最悪の嘘
1人では動けないフィーロを運んでくれたのは
「リュシオン!? 生きていたの!?」
パッと顔を明るくするアルメリアに、リュシオンは疲弊しつつも微笑んで
「またミコト殿の不思議な道具で命を救われました。すぐに駆け付けたかったのですが、戻ったところで獣王に勝てるかは分からない。ですから、この混乱に乗じて、せめてフィーロ殿をお返ししようと捜して来たんです」
しかしそれを聞いたパトリック王子は
「貴様は生きていたにもかかわらず、我々を助けるよりよそ者に鏡を返すことを優先したのか!? それでも我が国の竜騎士か!?」
目を吊り上げて怒鳴る主人を、リュシオンは鋭く睨み返して
「お言葉ですが、俺が忠誠を誓っているのは、国であって王家ではありません。王がこの国の象徴足り得ぬ時。この国のために命がけで戦ってくれた恩人を差し置いてまで護ろうとは思えません」
「こ、コイツ! 代々王家に仕える身で何を抜け抜けと!」
王様もリュシオンの言葉に気を悪くしたけど
「部下の非礼を責める前に、少しは我が身を振り返るんだな。兵士たちどころか、こんな女の子まで自分の代わりに戦わせて、事が済んだら恩人の意向は無視。それどころか彼女が死ぬ前に獣人を殺せと言う。そんな卑怯で非情な自分たちを、王族であるだけで敬愛しろと言うのか?」
フィーロの手痛い指摘に
「くっ……」
「だが、獣王は殺すべきだと全知の大鏡が……」
王様はまだ全知の大鏡を信じているようだけど、フィーロは鏡の中で肩を竦めながら
「いい加減、全知の力に惑わされるのはやめて、少しは自分で考えるんだな。そもそも、なぜこんな争いが起きたと思う? あなたが先祖の言いつけを無視して、全知の大鏡に頼ったからさ。危険だから決して触れるなと、封印されていたにもかかわらずな」
「で、ですが、この大鏡は自分には、あなたと同じ全知の力があると」
パトリック王子の言葉に、フィーロは
「全知の力は確かにあるさ。でも、その力で人間に利するとは限らない。なぜならソイツの目的は、人間たちを操って大きな災いを起こすこと。あなたがたを唆して神樹を切らせようとしたのも、その一環さ」
「な、なぜわざわざ災いを起こそうと? それと神樹を切ることに、なんの関係があるのですか?」
王様の問いに、フィーロは大鏡に目を向けながら
「それを説明するには、まずその大鏡が何者か話さなくてはならない。あなたがたはすっかりその鏡の嘘を信じたようだが、俺とソイツの立場は全く逆だ。300年前。土壇場で俺を裏切って「自分にも俺と同じ姿と力を」と悪魔の指環に願い、鏡になったのはソイツのほうだ。そうだよな、孫兵衛君?」
「そ、その名で呼ぶな!」
フィーロに今の姿とは不似合いな本名を呼ばれた大鏡はカッと赤くなった。
最強の剣の所有者だった立川君と同様。
転移者としてこちらに来た孫兵衛さんはフィーロと旅するうちに、魔法が使える自分は選ばれし存在だと自尊心を肥大させた。
悪魔の指環に願ってフィーロよりも立派そうな姿と全知の力を得てからは、いっそう自分を神のように偉大で美しいと思い込んだそうだ。
「だ、だったら自分のほうがフィロソフィス殿よりも先にあり、能力も精神性も上と言うも大鏡の嘘?」
呆然とするパトリック王子に、フィーロは冷めた態度で
「どっちが上か先かはどうでもいい。重要なのはソイツが悪魔の指環の力によって、鏡になってしまったことだ。それからソイツの目的は俺と同じ、鏡の状態からの解放になった。ただ、そのアプローチはずいぶん違う」
真っすぐに全知の大鏡を指すと
「ソイツは悪魔を喜ばせれば、今度こそ完璧な形で願いを叶えてくれるに違いないと考えた。だから悪魔が喜びそうな災厄を、世にもたらそうとしたのさ。もっと人間を苦しめれば、いっそ世界を滅ぼせば、悪魔は再び自分の願いを叶えてくれるはずだと。せっかく手に入れた全知の力に目を瞑り、自分自身の妄想を膨らませてね」
フィーロから全知の大鏡の狙いを聞いたアルメリアは
「だからお父様たちを唆し、神樹を切らせようと? 神樹を切ったら、いったい何が起こるんですの?」
その質問に、フィーロは淡々と
「神樹には生物が放つ邪気を浄化して、清浄な気を循環させる役割がある。その神樹を少しでも傷つければ、木は徐々に弱って枯れ果てる。生物が出した邪気は浄化されることなく蔓延して、生物はみな病み弱り、やがて死に絶える」
「う、嘘だ! たった1本の木を切っただけで、そんな大事になるなんて!」
パトリック王子は感情的に否定したけど
「このことはお前たちの使者にも説明した。だが、ソイツラもお前たちのように「嘘だ。迷信だ」と信じなかった。そして無理やり木を切ろうとした」
獣王さんの言葉に、王様たちは沈黙した。
