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壊れたレイファン

 寵姫さんたちに商品を見せた後。私は女官さんに「レイファン様にも商品をお見せしたいのですが」とお願いした。


 後宮の寵姫たちにも階級があり、正妃の下に一の姫。二の姫。三の姫と続く。


 正妃は家柄で選ばれた対外的な妻であり、帝の本当のお気に入りは一の姫ということになる。今の一の姫であるレイファンさんは後宮で、最も広く豪華な1人部屋を与えられていた。


 寵姫さんたちの話では、彼女は帝の寵愛を独り占めする後宮で最も恵まれた女性のはずだ。


 しかし実際に会ったレイファンさんは、華やかな評判とは裏腹に陰鬱な表情をしていた。


「あの、どこかお体が悪いんですか? よろしければ薬も用意できますが」


 取り入るためではなく、純粋に彼女の体調を気遣うも


「ずっとこんなところに閉じ込められているのだもの。気が滅入って当然でしょう」


 レイファンさんは、やはりどことなく荒んだ顔で答えると


「あなたは異国の物売りで、珍しい品を色々と持っているんですってね。何か気分が晴れるようなものはあるかしら?」


 私はいい香りのするハンドクリームを彼女に勧めた。塗ってあげるから手を出して欲しいと。それは相手が悪魔の指環をしているか、さり気なく確認するために用意した口実だった。


 狙いどおり、レイファンさんは特に怪しまず


「それなら、こちらの手だけ」


 彼女は絹の手袋を脱いで、私に右手を差し出した。悪魔の指輪の所有者は、うっかり自分を触らないように、手袋をしていることが多い。


 レイファンさんへの疑いを深めた私は


「もう片方の手には塗らなくていいんですか?」

「こちらの手には指輪が嵌まって抜けなくなってしまったの。指輪によく分からない薬品がつくのも嫌だから、右手だけ塗ってもらうわ」


 その手袋の下に指輪をしているなら、悪魔の指環である可能性が高い。


「皇帝のご寵愛を独り占めするレイファン様の指輪でしたら、きっと素晴らしい品なんでしょうね。私も商人なので、どんな指輪なのか、すごく興味があります。後学のために拝見させていただけませんか?」


 レイファンさんは少し煩わしそうだったけど、あまり拒否するのも不自然だと思ったのか


「女が喜ぶような意匠(いしょう)じゃないけど、ただ見るだけなら。その代わり、他人に触れられるのは嫌だから、絶対に手には触らないで」


 彼女が差し出した手には、やはり悪魔の指輪が嵌まっていた。


 私は怠惰の指輪を持っている。けれどこの場にはレイファンさんだけでなく、彼女付きの女官がいる。2人を同時にダウンさせて、色欲の指輪を奪うのは難しい。


 なんとかレイファンさんと2人きりになれないかと、私はわざとお茶を零した。


「まぁ、大変! せっかくの衣装に染みが!」


 驚く女官さんに、私も慌てたフリで


「すみません! 早く何か拭くものを!」

「は、はい。すぐに」


 女官さんは急いで部屋を出た。


 私はその隙にレイファンさんに「あなたの持つ不思議な指輪について話しがあります」と切り出した。


 彼女は一瞬、驚きに目を見張ったが


「……不思議な指環って、なんのこと? 確かに女が着けるには変わった意匠だけど、こんなのただの指環よ」

「当てずっぽうで言っているわけじゃありません。私もあなたと同じ指輪を持っているんです」


 しらばくれるレイファンさんに、私が持つ悪魔の指輪を見せると


「嘘。まさかこれと同じものが他にもあるなんて」


 彼女は驚いたのも束の間、すぐに警戒の表情で


「だとしたら、あなたはただの物売りじゃなく、最初からこの指輪が目当てで?」

「あの、でも無理に取り上げるつもりは無いので、警戒しないでください」


 レイファンさんの意向によっては、強引に回収する場合もあるかもしれない。


 でも私には彼女が、周りが噂するような悪女には見えなかった。


「私はただ、あなたがどういう事情で、その指輪を使っているか知りたいだけです」

「それを知って、あなたになんの得が? 私から色々と聞き出して、けっきょくこの指輪を取り上げたいだけじゃないの?」


 実際レイファンさんの言うとおりなので


「はい。実はあなたの言うとおり、悪魔の指輪を集めています。ただ本当に無理に取り上げる気は無くて、もし事情があるなら助けたいんです」


 私の申し出に、レイファンさんは自虐的に微笑んで


「事情も何も。私の立場とこの指輪の力を考えたら、何が狙いかなんて一目瞭然でしょう。帝の寵愛を独り占めしたいだけよ。そうすればこの後宮で誰より偉ぶり、恵まれることができるんですからね」

「レイファンさんはそう言いますけど、私にはあなたが幸せどころか、むしろ苦しんでいるように見えます。だから無理に指輪を取り上げるんじゃなく、事情を知りたいと思ったんです」


