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III 分け合うスイートピー、いつも君を想う

お読みいただきありがとうございます。

 『あの人』は柔らかい水色の髪の女性だった。

 最初に見かけたのは学園の入学式。


 ――彼女の寿命は、四年だった。


 それでも側にいてしまったのは、因果だったのか。それともその頃のハーゲンが、まだ運命は変わると信じていたからなのだろうか。


 きっかけは、人の多い図書室だった。連日の雨続き。中間試験の前とあって、雨音すら聞こえない程に図書室はひしめき合っていた。


「――お隣失礼してもよろしいですか?」


 顔を上げれば、流水を思わせる水色の髪の少女がいた。


「……どうぞ」

「ありがとうございます」


 無愛想な自分にも特段気を留めず、軽やかに笑う。

 彼女が普段愛用している西側の席を見て、ああと嘆息した。もうすでに使われていたのだ。

 相容れないはずだった。最初から知っていたから。彼女が長くないことを。


 けれどこの日を境に、彼女は時折ハーゲンの隣に座った。


「うふふ、辞典を忘れてしまったの」


 桜の花弁が、淡い色を保ったまま落ちていく。風にすくわれ、どことも知れぬ場所へ運ばれていく。ひとひらふたひらは、ハーゲンの定位置である席から見える窓へ。

 眉間を揉みながら、それを眺めている時だった。振り返るとハーゲンの隣に置いてある辞書を指さす彼女がいた。


「勝手に使っていい」

「あら、ありがとうございます」


 よっこいせ、と隣に腰を下ろした彼女は、それから何度か辞典を忘れた。


「ここの答え、分かりますか?」


 熱く湿った空気が頬をくすぐり、戯れに溶けていく。

 紙が自身の汗で湿るのを恐れ手を止めていれば、隣に彼女がいた。


「この問題か。複雑に見えるが――」

「なるほどなるほど。そういうことなのですね」


 ふんふんと話を聞きながら彼女が隣に腰を下ろす。問題を解き終わっても、彼女はずっとそこにいた。


「……あの、隣、良いですか?」

「ああ、君か」


 乾いた冷たい空気が木の葉を落とす。図書室から見える窓には、雲一つない空が広がっていた。淡水色に彼女を想うと、精霊のように彼女は側に現れた。

 今日は、頬が赤かった。


 それから、二人はずっと隣に座っていた。

 冬が訪れても、身を寄せ合うようにして。



「それは恋だよ、恋。ハーゲン、お前勉強だけしてるフリをしてちゃっかり青春も謳歌していたのかよ!」

「最近放課後の付き合いが悪かったのは、そういうことか?」


 アルドとエルドウィンに見つかり揶揄われた時、何度も否定した。彼女を愛してなどいないと。


 ……だけど。

 雲を掴むようだったけれど、もしかしたらあの関係に名前をつけていたのかもしれない。無意識の内に。

 

