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I 花々を束ね、貴方を恋い慕う

【連載版】始めました。全十話、よろしくお願いします。


※途中、かなり軽くですが嘔吐シーンがあります。苦手な方はご自衛お願いします。

 ――神の誕生を望んだ。今まで願いが全部叶わなかったのは、神がいないせいだと。

 そうでなければ、あんまりではないか。


 握った手から、どんどんと体温が零れ落ちていく気がする。指先すら凍りついたように動かない。

 もう動かない彼女を見つめながら、ハーゲンは短い結婚生活を思い起こしていた――。



 十九世紀の終わり頃。人々の生活は豊かになった。だが人は急に変わるものではなく、街には馬車と車が共存している。

 そんな移ろいの狭間であった。


 舞踏会は千紫万紅。踊る令嬢方は咲き乱れる花であり、令息は花を引き立てる額縁のように踊る。流麗なる音楽がそんな二人を飾り立てた。

 シャンデリアの目が冴える光の下で、音楽に乗せ人々は踊る。

 ――一等目を引く男がいた。奇異の目を向けられる男は、相応しくないと顔を顰められそうな暗い藍色の衣装に身を包み、一人で悠々と踊っている。

 一曲終わる。そこで男はホールの中央から外れ、給仕からもらったシャンパンで唇を湿らせた。


「やあやあハーゲン。今日も楽しそうだな」


 そんな男――ハーゲン・アリアシネ侯爵に話しかけた軽薄な笑みを浮かべる男に、彼はわざとらしく眉間に皺を寄せる。ぞんざいな態度に肩をすくめた男は、妻の腰を抱きながら自らもシャンパンを飲んだ。