 私の言葉に、レイファンさんはグッと唇を噛んで


「私の事情を話して、あなたに何ができると言うの? 私は大金と引き替えに後宮に上がった。一度後宮に上がった女は、二度と外に出られない。どれだけここが嫌だって、死ぬまでここにいるしかない」


 彼女はやはり幸せとは真逆の荒んだ表情で


「だから私は、この場で得られる最大限の幸福を追求しているの。他の32人の女を差し置いて、自分だけが皇帝に愛されることでね」


 その笑みは私には自暴自棄に見えて


「あなたの本当の望みは、ここから出ることなんじゃないですか? だったら私が、ここから出られるように協力します。そうしたらレイファンさんは、もう色欲の指輪を使わなくて済むでしょう?」


 私の提案に、レイファンさんは少し動揺したようだったけど


「うまく後宮から出られたとして、私にはもう帰る場所なんて無い。家族のもとに帰っても、かえって困らせるだけ。昔の恋人にだって合わせる顔が無い」

「レイファンさんには恋人がいたんですか?」


 私の問いに、彼女はコクンと頷いて


「とても好きだったけど、私も彼も貧しくて家族までは養えなかった。だから彼を捨てて、お金を取ったの。自分の意思で身売りしたんだから、本当は嘆く資格なんて無いのよ」

「そんな風に自分を責めないでください。家族のために仕方なく別れたんだって。本当はレイファンさんも、すごく苦しんでいるんだって、きっと恋人さんも分かっています」

「あなたに何が分かるの? あの人と会ったことも無いくせに」


 レイファンさんの言うとおり、彼女の恋人のことは知らないけど


「ここに来る前。皇都である男性と出会って。その人の恋人も下働きから寵姫になったそうなんです。本当は一緒になりたかったけど、妹たちを護るために後宮に上がった彼女を、今でもすごく大切に想っていました」


 そういう人もいるという例えとして話すと


「……妹たちを護るためだと言っていたの? その人は、どんな人だった? どこで出会ったの?」


 レイファンさんの反応に


「もしかして、その人がレイファンさんの恋人なんですか?」

「分からない……。彼がまだ私を想っているはずがない……」

「あの、良かったら私が確認して来ます。その人がレイファンさんの恋人か。あなたとまた会いたいかって」


 良かれと思って申し出るも、レイファンさんは恐怖したように「やめて!」と叫んで


「今更どんな顔をして、彼の元に戻ればいいの? 私は彼を裏切って、数え切れないほど帝に抱かれた汚い女なのに」


 彼女は泣きながら自虐するように口元を歪めて


「それも汚らわしいだけじゃなく、子どもも産めない役立たず。戻ったところで、彼の妻になる資格なんて」


 私は彼女の発言を遮るように、レイファンさんの手を取ると


「レイファンさんが自分を否定したくなる気持ちは分かります。でも私が食堂で会った男性は、もう会えない恋人を、それでも想っているようでした。あなたが可能性に背を向けたら、彼はずっと独りかもしれません。だから、あの人の気持ちを聞いてあげてくれませんか? レイファンさんだけじゃなく、あの人の幸せのために」


 私の訴えに、レイファンさんは瞳を揺らしながら


「……私は一度、帝に捨てられたの」


 涙に声を震わせポツリと口にすると


「最初は確かに愛されていたはずなのに。その想いが本物なら、私も心から帝に尽くそうと思ったのに。2年抱いても懐妊しない石女だからと、あっさり捨てられた……」


 それがきっかけでレイファンさんは、女を子どもを産む道具としか見ない帝と後宮を深く憎むようになった。


 そんな折、レイファンさんは後宮の庭で、色欲の指輪を見つけた。


 普通の人にとって悪魔の指環は不吉さを感じさせる。とても身に着けようとは思えない品だ。


 けれどレイファンさんは不吉さと同時に、何かを変えてくれそうな予感がしたらしい。


 実際に使うことで、色欲の指輪の効果を知ったレイファンさんは、それで皇帝を虜にすることにした。


「さっきは自分が唯一の寵姫になるためだと言ったけど、厳密には違う。私は帝を自分に釘付けにすることで、復讐したかったの。石女だと蔑み捨てた女に狂って、大事な血筋が絶えればいいと」


 しかしレイファンさんは、そんな自分を恥じてもいるようで両手で泣き顔を隠すと


「また期待を裏切られたら、今度はあの人を恨むかもしれない。これ以上、心が憎しみに染まるのは嫌……」


 今、彼女に決断を迫ることは酷かもしれない。


 それに布を取りに行った女官さんが、いつ戻って来るか分からないので


「また会いに来ますから、どうか自分を責めないで。きっといい方向に向かいますから、心安らかに待っていてください」


 彼女を励ますと、後宮を後にした。

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