 ――でももう、彼女には時間が残っていなかった。


「あの……私、貴方のことがずっと前から好きで……」

「――……すまない、私は君を愛していない」

「……っ、なんで、だって」


「全て、君の勘違いだ」


 桜の蕾が解れようとしている。彼女は花弁を見ることは叶わないだろう。


 そして彼女は亡くなった。道が悪い所を馬車で走っていて、残っていた雪に足を取られたと後になって聞いた。


 彼女が亡くなって、二十歳で両親も馬車の事故で他界した。

 全てが終わり、一人でも世界が上手く回るようになったハーゲンは、時折彼女の涙を思い出す。


「酷い、酷い……っ」


 手で顔を覆って泣く彼女が、脳裏に鮮明に残ってる。


 酷いのは君だ。


 なぜかそう叫びたかった。


 分からない。死にゆくと知っている命の愛し方を。両親とも、いつまで経ってもよそよそしい付き合いしかできなかった。

 それに寂しさを覚えても。きっと一生、理解などできないのだろう。


◇◇◇


「――……様、アリアシネ侯爵様? ボーとしているようですが、大丈夫ですか?」

「……ああ、大丈夫だ」


 意識が浮上した。

 どうやら、夜会で堂々と意識を飛ばしていたらしい。


 今日は、寿命が近い者を見つけるために夜会に来ていた。

 エリーゼの作戦は、寿命が近い者の願いを聞き、それを叶えるというものだった。勿論、寿命のことは伝えず。


 萌黄色のドレスを着た彼女は、くいとハーゲンの裾を引く。


「あちらにいらっしゃるミューリス伯爵夫人が二週間で……というのは間違いないのですか?」

「ああ。……なにしろ、今まで外れたことがないからな。彼女も間違いないだろう」

「そう、ですか……」


 肩を下げる彼女の目には涙が溜まっていた。

 頬をペタペタ叩き気合いで引っ込め、彼女はえへへと笑う。


「その……親戚で、わたしにとっては叔母様に当たる人なんです。文通をしたりたまに我が家に来てくれました。わたしの、大好きな人です」

「……そうか。それは、辛いことを聞かせたな」


 顔の前で勢いよく手を振る。


「いえいえいえっ。アリアシネ侯爵様が謝ることなど、何一つありません。……それに、アリアシネ侯爵様が今向き合おうとしているのに、わたしだけ安全な場所なんて、少しばかり卑怯ではありませんか」


 強い人だと、もう何度もエリーゼをそう評した。神話の女神のような少女に、最近気後れする自分がいる。こんな少女に好かれているのは夢だと言われた方が、ハーゲンにとってはよほど現実味を帯びていた。


「では、行こうか」

「はい」



「――ミューリス伯爵夫人。ごきげんよう」

「あらまあ、エリーゼも今日は来ていたのね。うふふ、体調が良くなったの? 良かったわねぇ」

「あ、ありがとうございますっ」

「でも、ミューリス伯爵夫人なんて呼び方寂しいわ。名前で呼んでっていつも言っているでしょう?」


 すっかり会話の主導権を握られ、「……アルヴァ叔母様」目を回すエリーゼ。

 しょうがなく口を開いた。


「ごきげんよう、ミューリス伯爵夫人。お目にかかれたこと、嬉しく思います」

「まあ、お上手ね」

「……して、今日はなぜご参加を? いつもはお見かけしないので。それにミューリス伯爵卿も見当たりませんが」


 彼女の顔が強張った。


「……置いてきましたわ」


 それきり閉口してしまった。


「なぜですか、アルヴァ叔母様。……たしかに、我が家に来る際もいつもお一人ですが」

「……そうねえ」


 のらりくらりとしたが、エリーゼには勝てないらしい。

 アルヴァはドレスの裾を持ち上げた。


「わたくしね、今日――新しい夫を探しに来たの。息子二人も二十歳になったことだし、丁度良いかなって」


 エリーゼはバッと口を手で閉じた。さもなくば、ホール中に自分の声がこだましていたことだろう。


 眉尻を下げる。落ち着いてきて、そっと手を取った。


「ギャロン叔父様、浮気でもなさったのですか?」


 たまにしか姿を見ないが、しかし彼はとても実直な性格だった。

 顔の左半分に仮面をつけていて、幼いエリーゼが恐怖で泣いた時はしょんぼり落ち込んでいたくらいだ。


「いいえ、違うわ」

 違うらしい。


「ではどうして……」

「まだ四十五とはいえ、十分老い先短いんですもの。このままでいいのか、たまに考えていたのよ。ほら、このドレス似合う?」


 淡い紫色のドレスは、レースがなびき繊細な刺繍が施され美しい。……普段の彼女が身にまとうドレスより、幾分か派手な気がした。


「とっても綺麗ですっ。……アルヴァ叔母様がとても綺麗だから、ギャロン叔父様、きっと凄く心配なさっています。帰りましょう?」

「そうねえ」


 何を考えているのか分からない微笑みで頷く。


「ではアリアシネ侯爵様。今日はもう失礼させていただきますね。すみません」

「いや、良い」


 車の前まで二人を送ったハーゲンは、ホールの中央に向かおうとする。

 

