俺は王道が嫌いだと言ったはずだが?
原稿用紙の山が、またひとつ崩れた。
「……またボツか」
北見遼は、赤ペンでバツ印が飛び交う原稿を指先で弾いた。
「当たり前でしょ」
アシスタントの坂井瑞希が、ため息をつきながらコピー用紙を拾い集める。彼女の髪は少しだけ乱れている。長い作業のせいじゃない。たぶん、北見が描いたページを読んだからだ。
「どうしてこうなるの。ラブコメって言ったよね、先生」
「ラブコメは描いた」
「どこが!」
瑞希が広げた原稿の一ページ目には、転校初日の主人公がヒロインに出会う瞬間が描かれていた。そこまではよかった。問題は、その後だった。
「えーっと、ヒロインが……実は隣人のおばあちゃんの生まれ変わり?」
「そうだ」
「で、前世の因縁があって、主人公の家に毎朝みそ汁を作りに来る」
「その通り。家庭的なヒロイン、読者は好きだろ?」
「なんで、目玉焼きの焼き加減でもめる度に、二人ともガチの呪詛合戦始めるのよ!」
「ギャップ萌えだ」
「萌えじゃない。ホラーだよ!」
瑞希は原稿をバサバサと重ねていく。次のタイトルは『異世界クソ女王』だった。
「次、異世界ファンタジー」
「これは名作だ」
「ええと……主人公が異世界転生。最初のページで、『お前は今日から女王だ』って言われる」
「はい」
「で、やたらと政務にうるさい部下たちが、主人公をめちゃくちゃ働かせる」
「うむ」
「それはいいの。でも、主人公がうっかり出した法案、なんだったっけ?」
「『領民全員を鳥にする』」
「なんで!」
「空を飛べたら生活は楽になる。輸送コストも下がる。ファンタジー世界に必要なインフラだろ」
「いや、領民全員がピーピー鳴いて、農作物が全滅してるじゃん!」
「それは想定外だった」
「……想定外すぎるわ」
瑞希は肩を落としながら、次の束を持ち上げた。
「ミステリー、だよね。これは……まだ普通だった」
「そうか?」
「いや、主人公は探偵で、現場検証もしてたし」
「ふむ」
「でも、トリックがさ……『犯人は未来から来た俺』って」
「時間遡行ものは熱い」
「でも、その“未来の俺”が、犯人を捕まえた過去の俺に、“未来のお前がまた犯人になる”って言って去るの、ややこしすぎる!」
「循環構造に意味があるんだ」
「読者、置いてけぼりだよ!」
瑞希は、次のタイトルを睨んだ。『異能力者地獄バトル』。
「これは……説明しなくてもいいね」
「自信作だ」
「能力バトルものって聞いてたけど、誰も戦わないで、ひたすら能力の使い道を無駄に語り合うのはなんで?」
「バトルの前に議論が必要だ」
「五話連続で、能力者たちが“火を操る”の定義について討論してるの、読者離れるよ!」
「思索系バトルだ」
「思索じゃねぇ!」
瑞希はこめかみを押さえた。もう何度このやりとりを繰り返しただろう。
遼は相変わらず、斜め上を目指している。王道は嫌いだ、と豪語する。だが、そのせいで担当は去り、読者は減り、雑誌は次第に遠ざかっていった。
「……先生」
「なんだ」
「なんでそんなに、王道が嫌いなの」
「飽きたんだよ。決まりきった展開、見たくもない」
「ふーん」
瑞希は、少し考え込むようにペンを回すと、机の上に何かを置いた。自分のノートだった。
「じゃあ、これ。私が考えたネーム」
「ほう」
遼はぱらぱらとページをめくる。
「学園もの?」
「そう。転校生の男の子が、隣の席の女の子と仲良くなって、文化祭で告白して終わる話」
「……どこが斜め上だ」
「普通の王道だよ。でも、私はそれが好き」
「ふん……」
遼はノートを閉じた。
「つまらん」
「そう?」
瑞希は微笑んだ。
「でも、先生も好きになれるよ。きっと」
その夜、遼はひとりで瑞希のネームを読み直していた。
翌週。打ち合わせの席で、遼は新しい企画書を出した。
「タイトルは『君と僕の放課後シンフォニー』」
編集者が驚いた顔をした。
「え、ラブコメ? また呪詛合戦とかしない?」
「しない」
「異世界の女王にならない?」
