足りないもの(ルーカス)
会議室の扉が閉まる音を聞いてから、少し間があった。
足音が遠ざかる。
フィーネの気配が、完全に消える。
……よし。
俺は、椅子から立ち上がった。
「用とはなんだ」
エルンストが、書類をまとめながら、一瞬だけ視線をこちらに寄越す。
「手短に頼む」
「……魔法を、教えてほしい」
空気が、ぴしりと張りつめた。
エルンストの手が止まる。
ゆっくりと顔を上げ、俺を見る。
「私は、誰かに教える立場にない」
即答だった。
「君は、魔法学校に行っていないのか?」
「行ってません」
「なら、なおさらだ。体系的な教育を受けていない者に、中途半端に教えることはできない」
正論だ。
反論の余地はない。
「それでも、お願いしたいんです」
頭を下げる。
エルンストは、俺をしばらく見ていた。
「……荷物の爆発の件だが」
不意に、話題が変わる。
「現場を、後から見た」
一瞬、息が止まる。
何を言われるのかと、身構えた。
「……あの一瞬で、
防護、圧縮、遮断の魔法を走らせ、
衝撃を分散させていた」
淡々とした声。
「完全には抑えきれていない。
だが、あれは即席でできる構成ではない」
俺は、何も言えなかった。
「魔法学校に行っている者でも、
同じ状況で、同等のことができる者は多くない」
エルンストはさらに続ける。
「君が、魔法を仕事にするとしても、今のままでも、十分だろう」
俺は、首を振る。
「今のままじゃ、足りないんです。
俺も、父から教わるだけで十分だと思ってました。でも、それじゃ足りない」
——フィーネを守るには。
でも、それは、言えない。
だから、もう一度頭を下げる。
「雑用でも、記録でも、何でもいい。
教えてもらえるなら、やります」
しばらく、沈黙が落ちた。
「——断る」
エルンストの声は、低く、はっきりしていた。
「私は、人の人生に責任を持つ教え方はできない」
「……」
「君は、別の道を探すべきだ」
「そんなに堅く考えなくてもいいんじゃない?」
軽い声が割り込んだ。
いつの間にか、壁際にいたアルドが、こちらを見ている。
「アルド、口を挟むな」
「ええ〜。せっかく便利そうなのに」
アルドは、俺を一度だけ見て、笑った。
「君、ギルドの職員みたいなもんなんでしょ?
じゃあ、雑用要員として置いとけばいいじゃん。
教えるって言うより、使う、でさ」
胸の奥が、少しだけ冷えた。
——駒。
そう扱われているのは、わかる。
「それでもいい」
俺は、はっきり言った。
「使ってください」
エルンストが、驚いたように俺を見る。
「……本気か」
「はい」
逃げ道は、もうない。
「失敗しても、文句は言いません。
時間がかかっても、ついていきます」
エルンストは、深く息を吐いた。
「……アルド」
「なに?」
「君は、黙っていろ」
「はーい」
アルドは楽しそうに肩をすくめた。
エルンストは、俺に向き直る。
「教えるとは言わない」
「……」
「だが、そばで見て、手伝うことは許可する。
理解できなければ、置いていく」
それだけ言って、視線を外す。
「それでもいいなら、明日から来い」
胸の奥が、ぎゅっと締まった。
「……ありがとうございます」
さらにもう一度頭を下げると、エルンストはもう書類に戻っていた。
会議室を出る。
廊下の窓から、夕方の光が差し込んでいた。
誰かの瞳よりも、少しだけ赤い。
だけど、同じくらいきらきらしている。
——間に合わないことが、増えている。
それが、立ち止まる理由にはならない。
フィーネが、前に進み続ける限り。
俺だけが、立ち止まるわけにはいかない。




