例えあなたが望まなくても
翌朝。客間で目を覚ました私は、葬送の笛と自在のブラシ以外の荷物が全て消えていることに気付いた。
しかも
「フィ、フィーロまで無い」
ポケットに入れていた全知の鏡まで無くなっていた。
もしかして、また盗まれた? でもマラクティカで神の宝を盗まれる危険は無いって、フィーロが言っていたのに。
半泣きでフィーロを捜していると
「あの鏡を捜しているなら無駄だ」
獣王さんの声に客間の入口を振り返ると
「お前が寝ている間に俺が壊した」
その言葉に思考が停止した。
フィーロが壊されたなんて嘘だ。
でも現実を受け入れられない私に、獣王さんは冷たい無表情で
「現物を見せてやれなくて悪いが、壊したのは本当だ。お前の鏡は本当に、もうこの世のどこにも無い」
「なんで? 私が寝ている間にフィーロを壊すなんて、どうしてそんな酷いことを?」
あまりの仕打ちに泣きながら非難するも、獣王さんはかえってこちらを睨むように
「お前が馬鹿みたいに俺を信じたからだ。人間はもっと巧妙に欺き、お前から奪う。この程度の罠にかかり泣くだけのお前に、人の世を旅するなんてできない」
冷徹に言い放つと
「他の荷物もお前には返さない。マラクティカの外は死の砂漠に囲まれ、恐ろしい魔獣が出る。道具を奪われたお前には、生きてマラクティカを出ることは決してできない。分かったら大人しくここで暮らせ」
それだけ言うと、獣王さんは私に背を向けて去って行った。
最初は怪我が治ったら出て行くように言っていたのに、どうしてこうなったんだろう? 自分がどうしてこうなったのか、これからどうすべきか、私にはまるで分からなかった。
でも獣王さんの仕打ちを考えると、昨日の急な眠気もお酒のせいじゃなくて、何か薬でも盛られていたのかもしれない。
だとしたら、どうしてフィーロは教えてくれなかったんだろう? それどころかフィーロは、お酒を飲むように勧めさえした。
『次に離れることがあれば、君の旅はそこで終わりにしてくれ』
まるでこの展開を予見していたようなフィーロの言葉を思い出す。
フィーロは私との旅を終わらせたかったのかな? 私があんまり弱くて無謀で心配ばかりかけるから、優しいフィーロはストレスだったのかもしれない。
それでも私は、こんな形で旅を終わらせたくない。彼にも言ったとおり、フィーロを元の体に戻すことは、今や私の願いでもある。
この世界に立つフィーロを私が見たいんだ。その夢を絶対に諦めたくない。
これまでだって、ずいぶん絶望的な状況はあった。でもそこから逃げずに進み続けたら、思いがけない道が拓けた。今回だって、もう終わりに見えて、まだ方法があるかもしれない。
これまでの旅で得た経験が、私に願いを諦めさせなかった。そして私は1つの答えに至った。
1人でも悪魔の指環を探そう。神の宝は壊されても、神の宝物庫に戻るだけ。つまりフィーロは完全に消えてしまったわけじゃない。
それなら私が悪魔の指輪に彼の解放を願えば、フィーロがどこに居ようと自由になれるかもしれない。
フィーロが私に、もし次に自分と離れた時は旅をやめるように言っていたことを忘れたわけじゃない。今のフィーロが自由よりも、私の安全を望んでいることも分かっている。
だけどフィーロが自分よりも私を心配してくれるように、私も自分の安全よりフィーロの自由が大切なんだ。
獣王さんに奪われた神の宝と悪魔の指環を見つけ出して、1人でも旅を続ける。
そのためにも、まずは
「サーティカ、言えないニャ! 旅人さんから奪った道具が今どこにあるかなんて!」
「お願い。獣王さんにはサーティカから聞いたとは言わないから」
獣王さんとサーティカが私から道具を奪ったのは、悪意ではなく善意だ。彼らは旅をやめるのが私のためだと思ったから妨害した。
それならちゃんと話し合えば分かってくれるかもと、より話しやすいサーティカに当たってみた。
けれど私の頼みに、彼女は頑なな態度で
「王の命令だからってだけじゃないニャ! あの指輪は絶対に不吉なものニャ! あの指輪を全て集めたら、きっと旅人さん、大変なことになるニャ!」
「サーティカと獣王さんが私を心配してくれていることは分かるよ。それでも私は、この旅を途中でやめたくないんだ」
真剣に訴えると、サーティカは少し語気を弱めて
「ニャんで? あの鏡は、もうこの世に無いニャ。旅をやめても、誰も旅人さんを咎めないニャ」
「嘘吐きとか裏切り者とか、誰かに咎められることが怖いんじゃないよ。私がただフィーロとの約束を守りたいんだ」
私の言葉に、サーティカは泣きそうな顔で
「どうして、あの鏡との約束がそんなに大事ニャの? 1人で無茶したら、旅人さん死んじゃうかもしれないニャ。この世に命より大事なものは無いって、旅人さんは知っているはずニャ」
「命はもちろん大事だよ。でも私はもう本当の願いを諦めて、ただ息をしているだけの人生には戻りたくない」
それから私はサーティカに話した。自分は元の世界で死んだ人間なのだと。
生まれつき重病で、前世は誰の役にも立てないまま死に、今度は誰かの役に立ちたいと願って、この世界に来た。
その願いどおり、この世界で、たくさんの人の役に立てた。でも、それはフィーロが居たからだ。
フィーロは私のいちばんの願いを叶えてくれた。だから私も彼のいちばんの願いを叶えたい。
「その約束を果たすことが、今の私にはいちばん大事で、命を懸けてもやりたいことなんだ」
サーティカの言うとおり、命は大事だ。でも私はこの世界に来て、本気で生きられるようになって初めて、命が燃える感覚を知った。
世界が輝いて見えるのは、きっと出会う人や景色が素晴らしいからだけじゃない。自分の命が灯となって、目の前の道を照らすから。
外の風は私の命の火を消すかもしれない。でも優しい誰かに囲われた無風の中では、命の火はかえって弱くなる。私はもう自分の命の灯も感じられないような生き方はしたくない。
「だからお願い。ここで私を、ただ死なずに生きているだけのものにしないで。自分がいちばんしたいことのために、ちゃんと生きさせて」