「…………」


 興が乗らず、やっぱりワインを手に取った。


「……美味しいな」


 光溢れるホールの中央を見つめ、想う。

 唇が乾き、ワインで湿らせた。


「はぁ……」


 どうやら自分は思ったよりも、緊張していたらしい。

 そりゃそうだ、自嘲する。今まで一度だって、真っ向から向き合って来なかったんだから。



 車の中で、エリーゼはアルヴァの隣に座った。


「さっきの、本当ですの?」

「そう。もう決めたの」


 まだ納得がいかない彼女の手を握る。


「そう言えば、アリアシネ侯爵卿とはどのような間柄なの?」

「え? ――彼は、」


 ぐっと喉が詰まった。

 また否定されるかもしれない。変だと言われるかもしれない。


 頬を叩く。違う、と否定する。

 たしかに最初はそうだったかもしれない。けど母は自分を分かってくれた。いつも優しいアルヴァだって、きっと分かってくれる。それまでハーゲンの良い所を言い続ければいいのだ。


「わたしの、大好きな方です。……今は、想いは一方通行ですけど」

「そう。良い出会いがあったのね」

「っはい」


 ゆっくり、アルヴァは相槌を打つ。

 小さく口を開いた。 


「―――」

「なにかおっしゃいましたか、アルヴァ叔母様」

「なんでもないわ」


 二人を乗せた車は、元いた場所へ帰っていった。


◇◇◇


 二日後。


「……わたしは、覚悟を決めました。アルヴァ叔母様を全面的に支援します」

「ありがとう、エリーゼ」


 決意を滲ませた彼女を横目で見ながら、ハーゲンは居心地の悪さを覚えていた。

 今いるのは、ドレスを仕立てるための工房。女性しかおらず、頼みの綱のエリーゼはアルヴァと話している。

 こんなにも存在を空気にしたいと思ったのは初めてだった。


「では早速ですが、色々なドレスを着てみましょう」


 にっこり微笑み様々なドレスを掲げるエリーゼ。


「じゃあ着替えますね」

「わたしとアリアシネ侯爵様で、お互い十点満点で評価しましょうね」

「私もやるのか……」


 一着目は、レモンイエローのドレスに花のコサージュがいくつも縫い付けられているものだった。


「六点、ですかね。若々しいですがアルヴァ叔母の淡い雰囲気には合ってない気がします。なんというか、メリハリがないというか……」

「…………四点。もう少し深い色合いの方が似合う」


 肩を落とす彼女に、慌ててドレスを探す。


「あ、これなんてどうでしょうか?」


 光沢のある臙脂(えんじ)色のドレス。彼女の淡い金髪を引き立てる、深い赤色。


「赤……」

「駄目ですか?」

「そうね……他のを着ていいかしら?」


 暗に却下され、肩を落とした。


 アルヴァは目尻を下げながらも、他のドレスを選ぶ。


「次、次ね。この栗色のドレスなんてどうかしら?」


 落ち着いた型のドレスは品がある。しかし――


「……五点、です。装飾も少ないので一新するとは言えないかもです」

「二点。私にはさっきのドレスをなぜ嫌がるのかが分かりかねます」

「……それは」


 観念したように、アルヴァが臙脂色のドレスに手を伸ばした。

 ポツリと呟く。


「だって、あの人の……」


 無言が暫く続いて、決心したのか着替えに行った。


 時間が経って。臙脂色のドレスを身にまとった彼女が現れた。

 気品あふれる姿に仕立て上げられながらも、地味ではなく美しい。艶やかな姿だった。


「十点、十点です。とてもお似合いですわアルヴァ叔母様!」

「私もそう思います」

「あら、そう……?」


 頬を染めながらも表情は優れない。何度も着替えて疲れたのか、ソファに座り込んでしまった。額に手を当てている。


「そも、わたくしが今までお洒落をしてこなかったのは、すべてあの人のせいだわ。一度だって褒めてはくれないの」

「まあ、ギャロン叔父様がですか……? たしかに口数が少ない方ですが、」

 一度も言わないなんてこと、あるのだろうか?