ただでさえ王様たちは、全知の力を持つ大鏡を妄信していた。
さらに相手は獣の特徴を持ち、未開の地に住む獣人たち。
獣人は人間より劣った存在。その意識が獣人たちの言葉を疑わせた。
それでも使者が独断で他国のものを盗むはずがない。
『そんな迷信を信じているとはなんと頑迷な』
獣人さんたちの知恵を侮って、ちょっとなら構わないだろうと使者に盗みを命じたのは王様だったそうだ。
王様の命令で、使者は神樹を勝手に切ろうとした。
それが失敗して仲間が殺された報復に、他の兵士さんが獣人さんたちの飲み水に毒を混ぜた。
獣人の国は、ただでさえ人間の立ち入りを禁じていると言う。
そこに使者を送り、返事を無視して神樹を切ろうとし、飲み水に毒を混ぜた。
そんな暴挙をされたら元凶となった一族を滅ぼしてやると、獣王さんたちが思ってもおかしくない。
むしろ民間人や兵士さんたちはなるべく巻き込むまいとしただけ、獣王さんたちのほうが優しいかもしれない。
フィーロから真実を聞いた王様は
「ほ、本当か? 大鏡よ。お前はわしらを騙して、世界を滅ぼさせようと?」
「騙したとは人聞きが悪い。神樹で作った武器や装備が守護竜に匹敵するほど強大な力をもたらすのは本当です。それに神樹の枝を切った程度では、浄化の力を失うと言っても、全ての生物が死滅するほど気が淀むのは50年は先のこと。王の存命中は安泰なのだから構わないではありませんか」
微笑みだけは優しく述べる全知の大鏡に、王様はゾッとした様子で
「何を言っておるんじゃ!? 自分が生きている間は平和ならいいなんて許されるはずがない!」
「自分が良ければ、それでいいなんてあり得ない? これは異なことを。あなたは神樹は渡せぬという獣人たちの返事を無視して、盗んででも神樹を得ようとした。飲み水に毒を混ぜたのは、仲間を殺された兵の独断ですが、それはあなたがた親子が真実を隠して『野蛮な獣人たちの理不尽な見せしめ』と説明したからでしょう」
本性を現した全知の大鏡は、閉じていた瞼を開けて邪悪な笑みを浮かべた。
フィーロの姿に似せたはずなのに、その目は血のように赤かった。
「その報復に獣王が攻めて来た時も、あなたがたは真実を明かして、死をもって償うことを拒んだ。だから代わりの策が必要になったのです。恩人である旅人殿から鏡を奪い、真実を知らせぬまま獣王殺しに加担させる。そのどさくさに彼女から悪魔の指環を奪い、マラクティカの獣人たちを労せず排除して神樹を手に入れようともね」
全知の大鏡は、私たちがまだ知らなかった王様とパトリック王子の企みも暴露した。
「お、お父様……。お兄様……。本当にそんな恐ろしいことを、この鏡と企んでいたのですか……?」
あまりに恐ろしい家族の過ちに、アルメリアが青ざめながら問うと
「ち、違う! わしらはこの鏡に騙されて! だんだん事態が大きくなって、後には引けなくなってしまったんじゃ!」
全て大鏡のせいにしようとする王様に、アルメリアはかえって怒って
「マラクティカの王の言うとおり、ただ自らの非を認めて首を差し出せば良かったのよ! それなのに自分の保身のために、こんなにたくさんの人を巻き込んで、犠牲にして! それでも自分たちだけは助かろうなんて! この恥知らず! お父様にも、お兄様にも王の資格は無い!」
「ですが、獣王を生きて帰せば、必ずこの国に報復しに来るのは事実。悪いことは言いません。獣王は、ここで殺してしまいなさい。そしてその旅人から悪魔の指環を奪い、残りの獣人たちも滅ぼすのです。神樹さえ切らなければ、獣人は居なくても構わないのですから」
この期に及んで毒を注ごうとする全知の大鏡に
「うるさい! その邪悪な口を閉じよ!」
アルメリアは涙目で怒鳴った。
「リュシオン。取りあえず、あの大鏡をさっさと仕舞ってくれ。あれは人の弱さや欲に付け込み、破滅に導いて悪魔に捧げることしか考えていない魔の鏡。しゃべらせると、ろくなことにならない」
ところがフィーロの指示に
「まるで自分は正義のような口ぶりだ。あなたこそ自分の目的のために、気さくな笑顔と巧みな話術で人間を利用し破滅に導く魔の鏡でしょう」
全知の大鏡は、悪魔のような赤い目を私に向けて
「最後にいいことを教えてあげましょう、旅人殿。フィーロは、あなたに嘘を吐いている。嘘だと思うなら、彼にこう尋ねてみなさい。「我が問いに真実で答えよ」と。そう命じてからの質問なら、彼は嘘を吐けなくなる。あなたに吐いていた最悪の嘘についても」
フィーロが私に吐いた最悪の嘘?
しかし全知の大鏡の意味深な発言は
「リュシオン! あの鏡を壊して! もう何も聞きたくない!」
アルメリアの悲鳴のような命令と
「消えろ! 邪悪な鏡め!」
リュシオンが拾って投げた剣によって、粉々に砕かれ消えた。




