戻れない流れ
倉庫の扉を開けると、石の匂いがした。
棚の前に、魔石がずらりと並んでいる。
その前で、ルーカスが腕を組み、唸っていた。
「あれ、フィーネ。どうしたの」
「今日は商会の方に用事があって」
「自転車で?」
「うん」
視線がふっと私の顔に止まる。
「……ちゃんと寝てる? くま、ある」
そう言われると同時に、頬にそっと手が触れた。
思わず目を見開く。
一瞬だけ、時間が遅くなった気がした。
ルーカスもはっとして、すぐに手を離した。
「ごめん。勝手に触って」
「ううん、大丈夫。最近ちょっと忙しくて。夜も作業してるから」
「……無理するなよ」
優しい声。胸があたたかくなる。
「ルーカスは? 分類?」
「うん……これ」
床に広げられた紙には、魔石ごとの流れが描かれている。
似ているようで、どれも微妙に違う。
分ける基準を定めるだけでも、一苦労だとわかる。
「これ、一人でやってるの? アルドさんは?」
「あの人? 自由人だからさ。興味が向いたことしかやらない。分類は嫌いなんだよ」
そのとき。
「聞こえてるぞ」
背後から声。
アルドが、ひょいと顔を出す。
「代わりに、沈石粉の魔力伝導率は測っといた」
ルーカスが顔を上げる。
「は?」
「なんで沈石粉が流れに沿って動くのか、気になってたんだ。粉そのものの伝導率を測った。魔石と同程度に高い」
「それって……」
私は首を傾げる。
「油で重みを持たせた粉は散らない。そこに魔石を置くと、粉の内部にも流れが生じる。正確には、魔石の流れが粉へと拡張される。だから粉が並ぶ」
さらりと言う。
沈石粉が流れを可視化する理由が、これで確定する。
「それと」
アルドは一枚の紙を広げた。
「呪文で作った流れが、なんで元に戻ろうとするのかも試した」
ルーカスが眉をひそめる。
「また勝手に……」
「制御下だって」
アルドは肩をすくめる。
「一定時間、強制的に流れを書き換える呪文をかける。解除後、時間ごとに魔力密度と位相のずれを記録した」
紙には、いくつもの曲線が描かれている。
解除直後は乱れている。
けれど、時間が経つにつれて、同じ形へと収束していく。
「何度やっても同じだ。元の流れが、最もエネルギーの低い安定状態。呪文は外から持ち上げているだけ。手を離せば、落ち着く場所へ戻る」
倉庫が、しんと静まる。
私とルーカスは思わず顔を見合わせた。
ルーカスが小声で呟く。
「すごいのはわかるんだけど…」
ぼそりと、私にだけ聞こえる声。
苦笑が混じる。
アルドはおそらく、思いつけば一気に核心へ届くタイプなのだろう。
その速さに、周りが置いていかれることもある。
ルーカスは違う。
散らばった結果を拾い、順序をつけ、形にする。
今は分類で立ち止まっているけれど、きっとこの複雑さを、誰よりもきれいに編み上げる。
私は——
そのとき、ふと現実に引き戻される。
自転車は、有難いことに評判は上々だ。
商会から、次から次へと依頼が入る。
夜鍋しても、間に合わないほど。
ありがたい。
本当に、ありがたい。
けれど——
成功は、私を縛る。
断れない期待。
積み上がる注文書。
関わらないまま増えていく研究の記録。
魔石に向かう時間は、静かに削られていく。
流れは元へ戻るのに。
私は、戻る余白を失っていく。