 同様の疑問をハーゲンも持ったようであった。顔が険しい。


「お茶会の日は、心がはやってめかしこんだものだわ」


 時折少女みたいな顔をするのは、本当に心が戻っているからかもと思う。

 彼女は、寂しそうに目を伏せた。


「新しい夫を探すためにドレスから変えようとしたけど、駄目ね。あの人の瞳と同じ臙脂色のドレスでは、誰からも誘ってもらえないわ」


 ――ごめんなさい。困らせてしまったわね。


 彼女はそのまま、ドレスを脱ぐと行ってしまった。


 エリーゼはじっとハーゲンを見つめる。


「アリアシネ侯爵様なら、わたしがどのようなドレスを着たら綺麗と思っていただけますか?」


 しばし沈黙を貫く。

 正直、ハーゲンに好みなどない。エリーゼが今着ている水色のドレスはとても似合っていると思うが。


 無難に言葉を連ねることにした。


「好きだと思って着ていれば、似合っているかどうかには関わらず美しいと思う」

「……! そうですわね」


 このドレス、わたしとっても好きだもの。大切に着てるもの。つまり美しいって思ってくれてることですよね。顔をポポポと赤くしたエリーゼは独り言を呟く。

 そこで、一人の男性が来店した。


 壮年の灰色の髪の男は、臙脂色の瞳をきょろきょろ動かしていた。

 丁度、アルヴァも元の格好に着替え出てくる。


「まあ、貴方。どうかなさったのですか? 連絡はしましたでしょう?」

「……仕事が終わったから、迎えに来たんだ。心配だからな」


 アルヴァの頬が色づく。

 エリーゼはその様をじっと観察した。


 隣に座るハーゲンの耳元に唇を寄せる。


「アリアシネ侯爵様。わたしを褒めてください。ドレスが似合ってる、とかお願いします」


 意図は理解したようだったが、顔が歪んだ。

 祈りながら見上げ続ければ、根負けしたのかため息を吐かれる。


「君の格好は、今日も素敵ダナ」

「ぼ、棒読みでも嬉しい。アリアシネ侯爵様に褒められてしまいました」

「…………良かった」


 二人を見つめるギャロンは、そっとアルヴァを見下ろした。

 すかさずエリーゼが叔母様も毎日素敵ですわよね、と口を挟む。


 ギャロンの眉間のしわが一層深くなった。


「ね、ね? ギャロン叔父様」

「……………………そうだな、彼女は毎日、頑張っている」


 信じられないくらい長い沈黙だったが、ギャロンが肯定した。

 アルヴァの顔が真っ赤になり、


「そうですか。それなら嬉しいですわ」


 乙女みたいに顔を華やかせた。



 二人は先に帰っていった。残された部屋の中で、真剣な面持ちで会話をする。


「新しい旦那様が欲しいと仰っていましたが、やっぱりアルヴァ叔母様の好きな人は、ギャロン叔父様ですよね?」

「そうで間違いないだろう」


 顎に手を当てる。


「であれば、どうして新しい旦那様だなんて……」

「好きだからこそ、求めてしまうんだろう。きっと彼女は、何かを夫に求めるのが苦しくなったんだ。だから天秤がつり合うように、新しい夫――自身を愛してくれる者を求めている」


