隠れた滅び
心からフィーロとの再会を喜ぶ私に
「君は全知の大鏡に、さんざん俺への不信を植え付けられたのに、少しも疑わないのか?」
その問いに頷くと、彼は物憂げな顏で
「……全知の大鏡が最後に言っただろう? 全知の鏡の本来の使い方。偽りなく真実を答えさせる方法。俺が君を裏切っていないか、確かめなくていいのか?」
再び頷きで答える私に
「なぜ? 君は聞くべきだ。俺が本当に君を裏切っていないか? 全知の大鏡が言う最悪の嘘とは何かと」
「フィーロは聞いて欲しいの?」
私の問いに、彼は気まずい沈黙で答えた。
全知の大鏡の言うとおり、フィーロは何か隠しているのかもしれないけど
「話しにくいことなら無理に言わなくていいよ」
「……なぜ?」
掠れた声で問う彼に
「フィーロを信じているから。全部を知らなくても怖くない」
笑顔で答えると、フィーロは少し目を逸らして
「……君は本当にとんでもないお人よしだな。俺が悪人なら騙し放題だ」
「これでも、ちゃんと人を見ているよ? だから全知の大鏡の言うことは信じなかった。私は全知の鏡じゃなくて、フィーロだから信じているんだよ」
そこまで考え無しじゃないよと伝えると、彼は少し表情を和ませて
「それ、リュシオンたちにも言っていたな。俺の言葉じゃなく心を信じているんだって」
「どうして知っているの?」
「フィーロはあの場に居なかったのに」と驚く私に
「前にも言っただろう。俺は自分の目や耳で知らなくても、知ろうと思えばなんでも分かる。俺は盗まれてすぐ助けを呼べないように、音を遮る『遮音布』で包まれた。それだけで俺は完全に動きを封じられた。それでも君がどうしているかだけは分かった」
遮音布で声を封じられたフィーロは、私を迎えに来た兵士さんたちとエーデルワールに来た。
その後は一切、遮音布から出されることの無いまま、パトリック王子の部屋に隠されていたらしい。
フィーロは身動き取れない中で、私を見続けて
「優しさに付け込まれ、騙される形で獣人たちとの争いに巻き込まれ、逃げる手段もあったのに、君は燃え盛る炎の獅子を捨て身で止めようとした。あの勝利は本当に運でしかない」
フィーロは苦しそうに顔を歪めながら
「君は九命の猫が身代わりになって消える瞬間、ゴメンと謝ったな。獣王はその声を聞いて無意識に炎を弱めた。君が九命の猫の犠牲に胸を痛めなければ、それに彼の王が反応しなければ、君は骨も残さず焼き尽くされていた」
私が負けていたら獣王さんは当初の予定どおり、王様とパトリック王子を手にかけていたらしい。
息を吹き返したアルメリアは私と家族の仇を討つために、駆け付けた兵士さんたちと決死の覚悟で獣王さんに挑む。
けれど、それは死を前提とした悲しい戦い。
獣王さんは刃向かう者を全て殺して、1人でマラクティカに戻るはずだった。
「だがエーデルワールの生き残りたちは、大鏡に唆された王たちが、先に獣人たちを脅かしたことを知らない。彼らは野蛮で残忍な獣人たちが、理不尽に王家を滅ぼしたと誤解する。そして残された兵を率い、他国にまで助力を求めてマラクティカを攻めに行く。どちらが勝ったとしても悲惨な結末だ」
私が獣王さんを止めた上で、処刑は防げなかった場合。
まず『治癒の泉』を使えない私は死に、王様たちはフィーロを壊して真実を隠蔽する。
しかし敬愛する獣王さんを殺されて、マラクティカの民が黙っているはずがない。
今度は残された獣人さんたちが、王と仲間の復讐を決意する。
「獣人たちは本来、他国を侵略しない。しかし一たび人間を滅ぼすと決意すれば、今は抑えている繁殖力を解き放って一気に勢力を増す。そもそも人間より強靭な彼らが、数の面で互角になるんだ。現状の人間の力では太刀打ちできない」
フィーロは淡々と語ると
「けれど、じゃあ、獣人と違って邪悪で欲深な人間を滅ぼせば、世界は平和になるかと言えばそうでもない。獣人が人類を滅ぼすまでに、あらゆる負の感情が溢れ、大地は血と死肉に穢される。神樹による浄化が追いつかないほどな」
あまりに大きな穢れに晒されることでも、神樹は枯れてしまう。
そして神樹が枯れれば、浄化の仕組みを失った世界は邪気に満ちて、全ての生物は病み弱り死に絶える。
様々な滅びの可能性を語ったフィーロは
「君が救ったのはエーデルワールやマラクティカだけじゃない。その陰に隠れた世界の滅びから、君は多くの命を救ったんだ。それはとても尊い行いだが、俺はあまり喜べない」
彼は珍しく表情を隠すように俯きながら
「さっきも言ったが、いま君が生きているのは奇跡でしかない。死んだって人間は、また別の何かに生まれ変わる。魂が滅びることは無いんだから、死なんて大したこと無いと自分や他人になら思う。でも君は……君が殺されるのは一度だって嫌だ」
再びこちらを見たフィーロは泣きそうな顔で
「もうあんな無茶はしないでくれ」
「ご、ゴメンね。心配かけちゃって」
私がフィーロを大切に想うように、フィーロも私を大切に想ってくれているんだ。
壊れそうなほどの彼の不安が伝わって来るようで、私も泣きそうになりながら、紫のコンパクトを抱きしめた。
「……俺が君を冒険に連れ出したのに、危険な真似はしないでくれなんて、我ながら矛盾しているな」
自嘲するフィーロに、なんて返していいのか分からず、ただ黙って紫のコンパクトを撫でた。
「病み上がりなのに悪いが、もう少しだけこのままで居てくれないか? 君の鼓動を聞いていたいんだ」
私はフィーロの言葉に頷くと、紫の鏡を大切に胸に抱き直した。
しかし、そこで。
グゥゥ……。
鼓動よりも大きく鳴り響く私のお腹の音。
私は恥ずかしさから泉に沈み、フィーロはおかしさに吹き出した。
「いいじゃないか、我が君。空腹は健康の証拠だ。君が元気になって本当に良かった」
笑いがフィーロの鬱屈を吹き飛ばしてくれたらしい。
フィーロに笑顔が戻って私も嬉しかった。




