場所の話
街に出て、ブレーキを試すことにした。
走る。
引く。
——止まる。
何度か繰り返しても、挙動は安定している。
濡れた石畳でも、極端に効きが変わらない。
「……うん」
これなら、大丈夫だ。
そこへ、聞き覚えのある声がした。
「あら、フィーネじゃない」
振り向くと、商会主のクララが立っていた。
「今日も自転車に乗ってるのね。…あれ?何か、増えてない?」
「ブレーキです。止まる仕組みを——」
説明すると、クララは目を細める。
「いいわねえ。走るだけじゃ、売れないもの」
一拍置いて、ぴしっと言った。
「構造登録は?」
「……してません」
「しなさい。今日の帰りにでも」
即答だった。
「私が悪い大人だったら、奪われるわよ?
“誰が最初に考えたか”なんて、気にしないもの」
私は、はっとして頷いた。
「はい…そうします」
少し歩きながら、雑談になる。
「最近どう?」
何気ない一言に、言葉が零れた。
「……居場所が、なくなってしまって」
クララは、歩調を緩めた。
「どういうこと?」
「実験をしてたんです。でも、場所が使えなくなって」
「どんな実験?」
「……内容は、言えないですけど」
少し考えて、条件だけを口にする。
「人があまり来なくて、防爆で…多少、音が出ても大丈夫な場所でしないといけない実験で」
クララは、ふうん、と言ってから笑った。
「危険な実験ね」
「そうですね」
クララがじっと私を見る。
「場所がなくなったからって、やめるの?」
「……」
私は、答えられなかった。
やめたくない。
だけど、現実的な問題で、場所がないとやめるしかない。
「場所がないなら、作ればいいじゃない。」
「作る…」
そんな簡単に言えることだろうか。
研究室は、借りたものだった。
与えられた場所だった。
自分で“作る”なんて、考えたこともなかった。
魔法使いでない私が、魔石研究のために、場所を作る。
一体、どれだけの人が協力してくれるというのだろう。
きっと、そんな人ほとんどいない。
「うちに場所あるけど。使う?」
思わず、足を止めた。
胸の奥が、揺れる。
今すぐ頷きたい。
だけど。
「……一度、相談してみます」
「誰に?」
「……研究者の人に」
クララは、察したように頷いた。
「じゃあ、決まったら言いなさい。
その代わり——」
にやり、と笑う。
「自転車、うちで売らせてね」
「……はい」
別れたあと、私はそのままギルドの構造登録所へ向かった。
登録所の看板の前で、足が止まる。
前にも、ここに来た。
あのときは、ルーカスが隣にいてくれた。
場違いだと言う私を、大丈夫だと背中を押してくれた。
今日は。
誰も、そう言ってくれない。
だけど。
考えた。
作った。
だから、守る。
それだけは、忘れちゃいけない。
今日は、自分で「大丈夫」と言わなければならない。
私は顔を上げて受付のところに行く。
前回と同じく、中にすんなりと通してもらえて、登録はつつがなく進む。
登録の最後に自分の名前を書くとき、ペンを持つ手が、わずかに止まった。
前は、隣から覗き込まれていた。
今日は、自分の字だけがそこに残る。
登録を終えて、外に出る。
夕方の光が、石畳に伸びていた。
流れを止める形は、作れた。
——次は、どこで走るか、だ。
そう考えないと、立っていられなかった。