 重さが違ければ、傾いてしまう。つり合うためには、もっと重さが必要だから。


「……好きなだけでは、いられないのですか?」

「ああ。きっと」


 ハーゲンには分からないが。

 いや、けど()()()はアルヴァと同じ気持ちだったのかもしれない。


 馬車の事故で亡くなった日。見合い相手に会いに行く途中だったという。

 ハーゲンに振られ、心が傾いていた彼女。だから見合いを……


「いや」

「……? 何かありました?」


 首を横に振る。


 自分がこれ以上踏み込むことは、死者への冒涜だと身を戒めた。


 代わりに、まだ生きている少女に向き合った。


「今すぐ、私と関わるのを辞めた方が良い。私は君から向けられる感情に、同じものを返すことができない」

「私が愛したいだけでもですか?」

「もっと、有意義なことに使った方が良い」


 泣きそうな顔に胸が痛んだが、これでいいと自己を納得させる。

 彼女の寿命は、今も減り続けている。


「私を愛して、なにになると言うんだ」

「なにもありませんよ。ただただ、わたしが貴方を好きになってしまっただけです」

「それが分からない。どうして、一度や二度助けられただけで、いつまでも慕うことができるんだ」


 澄んだ瞳は濁らない。

 一度や二度ではありません。首を横に振られた。意味が分からなくて、目を瞬かせる。


「あの夜会で貴方にもう一度出会って、もっとアリアシネ侯爵様を好きになりました。いつだってわたしを遠ざけようとするのに、いつだってわたしに優しくて……だから、想いは止められずに、むしろ大きくなり続けるんです」

 言って、自分で納得した。


 そうだ。愛して欲しかったわけではない。


「アリアシネ侯爵様、わたし毎日がとても幸せです」


 ずっとずっと、大切にされている。だから、お礼が言いたいだけなのだ。


「『自分を助けられるのは自分だけだ』――そう仰られますけれど、違います。困ってたら、アリアシネ侯爵様はいつだって助けてくれました。本当に、ありがとうございます」


 エリーゼは、今日も世界一の幸せ者だ。


◇◇◇


 雨が降る夜会。エリーゼはアルヴァをそっと見守っていた。

 誰に話しかけるでもなく、果実水で喉を潤している。


 ――一昨日、アルヴァから手紙が届いた。先日の感謝と、夜会に参加するという旨の内容がしたためられていた。

 エリーゼも招待を受けていたので来たのだ。ハーゲンにも手紙を送ったが、周りに彼の姿はない。


「アルヴァ叔母様……」


 深緑のドレスは、彼女に似合っていた。だがデザインがあの臙脂色のドレスと同じで、じっとりとした目を向けてしまう。


 ギャロンにも夜会に参加して欲しいと手紙を送ったが見当たらない。


「このままでは、本当に新しい夫ができてしまいますわギャロン叔父様……」


『天秤がつり合うように、新しい夫――自身を愛してくれる者を求めている』 


 本当にそうなのだろうか? 新しい夫に愛を注がれれば、癒えるのだろうか。


「絶対、違いますわ」


 後悔だけが胸を占めるはずだ。


 それにエリーゼは知っている。ギャロンはアルヴァをとても愛していることを。

 昔アルヴァと庭で遊んだ時、ギャロンが馬車で迎えに来た。花かんむりを作っていたアルヴァは立ち上がり夫の元へ行く。

 彼女の作った花かんむりを頭に乗せていたエリーゼは、ふぅむと考えた。つい先日、幼い頃の自分が左半分に仮面を付けているギャロンを怖がり泣いたというのを聞かせられたせいである。

 自分の作った花かんむりは、とてもではないが形を成していない。代わりに、アルヴァの花かんむりを手に取った。二つ作ってもらっていたのだ。

 

「しゃがんでください、ギャロンおじさま」

「……? どうかしたのかい」


 疑問を呈しつつも素直にしゃがむ彼の頭にパサリと乗せた。

 呆けた目と打つかる。


「アルヴァおばさまが作った花かんむりです。どーぞです」

「あ、あぁ……ありがとう」

「ま、まあ! エリーゼ、わたくしの作ったものなんて、」


 慌てた様子だったが、ギャロンが止める。耳が赤くなっていた。


「良い。素敵な花かんむりだ。ありがとう、エリーゼ、アルヴァ」


 瞬間の、ギャロンの優しい微笑みをどう形容すべきだったのだろう。


 ただ、わたしも絵本の王子様やギャロン叔父様のような人が現れたらな。それだけ思った。



 だから二人の間にある確執をどうにかしたいのに、と歯がゆくなる。 


 助けてください、ハーゲン様。

 祈りながら、アルヴァへと足を運んだ。



「――入らないのですか?」

「……いや、ちょっとね」


 夜会の入り口に、二人の男がいた。

 サアサア霧雨が降っている。周りには誰もいない。


 来ると思っていた。ハーゲンは目を細める。

 

