でも確信はなかった。

だけど、焦りは、声に出さない。


エルンストは短く言った。


「そうか」


それだけだった。

それ以上は、何も聞かなかった。


ルーカスとアルドは残って記録を整理するらしい。

私はエルンストとともに倉庫を出た。


外は夕暮れに沈みかけている。


足音が二つ、並ぶ。


少し歩いたところで、エルンストが止まった。


「寝ていないのか」


唐突だった。


足が止まる。


「……え?」


「くまができている」


心臓がひとつ、強く打つ。


「研究より楽ですから」


それは、半分だけ本当だった。


うまく笑えただろうか。

胸の奥に沈めたものが、微かに軋む。


嬉しいはずなのに。

自転車が広がることは、間違いなく前進なのに。


けれど、研究から少し離れている今、

自分だけ流れから外れている気がする。


置いていかれるような、怖さ。


エルンストはしばらく私を見て、それから視線を落とした。


「研究は逃げない。……無理はするな」


それだけ言って歩き出す。


私は一瞬遅れて、後を追った。


流れは整いはじめている。


けれど。


自分の流れだけが、まだ、戻り先を決めきれずにいる。

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