「だが、お前ももう三十四だ。奥方を娶るなら早くしたほうが良い。良いぞぉ、妻は。毎日家に帰るのが楽しみになる」

「アルド。惚気話はもう十分聞いた。私の耳を壊死させたいのか」


 黒の長髪を耳にかけ、ハーゲンはため息をついた。

 とりなすように、アルドの妻ミラが眉尻を下げる。


「ごめんなさいね、アリアシネ侯爵卿。この人、今日はとびきりお酒に酔っているみたいで」

「貴女が気に病むことじゃない、シード侯爵夫人。アルドがこうなのは、今に始まったことではない」

「どういう意味だよ」


 シャンパンをもう一杯取ろうとして妻に窘められたアルドは、代わりに水を飲む。

 少しばかり脳が冴えた彼は、目を瞬かせた。


 声を潜め、ハーゲンに囁く。


「おい、あのご令嬢ずっとこっちを見ていないか?」

「……? あぁ、そうみたいだな」


 アルドの目線を辿ったハーゲンが頷いた。


 離れた位置に一人立つ令嬢。ふわふわと揺れる金髪の令嬢は、煌めく紫の瞳をしきりに動かし、何度もこちらを伺っている。

 落ち着きがないせいか、彼女を誘う令息はいないようであった。


「初回ではないだろうに、まるで初めて夜会に参加したような落ち着きのなさだな」


 ……可哀想に。

 口の中で言葉を編む。誰に聞こえるでもなく、消えていく。


「申し訳ないな。俺には既に、最高の妻がいるんだ……。あ、それとも狙いはハーゲンか?」

「私たちのような年老いた男、うら若き乙女が選ぶはずもないだろう。妄言を吐くのはよせ」

「なにか、困りごとでもあるのかしら?」


 三者三様。お互い好きに喋った後、ミラが動き始めた。


「わたくし、声をかけて来ますわね」

「じゃあ、俺も……」

「アルド様はここで待機、ですわ」

「懸命な判断だ」

「俺の評価低いな」


 小さくなっていく背を見送る。


「……あの子。俺の娘と同い年くらい、なんだよな?」


 ぽつりと。十五歳と十二歳の娘を持つ彼が目を細める。ハーゲンも、もう一度目を向けた。

 ミラに話しかけられ、真っ赤になりながら必死になにか言っている少女。


「いや、体が小さいな、って思って」

「……そうだな」


 柔らかいシフォン生地のドレスに身を包む彼女は、ミラと話がついたのかこちらに来る。

 熟れた林檎の頬が、一層深まった。


「あの、わたしと踊っていただけませんか? アリアシネ侯爵様のことが、わたし好きなんです」


 ハーゲン・アリアシネ侯爵卿、三十四歳。

 驚いてシャンパングラスを落とすのは、初めての体験であった。



 エリーゼ・フェンテッド伯爵令嬢、十七歳。

 彼女の初恋は十五歳の時だった。


 二年前のその日。彼女はとある夜会にいた。

 見渡す限りに、人で溢れかえっている。病弱で屋敷から一歩も出ない生活を送ってきた彼女にとって、舞踏会は初めての体験ばかりであった。

 デビュタントの日、体を崩した彼女にとって今夜こそが真のデビュタントである。


 興奮のためか荒くなる息をふうふうと落ち着かせ、果実水を受け取った彼女は、壁際に立つ。

 喉を潤しながら、ホールの中央で踊る彼らに羨望の視線を送った。


「いいなぁ、わたしも、あんなふうに踊れたら、きっと楽しいんだろうなぁ」


 体が弱い彼女は、踊るの禁止。母親に厳命され、素直に言いつけを守っている。

 代わりに、踊る人々に自らを重ねた。


「王子様みたいに素敵な人と、何曲も踊って……。ふふ、本当に踊れたらいいですのに」


 きゅ、と手袋で覆われた手でグラスを握りしめ目を伏せた。

 兄と、踊る練習も何度もした。だけどすぐに息が上がって、無理をすれば失神してしまった。

 夜会でそんなことになれば、皆どう思うだろうか。


「迷惑です」


 迷惑をかければ嫌われる。

 シャンデリアでホールはきらきら輝く。景色が滲んだ。

 来たくてしょうがなかったはずなのに、箱に閉じこもってしまいたい自分がいる。

 

 一生、縁などない世界。

 曲が終わる。息をつく暇もなく、新たに音楽家たちが楽器を奏でる。


 ぼんやり眺めていれば、人々が囁き合う音がした。あぁまた来たのか。馴れているような、声を潜め笑っているような音だった。


「なにがあるのでしょう……」

 

 あの、ホールの中央に。目を凝らせば、マナー違反ギリギリの暗い衣装に身を包んだ、一人の男性がいた。連れ立った女性はいない。


「え……?」


 もしや、変な人?


 他人からの視線などどこ吹く風。彼は一人で優雅に踊り始める。


「変な人です……」


 あわあわと口に手を当てたエリーゼは、父の下へ逃げ帰ろうと及び腰になる。

 刹那、彼女は目を見開いた。


 彼の動きは、全てが洗礼されていた。一人で踊れるように変えられていて、完成されている。


「……綺麗」


 誰かに捧げるような、美しい動き。

 

