魔術院1(エルンスト)
魔術院は、静かだった。
長い廊下を歩く。
高い天井。足音が乾いて響く。
扉の前で、案内役が止まった。
重い扉が開く。
応接室の窓辺に、老人が座っている。
細い目。
笑っているようで、底が見えない。
魔術院長。
中央の狸爺と並び、狐爺と呼ばれる男。
背後には、書類を抱えた書記官。
私は一礼した。
「研究の件で、伺いました」
狐爺が頷く。
「中央からの通達は受け取っておる」
目が細くなる。
「研究を始めたことは承知しておる。だが——何をしているのかは聞いておらぬ」
「本日は、その説明に参りました」
私は小瓶を机に置く。
灰色の粉末が入っている。
「沈石粉です」
書記官が眉をひそめる。
「……工房で使う補助材では」
「そうです。用途は、魔石の荒れを抑えるためのものです」
一拍置く。
「ですが、油を少量含ませると、別の用途として使えます」
狐爺の視線が瓶へ落ちる。
「魔石の流れの可視化です」
私は魔石も机に置いた。呪文付きの魔石だ。
「流れの可視化? なぜそんなことができる」
「沈石粉は、劣化した魔石を砕いたものです」
粉を指先でわずかに揺らす。
「そして——砕いても魔石由来の性質を完全には失っていないと考えられます。おそらく、魔力伝導率が高いまま残っている」
書記官の視線がわずかに動く。
「油で重みを持たせた粉は、表面に貼りつきながら、魔石内部の流れを粉にも通そうとする力に引かれ、動きます」
私は魔石の上に粉を振った。
「現段階では、挙動からの推測ですが」
室内の視線が、石の上に集まる。
灰色の粒が石の上に落ちる。
一瞬、ばらける。
だが散らない。
粒は、わずかに震え——
静かに、滑り始めた。
——やはり、動く。
無秩序ではない。
かといって単純でもない。
細く、曲がり、分かれ、また寄り添い、
幾重にも重なりながら、石の上に複雑な軌跡を描いていく。
「これにより、魔石内部の流れが可視化できます」
粒はやがて落ち着き、一定の並びを形づくった。
「再現性があります。呪文を変えれば並びも変わる」
私は一度、魔石に刻まれた呪文を剥がす短い術式を唱えた。
粉が一瞬、張りつめる。
そして——
動き出す。
先ほどとは異なる軌跡。
より入り組み、折れ、緩やかに曲がり、
石の表面に複雑な流動の痕を描いていく。
整然とはしていない。
だが、乱れてもいない。
狐爺の細い目が、わずかに見開かれた。
「……術式がなくとも、流れるのか」
私は言う。
「魔石には元々固有の流れがあります」
書記官が鋭く口を挟む。
「魔石の力は術式によって制御されるものだ。術者の手を離れて流れなど存在せぬ」
私ははっきりと言った。
「いいえ。流れは存在します」
視線を逸らさない。
「術式はそれを上から書き換えているに過ぎません」
粉が描く軌跡を示す。
「これが魔石固有の流れです」
私は先ほど剥がした呪文と同じ基礎呪文を、再び付与した。
空気が、わずかに震える。
粉の並びが動く。
そして——
剥がす前と、同じ軌跡へ戻る。
「呪文は流れを上書きします」
私は資料を開く。
呪文ごとの特定の流れが記されている。
「ですが、元の流れは消えません。時間経過とともに戻ろうとする。…その過程で、上書きされた流れと、復元しようとする流れが干渉します」
頁をめくる。
これは、資料を作る際に追加で実験をした。
「干渉が局所的な滞留を生みます。滞留が限界を超えれば、爆発します」
さらにもう一枚。
擬似的に詰まりを作った魔石の実験結果。
室内の空気が重く沈む。




