失った記憶を戻すには
リュシオンさんは代償を受け入れようとしているけど、私はやっぱり彼の人生を諦めたくない。
「今からでも守護竜の契約を解除して、記憶を戻してもらうことはできないかな?」
フィーロなら方法を知っているかもと問うも
「竜神の手甲を放棄すれば、守護竜の役目は自動的に解かれる。たが、すでに抹消されたリュシオンの記憶や記録が戻ることはない」
「そんな……」
ショックを受ける私に、リュシオンさんは「いいんだ」と首を振って
「力だけ借りて契約は果たさないなんて卑怯は、通らないと俺も思う」
「それに」と彼は続けて
「俺はエーデルワールの安寧のために、守護竜がいてくれればと何度も思った。かつて守護竜になった者たちが、どれだけの犠牲を払ったのかも知らないで。また志のある誰かを犠牲にして、何も知らずに平穏を享受するよりは、俺が守護竜になれて良かった」
そうすれば名も知らない先輩たちに、少しは恩を返せる気がするからと、リュシオンさんは微笑んだ。
彼が大丈夫だと言うほど悲しくて、思わず泣きそうになる。そんな私に、リュシオンさんはアワアワして
「そ、そんな顔しないでくれ。人間だった時のことを忘れられてしまうと言っても、こうしてまた一から知り合うことはできる。あなたが心配するほど辛くも悲しくも無い」
確かに私は、もうリュシオンさんを大事に想っている。
でも友人くらいの関係性なら今からやり直せても、アルメリアや彼のご家族など、小さな頃から育んで来た絆は取り戻せない。
「やっぱり私はリュシオンさんにとって、本当に大切な人たちとの記憶だけでも取り戻したい。アルメリアやリュシオンさんの家族に、彼を思い出してもらう方法は無いかな?」
再びフィーロに相談すると
「リュシオンが全ての人から忘れられたのは、竜神の手甲の影響だ。竜神の手甲を説得できれば、今リュシオンの置かれている状況を、少しは改善できるかもしれない」
「竜神の手甲を説得? つまりこの手甲にも、彼女の持つ神の宝たちのように心があるのか?」
リュシオンさんの問いにフィーロは
「竜神の手甲には、最初に祖国を護る力を願った騎士の意志が宿っている。だから彼と共鳴する者にのみ守護竜の力が与えられる」
それを聞いた私はパッと顔を明るくして
「じゃあ、一緒に竜神の手甲さんにお願いしましょう。守護竜の秘密は必ず守るから、リュシオンさんにとって特に大切な人の記憶だけは戻して欲しいって」
「しかし俺の前に守護竜になった者たちは皆、孤独に耐えて国を護ったのに。俺だけそんな甘えたことを言うわけには……」
真面目なリュシオンさんは、力を求めた代償を勝手に軽減するわけにはいかないと考えているようだけど
「でも人々から継承者の記憶を消すのは代償じゃなくて、実は守護竜が人間であることを隠すためのはずです。リュシオンさんと共鳴するくらい優しい騎士さんが、ただ覚悟を試すためだけに、後輩に悲しみを強いることはしないと思います」
それは推理というより、そうあって欲しいという願いだったけど
「我が君の言うとおり。竜神の手甲が世界から継承者の記憶を消すのは、守護竜の秘密を守るための措置であって代償じゃない。どこから秘密が漏れるか分からないから、全ての記憶を消すしかないだけだ」
やっぱり意地悪や覚悟を試す意味で、記憶を消しているわけじゃないみたいだ。
「だったら、やっぱり全ての人から記憶を奪う必要は無いよね? 守護竜の秘密を一緒に守ってくれる人の記憶だけでも取り戻せないか、竜神の手甲さんにお願いしてみましょう」
けれど私の申し出に、リュシオンさんは難しい顔で
「しかし例え家族や伴侶でも、絶対に秘密を守れるとは言い切れない。だからこそ竜神の手甲も全ての人から記憶を奪うしかないのでは?」
「ああ。この世の誰にも相手が秘密を漏らさないと、断言できる者はいないだろう。だが全知の力を持つ俺なら、君の秘密を話しても構わない人間を見極められる」
フィーロは強く請け負うと
「君の小さな弟妹は幼さゆえに口を滑らせる危険があるが、例えば君の両親と兄なら、大事な秘密をちゃんと守ってくれる。家族としてともに暮らすことはできなくなるが、遠くから想い合える」
ご両親とお兄さんの記憶なら取り戻せるかもしれないと聞いて、リュシオンさんはグッと息を飲んだ。
やっぱり家族だけでも、自分の存在を覚えていて欲しいんだ。
「リュシオンさんのご家族も、きっとリュシオンさんを忘れたくないはずです。私もあなたを忘れてしまったことが、すごく悲しいから。どうか私やご家族にリュシオンさんのことを思い出させてください」
私の願いに、リュシオンさんはハッとして
「そうか。俺は自分のことばかりで、忘れる側の気持ちは考えていなかった。俺もあなたや家族の記憶を知らず奪われたら、記憶に無いからいいだろうなんて、とても思えない」
彼は竜神の手甲を嵌めた手を自分の顔に近づけると
「竜神の手甲よ。もしこれまでの話を聞いていたなら、どうか共に秘密を守れる僅かな人にだけは、俺のことを思い出させて欲しい」
「守護竜の秘密は絶対に守りますから。どうか心からリュシオンさんを大切に想う人たちから、彼の記憶を奪わないでください」
私たちの願いに反応するように、竜神の手甲は青く発光した。
けれど、それはOKのサインではなく
「自分も継承者や周りの人たちを悪戯に傷つけたくはないと、竜神の手甲は言っている。ただすでに消した記憶を戻すことは自分にもできないと」
フィーロの代弁に、私とリュシオンさんは一瞬失望した。
ところがフィーロはニコッとして
「失われた記憶を戻す手段なら俺に心当たりがある。君はただ秘密を守れる僅かな人間の記憶だけ回復させることを許可してくれればいい」
と竜神の手甲に話しかけた。
「消された記憶を戻す手段があるの?」
「君は俺がいない間に、記憶に関する神の宝を手に入れただろう?」
フィーロの言葉に、リュシオンさんは不可解そうな顔で
「もしかして忘却の小槌のことか? でもあれは記憶を奪う道具では?」
「だが、あの道具には奪った記憶を戻す作用もある。本来は忘却の小槌で奪った記憶が対象だが、我が君が望むなら本来以上の力を貸してくれるはずだ」
忘却の小槌にも他の神の宝と同様に心がある。だから宿屋の主人に悪用されて苦しんでいたそうだ。
「忘却の小槌は悪人の手から自分を解放してくれた君たちに感謝している。それに君やリュシオンの家族の記憶を取り戻せるなら、それはとてもいいことだ。ぜひやらせて欲しいと、忘却の小槌は言っている」
「忘却の小槌さん、優しいんだね」
忘却の小槌さんの思いやりに胸が温かくなった。
さっそく忘却の小槌を取り出すと「力を貸してくれて、ありがとう」と声をかけてから
「リュシオンさんの記憶を戻して」
コツンと自分の頭を小突いた。