 彼女は背を向け歩き出した。

 ベランダに出る。ホールからの漏れた光が、人気のないそこにエリーゼの影をくっきりと呈す。


「…………」


 恥ずかしくて、すすすと中からは見えない位置にまで移動する。


 真白の指を月に掲げる。新しい曲。ゆったりとした音楽に合わせ、踊り始めた。

 裾を持って、ふわりと舞う。頬が紅潮した。

 暫く踊れば息切れして、ベランダの手すりに体を預ける。夜風が優しく頬を撫でた。


「おや、こんな所にいたのかエリー」

「お父様」


 父親は首を傾げる。


「暗い所に一人では危ない。何をしていたんだい?」


 問われたエリーゼは、そっと微笑んだ。


「内緒です」


 唇に人差し指を当てる彼女に、父親はきょとんと見返して。

 鼻唄を歌うエリーゼに、そっと目元を綻ばせた。


◇◇◇


「――と、いう訳です。あの、今日は体調管理もしっかりしてきたのです。だから一曲、踊っていただけませんか?」

「断る。そんなに楽しかったのなら、今夜も一人で踊ればいい」


 にべもない態度を貫くハーゲンに怒ったのはアルドだ。

 眉根を寄せて彼の肩を掴む。


「そんな言い方ないんじゃないか? フェンテッド嬢だって、勇気を出して話しかけてくれたんだぞ」

「そも、なんで私がこの夜会にいると割り出せたんだ」


 エリーゼがもじもじと顔を赤らめる。


「今日の舞踏会は、著名な音楽家が呼ばれているとお聞きしたので……。賭けてみちゃいました」

「こんなにいじらしい子の誘いを断ると言うのか? おいハーゲン男を見せろ」


 援護射撃に顔を歪ませるハーゲンは、


「私と踊れば、彼女がいわれのない扱いを受けるかもしれないだろう。よく考えろアルド」


 冷たくアルドを叱責した。

 言われた言葉をゆっくり咀嚼した彼の目に光が散る。


「……ハーゲンはやっぱり凄い奴だな」

「急になんだ」

「いや」


 頭を振ったアルドが、ミラの腰を抱く。


「だからこそ俺は、お前に幸せになってほしいよ。お前のご両親だって、きっとそう思ってる。……それともまだ、あの人のことが忘れられないのか?」

「…………」


 心配そうな目をするエリーゼから逃げるように、ハーゲンはまたホールの中央へと消えていった。

 言い過ぎてしまったと肩を下げたアルドは、ミラにせっつかれ気を持ち直す。

 未だ状況が掴みかけている彼女に笑いかけた。


「いや〜あいつ昔っからああだからさ。愛想尽かさないであげてフェンテッド嬢」

「あ、愛想を尽かすだなんてとんでもないです! 側にいるだけで、心臓が痛くなって、わたし、今日とっても幸せなんです」


 花の微笑みに、夫妻は顔を見合わせる。

 恥ずかしくなったのか、ぱっとエリーゼは踊るハーゲンの方を向いた。


「やっぱり、とても美しいです。今日、一緒に踊りたかったのも本当です、だけど一目見ることができれば、十分だったんです」


 ふと、エリーゼが遠くを見る。

 今はなき日に想いを馳せているようだった。


「……わたし、婚約者がいたんです」

()()?」

「はい。婚約は解消となったので」


 瞳を閉じたエリーゼの向こうには、青い髪の少年がいた。



 十歳の頃だった。当時から寝込みがちだったエリーゼに、婚約者の彼は言った。


「君の体が弱いのは、どう考えても食べないせいだろう。父上が言っていたぞ。体を作るのはご飯だと」


 騎士として誇り高い父親を慕っている彼は、そう力説した後マドレーヌを彼女の前に置いた。


「あの……?」

「食べろよ」


 彼は威圧的で、体の弱いエリーゼにも容赦しない人であった。何度もそんな彼に救われた。だけど今、エリーゼは彼に恐怖という感情を覚える。震える指先で、マドレーヌを手に取った。