 視線から逃げるように、ギャロンは顔を逸らした。


「まだ、なにか?」

「――では単刀直入にお聞きしますが、貴方は夫人を愛してはいないのですか? ()()()、と聞き及んでいますが」


 はは、あまりにも真正面から聞かれるものだから、乾いた笑みが漏れてしまう。


 誤魔化そうとしたが、上手くいかずギャロンは唇を舐める。

 自分に褒められて喜ぶ彼女の顔は、思っていたよりずっと自然で嫌悪感は微塵も感じなかったからだ。


「……僕は、十一歳の頃屋敷で火事に遭った。顔の左半分にできた火傷の跡は、その名残だ」


 意識不明の重体に陥り、一時は命も危ぶまれたと医者から目覚めた後に聞いた。

 その頃には、火事から三週間経っていた。


 それからは療養のために毎日をベッドの上で過ごした。

 そんなある日。


「ギャロン様。お見舞いに来ましたわ」


 軽やかな声が、扉を叩く。婚約者であるアルヴァが来てくれたのだとすぐ分かった。

 いつものように声をかけようとし慌てて止まる。顔の左半分には包帯が巻かれていた。


「ギャロン様ー、ねえギャロン様ー」


 自分より四歳年下の彼女は止まらない。今すぐ開けてしまいそうな勢いで扉を叩き続ける。


 しょうがない。布団を頭から被った。布団が擦れ火傷が痛んだが、幼い彼女に見せるよりずっといいと思った。


「どうぞ」

「ギャロン様ー! ……あれ、いないです。どこですか?」


 久しぶりに会う彼女は、全然変わらなくて眩しかった。


「ふふ、僕はここだよアルヴァ」

「えー? なぜ布団被っているのですか? 寒いのですか?」

「ううん、全然」


 首を振った所で、布団が取り払われた。一瞬のことで押さえつけることもできず、火傷がアルヴァの眼前に晒される。

 擦れたことの痛みも飛んでいき、慌てて顔を隠す。


 しかし布団を取った張本人はしっかり顔を見てしまったらしい。口をぽっかり開けている。


「ギャロン様……」

「火傷が、そう顔に残っちゃって……ごめんね嫌なもの見せて」

「い、いいえ」


 彼女の体が小刻みに震える。青ざめていた。


「ごめんなさい!」


 言い残し走っていった。

 気味が悪い思いをさせてしまったと、後悔が募る。


 それから、火傷は今後も色濃く残ることを知り決意した。


「僕と結婚するなんて、一生を寄り添うなんて彼女にしたら地獄と同義だ。婚約解消はできなかった。だからせめて、ずっと想いには蓋をしてきた」


 雨がやみ、落ちた雫が葉を叩く。


 ハーゲンの瞳はあくまで冷ややかだった。


「それは、貴方の決めることではないでしょう。先日、私は人と話すことで自分の愚かさを自覚しました。話すことは大切だと思いますよ。目に映ったこと全てが真実ではない」

「…………」


 さわりと仮面に手を這わす。

 葛藤が胸中を占めた。


「まあ、貴方がいらないのでしたら私が夫人を貰い受けましょう」

「……っ、驚いたな、アリアシネ侯爵卿がアルヴァに好意を寄せているとは」


 肩をすくめ、さあ? と掴みどころのない態度を貫く。


「君とアルヴァは、年も離れているが……」


 顔を歪ませる。

 ハーゲンはぶれない。


「歳の差は、どうやら恋の前では関係ないらしいですからね」


 さらりと答え、夜会会場へと進んだ。


◇◇◇


「エリーゼ、良く考えたら新しい夫はわたくしにはできないわ。だってもうこんなにおばあちゃんですもの」

「い、いえいえ。まだまだ全然お若いですしアルヴァ叔母様の良さに気づく人はあの満天の星のように――」


「ここにいたのか」


 振り向けば、ハーゲンがいた。

 来てくれたんだ、頬が緩む。


「ミューリス伯爵夫人。私と結婚してくれ」


 笑顔を保ったままピシリと固まった。


「え、アリアシネ侯爵卿……?」

