触れられない火
私は市場の魔具店に足を運んだ。
以前エルンストに出会った魔具店には、行きづらくなってしまった。
「お、また来たか!」
店先で声をかけてくるのは、いつもの店主。
相変わらず陽気で、よく通る声だった。
「嬢ちゃん、目がいいからなあ。見てるだけでも勉強になるだろ?」
「……はい」
曖昧に答えると、男は気にした様子もなく笑う。
「触らなきゃいいんだ、触らなきゃ!最近はみんな、すぐ壊すからさ」
冗談めかして言って、また別の客のところへ行ってしまう。
棚に並ぶ魔具。
エルンストに会った魔具店より、種類が豊富だ。
私は、触らずに見ていく。
店の奥で、子どもの笑い声がした。
振り向くと、2人の子どもが、しゃがみ込んでいる。
親は、少し離れた棚で商品を見て話し込んでいる。
「ほら、あったかい!」
「こっちのほうがいい!」
床に置かれた暖房魔具を引っ張っている。
——あれは。
以前、質感の違う部分があった魔石のものだ。
私は、思わず一歩、前に出て——止まった。
もう、触っちゃいけない。
今は沈石粉もない。本当に流れが詰まっているかどうかもわからない。
あれは、偶然だった。
私に、止める手は、ない。
胸に、小さな重みが溜まっていく。
だけど。
どうしても気になってしまう。
私は近づいてそっと覗き込んだ。
「もっとあったかくなったらいいのに!」
「ね!」
そう言いながら、魔石部分をガツンと蹴った。
その瞬間。
魔石の上の空気が、ゆらめいた。
——やめて。
声が出ない。
ぱち。
小さな、乾いた音。
市場の喧騒に紛れるほどの、些細な音だった。
それでも、はっきりと聞こえた。
魔石の中に、熱が集まり始めている。
「……っ」
息を吸い込んだ瞬間、熱が立ち上った。
赤い。
鍋のときと同じ色。
——違う。
あの時より、早い。
「……っ」
空気が揺れる。
子どもたちが、きょとんとした顔で魔具を覗き込む。
近い。
近すぎる。
「離れて!」
叫ぶ。
子どもたちが驚いて立ち上がる。
同時に、魔具の周囲の空気が、目に見えて揺れ始める。
「熱いぞ!」
「なんだこれ!」
周囲の人が、ざわめく。
「きゃっ!」
小さな悲鳴。
振り向くと、子どもの一人が、尻もちをついていた。
魔具のすぐそばだ。
——近すぎる。
頭の中が、一気に冷える。
触れるな。
触るな。
そう言われた。
魔石は、もうはっきりと熱を持っている。
——怖い。
鍋の時は、偶然助かった。
後から、危ないことをしたと肝が冷えた。
そう何度も偶然が続くとは思えない。
——逃げたい。
でも、そうしたら、あの子は?
うずくまって、幼い顔を泣きそうに歪めている。
まだ、エミールより小さい。
震える足を動かす。
子どもと魔具の間に体を入れ、庇うように覆い被さる。
熱が、一気に背中を舐めた。
「——っ!!」
息が詰まる。
鼻の奥で、焦げる匂い。
皮膚の上を這うような熱。
空気が、薄くなる。
魔石の流れが、暴れている。
——数秒。
きっと、それしか、残っていない。
爆発の直前。
沈石粉は、ない。
止める術はない。
それでも。
できるだけ、遠くへ。
私は、腕を伸ばした。
魔具の枠に、指先が触れる。
包帯越しに触れた金属が、焼けるように熱い。
——間に合わない。
そう思った瞬間だった。
「——やめろ!」
空から、声が落ちた。
同時に、圧が、叩きつけられる。
見えない力が、魔具を包み込んだ。
暴れていた流れが、強制的に押さえ込まれる。
熱が、引く。
一瞬で。
私は、床に伏せたまま、息を吐いた。
——止まった。
周囲が、ざわめく。
「魔法使いだ!」
視界に、黒い外套がはいる。
顔を上げると、そこにいた。
エルンスト。
外套を翻し、魔具の前に立っている。
「……君は」
エルンストは振り返って私を見る。
目が吊り上がり、眉間に皺が寄っている。
怒っている。
はっきりとわかるほど、怒っている。
「——動くな」
短く命じる。
彼は、素早く追加の呪文を重ね、魔石を完全に封じた。
魔石はただの冷えた石に戻る。
遅れて、息が戻ってきた。
子どもは、私の下を抜け出し、誰かに抱き上げられている。
泣いているが、無事だ。
エルンストは、ゆっくりこちらへ来た。
「……君」
低い、硬い声。
「なぜ、覆い被さった」
私は、床に座ったまま、答える。
「……子どもが、逃げる時間が、なかったから」
「だからといって——」
言いかけて、止まる。
エルンストは、一瞬、目を伏せた。
「……確かに、あのままでは確実に爆発していた」
そう言って、エルンストは一度だけ、視線を逸らした。
「だが——あれは、命を捨てに行く行動だ」
低く、噛みしめるような声だった。
責めている。
けれどそれだけではない。
押し殺した何かが混じっている。
「……はい」
喉がひりつく。
エルンストは、短く息を吐いた。
「……君は」
一拍。
「放っておく方が、危ないな」
その言葉は、諦めのようなものを含んでいた。
「立てるか」
「……はい」
手をついて立ち上がると、足が少し震えた。
熱はもうない。
けれど、体が、遅れて恐怖を思い出している。
エルンストは、魔具店の店主に向き直った。
「ギルドの職員がすぐ来ます。それまで、この魔具には触れないでください」
「……え、ええ、もちろん!」
店主は何度も頷き、周囲の人々にも声をかけ始める。
その時。
「フィーネ!」
声がした。
人混みをかき分けて、こちらに来る。
ルーカスだった。
息を切らし、こちらを見て目を見開く。
「……何があった?」
「爆発しかけた。もう、大丈夫」
短く答えると、彼の視線が、私の汚れた包帯の手と、煤のついた外套に止まる。
「大丈夫、じゃないだろ」
さらに言いかけたところで、エルンストが間に入った。
「君は、ここまでだ」
静かだが、有無を言わせない声音。
「彼女に話がある」
ルーカスは一瞬、言葉を失う。
私を見る。
何か言おうとして、でも、飲み込んだ。
「……フィーネ」
「すぐ戻る」
そう言うと、彼は、納得しきれないまま頷いた。
背中に、視線を感じる。
エルンストは歩き出す。
「来なさい」
私は、一度だけ振り返り、
それから、エルンストの後を追った。




