表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/70

暴れる鍋

次の日の昼過ぎ。

父のお使いで市場に来ると、通りがざわついていた。


通りに面した一角。

そこに人が集まっている。


私は後ろから近づき、人々の視線の先を覗く。

そこで、目を見開いた。


——赤い。


光ではない。

熱の色だ。

熱で、空気が揺れているのが、はっきりと見えた。


周囲を壁に囲われた奥まった屋台で、大きな鍋が地面に横倒しになっている。


鍋の腹が割れ、内部がむき出しになっていた。

埋め込まれていた魔石が、露出している。


「……下がれ!」


誰かの声に、人の輪が後ずさる。

誰も前には出られない。


鍋の向こう側——

通りと反対側、屋台の奥で、白髪の老婆が壁にもたれて座り込んでいた。


屋台の主だ。


背後も、左右も壁。

逃げ道は、鍋を越えて通りに出るしかない。


だが、その鍋が——近づけない。


鉄枠は赤く焼け、地面まで熱を帯びている。


老婆の杖をつく手が、小さく震えていた。


「……あ……」


声にならない声。

足が、動いていない。


「おばあさん、離れて!」


通り側から声が飛ぶ。

誰かが腕を伸ばす。


——だが、途中で止まった。


近づいただけで、熱が肌を刺す。


「熱っ!!」


短い悲鳴。

手は即座に引っ込められた。


抱えて引きずることもできない。

無理に近づけば、次は——


「もう爆発するぞ!」


裏返った声が響く。

その一言で、人の輪がさらに下がった。


——このままだと。


喉がひりつく。頭では下がるべきだと思っているのに、足は前に出ていた。


「……沈石粉、持ってる」


自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


「待て! 危ない!」


止める声が、背中に飛ぶ。

分かっている。

でも。


私は工具袋から沈石粉を取り出し、小瓶の油を垂らした。


鍋の縁に近づく。

熱が、針みたいに肌を刺す。


息を止め、腕を伸ばして粉を振りかけた。


——動いた。


灰色の粉が、線を描く。


だが。


「……だめだ」


これだけ荒れていたら、

沈石粉では抑えられない。


それでも——

線の集まる一点が、見えた。


魔石の内側で、流れが潰れている。

落下の衝撃で詰まってしまったのかもしれない。


「……詰まってる」


それがわかったところでどうにもならない。

沈石粉では荒れは治らなかった。


——どうしたらいいの。


こんなとき、魔法が使えたら。

そんな考えが、頭をよぎる。


だめだ、そんなことを考えても仕方がない。

思考を止めるな。

頭を振って追いやる。


魔石を見つめる。

線が、塊になっているところがある。


——詰まっているのなら。きっと、流れるようにすればいい。


私は、もう少しだけ鍋に近づいた。

手が届くように。


熱い。

熱で、まつ毛が焼けるような匂いがした。

鍋の底が、ぐにゃりと歪んでいる。


次に鳴る音が、最後かもしれない。


足が、逃げろと言っている。

でも、目は逸らせなかった。


私は、のみを取り出した。


そこで、動きを止める。


魔石だ。

壊せば、どうなるか分からない。


失敗すれば、きっと私も無事ではいられない。


足がさらにすくむ。


でも——老婆は、まだそこで座り込んだままだ。


歯を食いしばり、のみを握り直す。


狙うのは、魔石そのもの。

詰まりの先、流れが潰れている位置。


——打つ。


小さな穴が、開いた。


次の瞬間。

息ができないほどの熱が噴き出した。


「——っ!」


熱風が髪を巻き上げる。

腕が反射的に引ける。

一瞬、手放しかける。


このまま離れたら、

もう二度と、近づけない。


私は沈石粉を布で包んだ塊を、穴へ押し込んだ。


詰まりを流すための、仮の逃げ道。


熱い。それでも、離すわけにはいかない。


そのとき、熱がすっと引いた。


赤かった魔石の色が、ゆっくりと鈍くなる。

揺れていた空気が、静まっていく。


私は、膝をついた。


指先が、じんじんと痛む。

皮膚が赤く腫れていた。


「……おばあさん、今……」


声が、かすれる。


老婆は杖を頼りに立ち上がり、鍋の横をすり抜ける。

通りに出た瞬間、誰かが支えた。


安堵の声が、遅れて広がる。


私は、なんとか立ち上がった。

そして、まだ熱を残す魔石を見下ろす。


完全に冷えたわけじゃない。

でも——暴れは、止まっている。


溜め込まれた力は、

逃げ道を与えられただけで、静かになる。


——触ってしまった。


触らなければ、爆発していた。

触ったから、助かった。


緊張が解けたからか、頭がくらくらする。


ただ、指先の痛みだけが、現実だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