 小さな口で食べていたエリーゼがようやく食べ終わりホッとする。


 だが、彼はもう一個マドレーヌを渡してきた。


「そんな小さいのでは肉は付かないぞ。もっと食え」

「え、あの……わたしこれ以上は……」

「なんだ、なにか文句でもあるのか?」


 家族に大事にされてきたエリーゼは、威圧的な態度を取られると萎縮してしまう。大人しく二つ目に手を伸ばした彼女に、彼は満足そうに息を吐いた。

 もう味なんて、ちっとも分からなかった。


 調子づいたのか、テーブルに乗った全てのお菓子を食べろと要求し始めた。

 最初は大人しく食べていたエリーゼも、限界はすぐに訪れる。


「もう、無理です……」


 喉から震えた声を出す。途端に、彼の顔が怖くなった。

 手でマドレーヌを乱雑に掴み、彼女の口に押し込む。


「いやっ、いや……!」

「いいから、食えよ! ほら!」


 異変に気がついた、遠くに待機してた騎士や侍女が慌てて二人を引き離した。

 騎士に羽交い締めにされた彼は、


「なんだよ! おい、痛いぞ! やめろよ!」


 歪んだ咳の音が、庭に響く。

 体を丸めたエリーゼは、そのまま耐えきれず吐いてしまった。


「お嬢様!」


 絹を裂くような悲鳴の音。吐き続ける彼女を、侍女たちが必死に介抱する。


「……な、なんだよ……」


 目尻に涙を浮かべるエリーゼ。

 彼の顔からは血の気が失せていた。


「お、俺のせいじゃないからな! こんなことになるなんて、思わないじゃないか!」


 体をバタつかせ、騎士の腕から滑り落ちた彼は、エリーゼを置いてどこかへ行ってしまった。


 それから二日後。ベッドの上でエリーゼは彼との婚約解消を聞かされた。



「――どうしたんだ、フェンテッド嬢」

「気分が悪いのですか?」


 呼びかけに、息を吹き返すみたいに目をうっそり開けた。


「いいえ。昔のことを思い出していました」

「昔のこと?」


 オウム返しをするミラに、はいと答えた。


「体が弱いわたしを案じてくれた人のことです。彼には心労をかけてしまったので、今は幸せだといいなぁって」


 星を束ねるように、言葉を紡ぐ。昔婚約者がいて、その人の前で吐いてしまったことがあることを。

 アルドとミラは口をつぐんだ。

 エリーゼの目は、今もハーゲンを捉えている。 


「……さっき、アリアシネ侯爵様と出会った夜会の話をしましたよね? そこで、恋に落ちたんです」

「さっきの話ではなく?」

「はい。あれは、きっかけに過ぎません。あのままだったらわたしは、師と仰ぐことはあっても、きっと恋心を持つには至りませんでした」


 でもそうはならなかった。

 彼が、手を差し伸べてくれたから。



 舞踏会の日。ベランダを去ったエリーゼは、灯りのない廊下を歩き視線を巡らせていた。


「お花摘みに行ったら、迷ってしまったわ。どうしましょう。……お父様!」


 声を張ってみるが、虚しく声だけが反響する。

 心臓の音が、痛いくらい響いた。


 体調が悪くなってきて、視界が真っ暗になる。吐き気も込み上げ、口元を押さえ座り込んでしまった。

 涙が目に溜まる。


 今日は、とても楽しかった。それなのに、自分自身で駄目にしてしまった。

 どうして昔からこうなのだろう。

 母親にも父親にも昼夜問わず面倒を見てもらって、兄にも沢山の我慢を強いてきた。


 ……どうして、わたしはこうなの?