「ならない」
「未来の自分が殺人犯じゃない?」
「絶対違う」
瑞希がじっと遼を見ていた。彼は咳払いをして、視線をそらす。
「……まあ、こういうのもたまにはな」
原稿が進むうちに、瑞希は遼の変化に気づいていた。キャラが素直だし、セリフも優しい。そして、クライマックス。文化祭の屋上で、主人公がヒロインに告白する。
「好きだ」
ページの下には、満開の花火。
瑞希はそのページを閉じると、ゆっくりと遼に向き合った。
「……王道、悪くないでしょ?」
「ああ」
遼は目を伏せたまま、小さくうなずいた。
「でも、ラストは予想外にしてやる」
「どんな?」
「二人が結婚して、普通に幸せになって、子供が生まれて……それで終わりだ」
「それ、予想外じゃなくて王道!」
「……俺にしては冒険だ」
「ふふっ」
瑞希は笑った。
そして、その日の原稿は、締切の三日前に無事に完成した。
夕暮れの帰り道、印刷所からの帰り。瑞希は缶コーヒーを片手に歩きながら、ちらりと隣を見た。
「先生さ」
「ん」
「文化祭の告白、あれ……自分を重ねた?」
遼は少し眉をひそめたけど、すぐに缶コーヒーをひとくち飲んだ。
「たまたまだ」
「ふーん」
「……たまたまだって」
「二回言った」
瑞希は笑いながら、ちょっと前を歩いた。足取りは軽くて、まるで『放課後シンフォニー』のヒロインそのままだった。
「さ、帰ろう。明日も早いよ」
そう言って歩き出す瑞希の背中を、遼はしばらく黙って見ていた。
「……なあ、瑞希」
「ん?」
「俺は、王道が嫌いだって思ってたけどさ」
歩きながら、遼はポケットに手を突っ込んだ。ガサガサと音がする。出てきたのは、コンビニで買った安っぽいキャンディの袋だった。瑞希の好物だ。
「こういうの、悪くない」
「……なにそれ。雑!」
「お前、甘いの好きだろ」
瑞希は目をぱちくりさせたあと、ちょっと笑って袋を受け取った。
「ありがとう」
それから、少し黙って歩いたあと、ぽつりと呟いた。
「……王道だね、これ」
「ああ。お前のネームのパクリだ」
「最低」
でも、瑞希は嬉しそうに、包みを開けてキャンディを口に放り込んだ。
「甘い?」
「うん」
「そっか」
そのまま、並んで歩く。いつもなら文句ばっかり言い合ってるのに、今日は妙に静かだった。
それが、遼には心地よかった。
そして、数ヶ月後。
『君と僕の放課後シンフォニー』は、予想以上の反響を呼んだ。
アンケートは安定して上位をキープ。単行本の重版も決まり、担当編集は「もっと早くから描いてれば!」と地団駄を踏んだ。
「やっぱり王道はすげえな……」
遼は自分の手を見つめながら、つぶやく。
「だろ?」
瑞希は椅子に座ったまま、ペンをクルクル回している。
「でも、まだ終わってないよ」
「は?」
「文化祭で告白して終わり、なんて……まだ途中でしょ。王道は、その先も続くんだよ」
遼は瑞希を見た。
彼女の目は真っ直ぐだった。自分の描くキャラと、そっくりな目をしてる。
いや、きっとこっちが本物なんだ。
「……だよな」
遼は立ち上がって、机に置いてあったスケッチブックを瑞希に差し出す。
「これ、続き描こうと思ってる」
「ほう……どんな?」
「二人が付き合って、色々あって、でもちゃんと前に進む。で、結婚する」
「……あはは、また王道だね」
「お前が好きだって言ったんだろ」
「……うん」
瑞希はそのスケッチブックを受け取って、パラパラとページをめくった。
その最後のページ。
そこには、文化祭の屋上でキスをする主人公とヒロインが描かれていた。
満開の花火。
その隣に、走り書きでこう書かれている。
「続きは、現実で。」
「……なにこれ」
「そのまんまだ」
「……バカ」
瑞希は顔を真っ赤にして、でもスケッチブックを抱きしめる。
「じゃあ、続き……よろしくね、先生」
「ああ。お前がいれば、俺も王道を描ける」
「調子いい」
「お前が調子乗せたんだ」
「……うん、そうかも」
ふたりのシンフォニーは、まだまだ始まったばかりだった。