「え、えぇ……。アリアシネ侯爵様の気持ちなら、応援しなくちゃ、ですよね…………でも、嫌だよぅ」

 エリーゼが涙目で口を押さえた。


 手がアルヴァに伸びる。だが、掴まれ静止する。


 汗をかいたギャロンがそこにはいた。


「すまない。やっぱり譲ることはできない」


 アルヴァが目を瞬く。


「えっと、どういうことかしら」

「アルヴァ」

「は、はい」

「君のことを、僕は愛している」


 アルヴァの頬が熟れた林檎みたいに真っ赤になる。目に薄い水の膜が張った。


「君が、僕の火傷を怖がっているのは知っている。何度も、君を諦めようと思った。……だけどやはりアルヴァでなくては駄目なんだ」

「……わたくしが、怖がっている?」


 首を傾げるアルヴァに、火傷した時の話を聞かせる。

 彼女の顔が青を通り越して白くなった。


「違います。……だってギャロン様、あの時泣いていたから。わたくしが、何か嫌なことをしてしまったのだと思ったのです」

「あ、それは火傷に布団が擦れて痛くて……」

 

 泣いていたのか。自分自身でも詳しいことは曖昧で驚く。

 アルヴァは安らぎに似た微笑みを浮かべていた。


「火傷跡があってもなくても、わたくしは変わらず貴方が大好きですわ。……ずっと言えなくて、ごめんなさい」


 息を呑む。驚きに近い、喜びだった。


「すまない。ただ一言、君から聞けば良かったのに……」


 アルヴァは泣きたそうに笑って、ギャロンもクシャリと顔を歪めた。


「今日のわたくし、可愛いですか?」

「とても、君はいつだって可愛い」


 寄り添う二人は一対の羽のようで。


 安堵で微笑みを浮かべてから、エリーゼは何かに気づきあっとなる。


「あの、さっきの告白は」

「ミューリス伯爵卿を出すための演技だ」

「そうですか」


 ほっと息を吐く彼女をちらりと一瞥してから、アルヴァに視線を戻す。


 ――寿命は、残り一週間程だった。


◇◇◇


 気分が晴れ渡るような青空が、窓から顔を覗かせている。

 エリーゼは早くに目を覚ましていた。花が刺繍されたハンカチを握りしめる。いつかのアルヴァに貰ったものだ。


 滞りなく、アルヴァは亡くなった。


「階段から落ちて。以前から医者に何度か目眩を訴えていたから、それでバランスを崩したのではと言われた」


 葬式に参列したエリーゼは、棺に花を入れながらギャロンにそう聞かされた。



 夜会。

 ハーゲンの隣をちゃっかりゲットしながらも、顔色は冴えない。


「君の方が憔悴しているな」

「……ごめんなさい。わたし、安易に向き合ったら分かるかも、なんて言って。辛い想いを、アリアシネ侯爵様にもさせてしまいました」


 ハーゲンは宙を睨む。言葉を探した。


「いや、寿命が見えることは変わらない。君がいなくても私に訪れるものは同じだった。気に病む必要はない」

「……はい」


 彼が気遣ってくれたとわかるから、なお居心地が悪くなる。

 空気が重くなって、話題を変えることにした。


「そ、ういえば、今日は踊られないのですか?」

「……そうだな」


 煮えきらない返事に首を傾げた。足でも痛むのかと声をかける前に、ハーゲンが口を開く。


「私には、死に征く者の運命を変えようなんて気概はない。だから代わりに祈り、踊った」


 どこまでもどこまでも、天まで届くように。安寧を願って。


 彼が一人で踊っていた理由に触れる。

 同時に、ではなぜ今日はという思いに駆られた。そのまま伝えれば苦笑される。


「そんなことをする必要がないからだ。今日は君がいる。たまにはいいものだな。悼む仲間がいるというのは」

「はい。そうですね」


 ハーゲンの優しい笑顔に、心臓がきゅぅと音を立てた。


次話、元婚約者と邂逅です。

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