 声を押し殺して泣くことしかできない。


「ぅ、ひぐ……っ」

「――どうしたんだ」


 気づかなかった。すぐ側に人がいることに。


 顔を上げれば、先ほど一人で踊っていた男が片膝をついている。月の光でぼんやりと浮き上がった顔には、心配そうな表情が乗っていた。


「そ、の……迷子で、体調が悪くて……」

「症状は?」

「あ。そ、のっ……」


 しゃくり上げながら必死に言葉を紡ごうとすれば、手を顔の前に出し制される。


「ゆっくりでいい」


 涙がぴったり止まってしまった。差し出されたハンカチで目を拭う頃には、落ち着きを取り戻す。

 人の前で泣いてしまったと顔を赤くしながら、


「気分が悪くなって……吐き気も少しあります。特に熱とかはありませんので、もう少しで良くなると思います」

「そうか」


 ハーゲンは頷き、隣に腰を下ろした。


「では、気分がよくなるまで待とう」

「…………」


 一言断りを入れ、彼女の膝に自身が着ていた上着をかけられる。吐いてしまっても、これで君のドレスは守られる。無愛想な顔から紡がれる言葉は、新雪のように柔らかかった。


「ありがとう、ございます」

「ああ」


 暫くすれば、症状は落ち着いてくる。

 ハーゲンは立ち上がり、エリーゼに手を差し伸べた。


「嫌でないなら」

「嫌じゃないです」


 エスコートされ廊下を歩く。


「あの、どうして一人で踊るんですか?」

「逆に、人と関わるのは嫌いなのにどうして誰かと踊らなければならない」


 問われて、笑みが溢れてしまった。


「たしかにそうですね……っ。一人で踊るのも正義です。これから流行るかもしれません」


 思っていた答えと違ったのか面食らった表情をしたハーゲンは、扉の前で立ち止まった。


「先に行きなさい」

「なぜですか?」

「私と一緒に会場に入れば、君にとっては好ましくない噂が立つ」


 仕方なく、扉を開ける。隙間から光が差した。彼が僅かに目を見開いた気がした。

 何度も後ろを振り返り、礼をしながら会場に入る。


 最後に、小さな声だった。


「次はもっと大きな声で泣き、助けを求めるべきだ。声を押し殺して泣くだけでは、君を助けたいと思う人間がいつか後悔をする結果になる。君を助けられるのは、君だけだ」

 ……いや、私は何を言っているんだろうな。私らしくない。だって君は――


 光溢れるホールに吸い込まれて行き、最後まで聞くことは叶わなかった。


◇◇◇


「そうだよ。ハーゲンは凄い良い男なんだよ」


 しんみりとアルドは何度も頷く。エリーゼはえへんと胸を張り、何度もとても嬉しかったんですを連呼する。


「本当に、アリアシネ侯爵様は変な人です」

「ぶふっ」

「こら、アルド様。笑ったら失礼ですわ」


 吹き出すアルドは、窘められながら、変な人と呟きもう一度笑った。


「だって、そうではありませんか? 人が嫌いと仰りながら、言葉も行動も全てわたしを慮ってくれるものばかりでした。本当に、変な人です」


 疲れたのか踊る人の群れから抜けたハーゲンに気づいたエリーゼは、雛鳥みたいに後をついていく。

 それを微笑みながら見つめた夫妻は、顔を見合わせた。


「俺、フェンテッド嬢をぜひとも手助けしたいと思うんだ」

「奇遇ですね、わたくしもです。アリアシネ侯爵卿も、嫌がりはしても彼女を無下には扱わないでしょうし」

「ああ。少しばかり作戦を立ててみるか」



「アリアシネ侯爵様!」

「また君か……」


 げんなりした様子のハーゲンにも怯まず、エリーゼは恋い慕う。


「せっかく新しい曲でも始まりますし、一曲踊っていただけませんか?」

「断る。もう私には構わないでくれ」


 ふいと背を向けた彼に、エリーゼは寂しそうに微笑む。

 ハーゲンは今日、一度も自分の顔を見ていない。なにか付いているだろうかとしきりに確認してみたが、なにもない。

 顔がタイプではないのだろうか? 年下は対象外?

 焦燥感、そう評する他ない感情に、知らず知らずの内にため息が漏れる。


 ハーゲンは気にも留めずどこかへ行ってしまうので、既に小さい姿になっていた。慌てて追いかけようとした彼女を誰かが前に立ち引き留める。


「失礼、鳥籠で羽をばたつかせる雛鳥のように可愛らしいお嬢さん。良ければ、僕と一曲どうですか?」


 なんだか比喩が長い男がエリーゼに手を差し出す。黒い前髪から覗く緑眼が、ゆっくり細められた。


「えっと……」


 無下に断るのは失礼に当たる。

 エリーゼは断りの文句が思い当たらず困ってしまった。


 今日は調子が良いとはいえ、踊れるのは一回までだろうと踏んでいた。加えて、長時間立っていたことにより脚は限界だった。

 この手を取れば、ハーゲンとは踊れないだろう。


「……ごめんなさい」

「まあそう言わずに」


『君を助けられるのは、君だけだ』 


「――アリアシネ侯爵様……っ」


 瞬間。誰かの手が男の腕を掴む。


「その辺にしとけ、()()()()()()


 ハーゲンが立っていた。


 掴まれた男は相好を崩す。

 先ほどまでの軽薄な雰囲気は離散し、穏やかで柔らかな笑顔になる。


「アルドたちにお願いされたんだよ。ハーゲンに恋する女の子を助けてやってほしいってね」

「だとしてもやり過ぎだ。……大丈夫か?」

「は、はい。大丈夫です。すぐ、助けに来てくださったので。……貴方は。すみません、社交に疎くて、覚えようと頑張っているんですが……」


 戸惑う彼女に、ハーゲンは言葉を探した。


「カッセーラ伯爵家のエルドウィン。学園に通っていた頃の知人だ」

「知人なんて遠い関係じゃなくて友な、それもかなり仲いい方の。ちなみに俺もだよ」


 やって来たアルドが自身を指さす。

 なるほど。三人そろって大親友、なのか。

 エリーゼはふむふむと真面目に聞いた。


「いないと思ったら途中参加だったのか。夫人はどうした?」

「ラウラはアルドに作戦を聞かされた後、嬉々としてビュッフェの方に行ったよ。いや〜中々劇場での仕事も忙しくてさ」

「……劇場? カッセーラ伯爵様は劇か何かをやっておられるのですか?」


 途端に目を輝かせるエリーゼに、エルドウィンも頬を桃色にさせた。


「えぇ。僕は劇場支配人という立場なんだけど、脚本とかをたまに書いているんですよ。演技に関してはペーペーですけどね。……ここだけの話、僕の書いた脚本、かなり人気なんですよ」

