線を引く人
呪文をかけ終えると、エルンストはすぐに私の手を離した。
それ以上、触れようとしない。
気遣いというより、線を引くような動きだった。
彼は周囲を見渡す。
「下がってください」
声は大きくない。
けれど、逆らえる気がしなかった。
人の輪が、自然と一歩、二歩と下がる。
エルンストは鍋の前に立ち、外套の裾を払った。
魔石の前で、足を止める。
沈石粉の痕を、今度ははっきりと観察する。
私がつけた、即席の逃げ道。
「……応急処置だな」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
次に、短い呪文。
空気が変わる。
見えない壁が、魔石を包む。
さらに呪文を重ねる。
魔石が魔力を失ったように、固まった感じがする。
止めている。
私とは、違うやり方で。
私は、思わず息を詰めた。
エルンストは、魔石に触れない。
壊さない。
逃がさない。
力そのものを、抑え込んでいる。
やがて、魔石の赤みが完全に引いた。
通りに、遅れて安堵の息が広がる。
「……終わりました」
エルンストは、そう言って振り返った。
誰かが拍手しそうになり、
でも、その空気はすぐに消えた。
彼は賞賛を求めていない。
事務的に、遅れてやってきていたギルド職員たちに指示を出す。
「鍋は隔離。魔石は封印処置を施す。使用記録と製作者名を提出してください」
ギルドの人間が、慌ただしく動き出す。
私は、その様子をただ見ていた。
エルンストは、ふとこちらを見た。
さっきのような鋭さはない。
だが、視線は外れない。
「……君」
私は、背筋を伸ばす。
「あとで、話を聞く。今はきちんと治療をしてもらいなさい」
それだけ言うと、彼は背を向けた。
もう、こちらを見ない。
通りが、片づけられていく。
日常が、戻ってくる。
私は、腫れた指を、ぎゅっと握った。
私の対応は、応急処置、一時凌ぎ。少しの間暴れを止めた。
でも、彼は、完全に魔石を止め、管理している。
立っている場所が、まるで違った。




