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エビとネコ

作者: おっきい猫

海の底、そこは弱肉強食の厳しい世界。

少しの油断が命取り、死に逝く友の屍を越え、ただひたすらに生きる。


ここが私の全て。


しかし、私は知っている。

海を昇った先の陸地に、ネコという生き物がいることを。

その生き物は人間の保護下にあり、命の危険に晒される事もなくヌクヌクと生きているという。


なんて事だ。


私にも、触れると温かい柔らかな毛皮と体があれば、丸っこい愛嬌のある顔があれば、わがままな限りを尽くしても愛され生きることが出来ただろうか。


しかし、私はエビ。


棘のある頭に鋭い手足、冷たい体、おぞましい顔。

どこをとっても、誰かに愛される事もないフォルム。


ああ、妬ましや。


このまま嫉妬を抱き死ぬ訳にはいかぬ。

憎きネコに会わなければならぬ。

たくさんの呪詛を届けなければならぬ。


私はエビ。


存在だけで他者に劣等感を与える生き物に復讐を果たさんとする甲殻類である。



地上、そこは全てを支配する人間が築いた世界。

そして、その人間を下僕にするネコが生きている場所でもある。

私はようやく辿り着いた。


しかし、これは一体どういう事だ。


自然の物が何一つない灰色の世界で、幽鬼の様な顔をした人間が無数に群れている。

そして何より、ここには柔らかさがない。

足を一歩、踏み出すたびに感じる硬さ、四方八方の閉塞感。


息が詰まる。


私は人通りの少ない路地へと向かう。

ここはここで腐敗臭や下水の匂いで漂い碌なものではない。

だが、あの地獄よりマシだ。


ネズミの様に狭い道を進み彷徨うと、少しだけ開けた空き地に到着する。


しめた。


あそこは地面から肌が見えている。

私はすぐさまそこへ向かった。

しかし、この判断は迂闊だった。


「何者だ」


唐突に目の前に現れたのは、毛むくじゃらの生き物。

その顔を一目拝んでやろうと思っていた、黒い毛並みの生き物。

ネコだ。


だが、人の家の中で悠々と暮らしているはずのネコが、何故、この様なところで、片目は潰れ所々に生々しい傷を負った状態で立っている。


そうか、そうなのか。


彼奴等の中にも差があるのだ。

そのまま、ぼぅと考えに耽っていると、ネコが口を大きく開け、私へ向け首を伸ばす。

黒い頭に映える口内の赤、鋭い牙、なんたる恐怖。

遂に、私はネコに咥えられる。


激しい痛みの訪れに身をすくめ、覚悟を決める。

しかし、その恐怖と同時に私は安堵していた。

ネコという生き物でも上手くいかない一生があるのだと。

そう考えている間にも、一向に痛みが来ない。

どうやら、私は何処かへ運ばれているだけの様だ。


そして、連れてこられた先は、何匹もの羽虫をまとわせた、横たわるネコの前だった。

骨が浮き上がった柔らかな体、浅い呼吸に合わせて胸が上下している。


──まさか、このネコに私を食わせるのか?


「馬鹿を言え。お前の命一つでは腹の足しにもならぬ」


そう言うと、ネコは私を解放する。


「お前はただ、俺と共にヤツの死に様を眺めるだけでいい」


このネコは何を考えているのだろう。


「不思議な顔をしているな。だが、単純な話だ。訳も分からずに生まれ、訳も分からないまま死んでいく。それが生き物の運命。せめて、死ぬ時は誰かに悼まれながら逝く。そうであれば上等じゃあないか。十分じゃあないか」


──それなら、お前一匹で良かったのでは。


「寂しい事を言うなよ。見守られる時は、別れの時は、より多くの命があった方がいいだろう」


何も言えなかった。

ただ、命の灯火が消え去る瞬間を二匹が眺めている。

ふと、不意に言葉が吐いて出る。


──人間に保護してもらえればよかったのに。


「もしかして、俺らを憐んでいるのか?そんなものは必要ない。俺は飼い猫には見る事の出来ない景色や経験をしてきた。それが俺の生きた証。他者を羨むより、自分の生を全うすべきだろう」


なんという衝撃。


おそらく、過酷な環境で生きたからこそ生まれた哲学。

不確かな情報に惑わされ一方的に嫉妬した生き物の言葉が入り込む隙もない。


そうか。


ただ、生きるだけで良かったのだ。


「……付き合わせて悪かったな。さぁ、お前も元いた場所に帰るんだな」


気付けば、目の前のネコの呼吸は止まっていた。

そして、黒いネコも何処かへと去って行く。


一匹残された私。

ここには誰もいない。

あれだけ憎く思っていた故郷が恋しくなるほど、私は孤独だった。



ここは海の底、暗く冷たく残酷な私の故郷。

ここで生まれ、ここで死に逝く。


私はエビ。


私はエビ。


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