「まあ、凄いです」

「そのせいでやたらと長い比喩を使う悪癖があるがな」


 ハーゲンが突っ込んでも彼はニコニコしている。マシンガントークの始まりを告げるように果実水で喉を潤した。

 アルドとハーゲンは、ここから彼が怒涛の勢いで話し出すことを知っているため、どこで口を塞ごうかと悩む。

 だがエルドウィン妻――ラウラの登場によって始まる前から終わった。


「エルドウィン様。ここにいらっしゃったのですねぇ。……あらぁ、そちらの方が、アリアシネ侯爵卿と踊りたいというご令嬢の方ぁ?」


 最初の目的を、エリーゼとハーゲン以外の者が思い出しはっとなった。


「そ、そうだハーゲン。踊ってやれよ。減るもんじゃないだろう?」


 アルドの言葉にもついとも揺らがず、無理だと一蹴する。

 不満気な視線を送られ、迷惑そうにした。


「……それに、フェンテッド嬢はもう踊れないだろう。さっきから何度もたたらを踏んでいる。身体が限界な証拠だ」

「え、そうだったのか? 気づかなくて申し訳ない!」

「本当ですわね。椅子をお持ちしますわ」

「あ、すみません……」


 ミラが給仕に、壁際に椅子を用意させる。

 エルドウィンはオロオロし、ラウラに落ち着けと肉を口に放り込まれた。


 椅子に座り俯くエリーゼ。


「落ち着いたら、もう帰るべきだ」

「……はい」


 そんな言い方はないだろ。窘められるが飄々とした態度のハーゲンは、またホールの中央へと消えていった。


 アルドがエリーゼに微笑みを見せる。


「俺たちは、フェンテッド伯爵卿を呼んでくるよ」

「そうですわね」

「ありがとうございます……」


 意気消沈したエリーゼの手を、ミラが握る。


「今日はもう無理かもしれません。ですが、今度どの夜会にアリアシネ侯爵卿が参加するかの情報をキャッチしたら、すぐお伝えしますね。大丈夫です。きっと一緒に踊れますわ」


 じわりと涙が滲んだ。


「ありがとうございます。……そうですね、落ち込んでばかりではいられません。その日のために、もっと体調を整えておきます!」


 僕も力になれそうなことがあったら協力するよ。ウインクしたエルドウィンは、挨拶があると人垣の向こうへ、妻と共に消えていった。

 アルドとミラも、エリーゼの父親を探しに行き一人になる。


 ズキズキと痛みを主張する脚を、ドレス越しに撫でた。

 ハーゲンは、気づいてくれていた。その事実に鼓動が逸る。


「……今日は、良い日だったなぁ」


 ハーゲンと会えたばかりではなく、色んな素敵な人に出会えた。

 これで満足できないなんてバチが当たる。


 そう考え、最後に目に焼き付けておこうとふと思った。

 人の壁の向こう。こちら側にハーゲンの顔がある。きっと彼からは、見えていないだろうけど。


「……え?」


 ハーゲンのダンスは、いつもと違いまるで透明な女性がいるかのような踊りだった。

 

 ――まさか。


 彼に重ねるように、手を動かす。誂えたみたいにぴったり、エリーゼがはまった。

 目頭が熱くなり、きゅっと唇を噛み締める。


 踊れないエリーゼを気遣って、彼女に良からぬ噂が立たないように配慮して。


 彼を何度も、好きだと思う。きっと、昨日より今日のわたしの方が、好きだと思ってる。


 ターンもせず、ハーゲンの身体はずっとこっち向きで。

 人が沢山いるのに二人だけみたいだと笑った。


 夢のように、素敵な時間だった。


◇◇◇


 エリーゼがハーゲンの下に来る。


「もう脚は大丈夫なのか?」

「はい、元気いっぱいです」


 にっこり笑う少女を、ハーゲンは無言で見下ろした。

 ……今日初めて顔を直視した気がする。


 ()()()寿()()()、初めて会った時から二年消えていた。


 ハーゲンの瞳には、幼い頃から人の寿命が見える。カチコチカチコチ、時計が動くように段々減っていくのが分かるのだ。

 彼女を今日見た時、すぐにあの日助けた少女だと分かった。

 彼にとっても、あまりにも鮮烈だったから。


 

 ――二年前の舞踏会の日。頭の上に表示される寿命は、真っ暗な廊下ではよく見えなかった。

 だが、送り届けてホールから漏れた光で彼女が照らされた時、知ってしまった。


『残り、七年』


 朗らかに笑う少女は、もう余命僅かだった。


 だから今日、自分を慕っていると知りながらぞんざいに扱った。嫌われるよう仕向けた。もう嫌だったのだ、()()()や両親の寿命が見えていたのに何もできない無力さを想起させるから。


 エリーゼの頭の上には『残り五年』と表示されている。

 きっと彼女も、滞りなく死ぬのだろう。


「アリアシネ侯爵様、わたし貴方が好きです」

「そうか、私は別段君になんの感情も抱いていない」

「素っ気ないところも一等好きです……っ」


 ――いつかは、絶対に来ない。


 ただ少しだけ、彼女が苦しまないことだけを祈ってしまった。


 

これから全十話、よろしくお願いします。

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