動く線
作業台の上に計測用の魔具が置かれた。
掌に収まる程度の金属枠。
よく見ると、エルンストの上着の胸元についている紋章と同じ柄が、小さく刻印されている。
そして中央に、魔具に対して大振りな魔石がはめ込まれている。
淡く、安定した光。
「沈石粉をひとつまみ出して、油を一滴加えて」
ルーカスは頷き、沈石粉を小瓶の蓋に少量出した。
そこへ、油を一滴。
「……魔石の表面に、粉を落として」
ルーカスが、そっと振りかける。
すると。
沈石粉が、微かに震え、ゆっくりと線を描き始める。
「……動いた」
ルーカスが、思わず声を落とす。
それは、今までみたどんな魔石の流れよりも、太い一本の流れになっていた。
今までは、魔石の形、角度に沿って分岐したり、集まったりしながら流れている部分が多少あった。
だが、この魔具には、それがない。
太い一本の流れが、左に折れたり、下に下がったり、今度は右に曲ったりと魔石の中をうねりながら流れている。
——流れが、強く、精密に制御されている。
「……抑えられてる」
思わず、口から漏れた。
「呪文で、外から」
エルンストの方を見る。
彼は、魔具を見ていた。
目は細く、沈石粉の動きだけを追っている。
「……なるほど」
低く、呟く。
そして、短い詠唱を2回。
空気が、ぴんと張る。
同時に——
沈石粉の線が、一瞬止まったかと思うと、今度は違う方向に向かって動き始める。
「本来かかっているものを消し、別の呪文をかけた」
エルンストはさらに続ける。
「確かにこれは、君のいうとおり、魔石の中の、”流れ”が見えているようだ」
エルンストは、沈石粉の残った小瓶を手に取った。
指で軽く振る。
中で、灰色の粉がさらりと動く。
「……沈石粉は、本来、魔力を“重くする”だけの素材だ。だが、君の使い方だと——」
一瞬、言葉を切る。
「わずかに、吸っているようにも見える」
ルーカスが眉をひそめる。
「吸う? 魔力を?」
「完全にではない。流れを止めるほどでもない」
沈石粉を見つめたまま、続ける。
「だが、余剰を引き受けている可能性はある。
詰まりが起きたとき、一時的な“逃げ場”になる程度に」
私は、息を止めた。
「……それって」
「仮説だ」
すぐに、切る。
エルンストが、魔具から視線を外さずに言う。
「魔石が暴走した時にやった君の方法は、危険だ。
条件が揃わなければ、次は死ぬ」
胸が、きゅっとなる。
「……本来なら」
低い声。
「一般人が、暴走中の魔具に手を出せば、懲罰対象だ。
過去に、知識のないまま触って悲惨な事故を起こしたケースがあるからな」
空気が、凍った。
ルーカスが、わずかに息を吸う音がした。
「たとえ、結果として被害を止めていてもだ」
私は、喉が鳴るのを感じた。
「魔石の制御権は、魔法使いにのみある」
一つずつ、打ち込むような言葉。
「今回は、爆発を止めた。だから処罰はしない」
一拍。
「だが、二度目はない」
心臓が、強く打った。
「もう、触るな」
静かな断言だった。
逃げ道のない言い方。
私は、膝の上で包帯の手を握った。
指先が、じん、と痛む。
助けた。
でも、それは“許された”わけじゃない。
「……でも」
声が、勝手に出た。
ルーカスが、こちらを見る。
エルンストも、ゆっくり視線を向けた。
藍色の目が、こちらを見据える。
「……爆発は、偶然じゃないと思うんです。流れが詰まってしまってるだけで」
声が震えた。一瞬、後悔する。
言うべきじゃなかったかもしれない。
だけど、エルンストの目を見て言う。
「流れが見えるのなら…壊れる前に、変だって気づけるかもしれない」
「それ以上、言うな」
エルンストの声が、低く落ちた。
私は、口を閉じた。
「見えるから、触っていいわけじゃない」
一歩、近づいてくる。
「見えるものほど、危険だ」
その距離が、怖かった。
でも、目はそらせなかった。
近い距離で、目が合う。
「“かもしれない”で、町は守れない」
静かな言葉。
「可能性は、力じゃない」
それで、終わりだった。
エルンストは、踵を返す。
「ここから先は、魔法使いの管轄だ」
扉へ向かいながら、最後に言った。
「次に同じことをすれば、助けたかどうかは関係ない」
扉が閉まる。
音が、やけに大きく響いた。
工房に、私とルーカスだけが残る。
ルーカスが何か言いたそうに口を開きかけて、けれど、一度閉じる。
ルーカスの手が、握り拳を作った。
「……あいつは正しい」
低い声だった。
「でも、それで全部済むわけじゃないだろ」
私は、包帯の手を見つめた。
魔法使いではない私は、触ってはいけなかった。
そう言われた。
正しいのだと思う。
魔石の制御は、魔法使いのもの。
流れを扱う資格があるのは、選ばれた側だけ。
私は、選ばれていない。
魔法使いに憧れていた。
小さい頃から、ずっと。
呪文を唱える姿が、空を飛ぶ姿が、ただ、まぶしかった。
でも——
あのとき。
止められるかもしれない、なんて。
やってみたい、なんて。
思わなかった。
ただ、目の前で、光が強くなって。
熱が膨らんで。
人が悲鳴をあげて。
“止めなきゃ”としか、考えられなかった。
……本当に?
胸が、小さく軋む。
流れが見えたとき。
詰まりがわかったとき。
少しだけ。
ほんの、少しだけ。
「私にも、できる」と思わなかっただろうか。
その一瞬が、なかったと言い切れる?
包帯の下で、指先がじくりと痛む。
思い上がっていなかった、と言えるだろうか。
偶然だった。
運が良かっただけだ。
沈石粉の量を、間違えていたら。
穴の位置が、ずれていたら。
爆ぜていた。
私ごと。
次は死ぬ。
エルンストの声が、耳の奥で繰り返される。
見えるから、触っていいわけじゃない。
見えるものほど、危険だ。
私は、知ってしまった。
魔石の中に、流れがあること。
詰まれば、暴れること。
全部。
知らなければ、よかったのだろうか。
知らなかった頃に、戻れるだろうか。
——きっと、無理にでも戻らないといけない。
胸に何かが燻っている。
悔しさか。
恐れか。
包帯を巻かれた右手を、そっと握る。
痛みは、確かにある。
けれど。
それでも。
私は、あの“動く線”を、忘れられないと思った。




