事件の真相
後日。レティシアさんの屋敷。
かつては夫婦で使っていた寝室に、レティシアさんはある男性を呼び出した。
「お嬢様、なんの御用でしょうか?」
眼鏡をかけた30半ばの温厚そうな男性は、レティシアさんの夫に大怪我を負わされたロレンスさんだ。
なんとか仕事ができるまでに回復したものの、顔にはまだ痛々しい痣が残っている。
「夫の件で、あなたには大変な迷惑をかけてしまったわね。怪我はもう大丈夫なの?」
レティシアさんの問いに、ロレンスさんは温和な微笑みで
「ええ、このくらいなんとも。ただ私のことはいいのですが、最近の旦那様の様子を見るに、やはりこのまま夫婦でいるのは難しいのではないかと。あんなに活発だったお子様たちも、すっかり元気を失くしてしまいましたし」
暗に離婚を勧めるロレンスさんに、レティシアさんは深刻な表情で
「ええ、私もその件について、よく考えてみたの。あなたや父の言うとおり、あの人とは別れて別の男性とやり直すべきだろうと」
「そ、そうですか。ようやく御決心いただけましたか。それでお嬢様は新しい伴侶に、いったい誰を?」
実はレティシアさんとロレンスさんは、単なるお嬢様と使用人の関係では無いそうだ。
レティシアさんのお父さんは、祖父の代から仕えるロレンスさんを気に入っていて、娘の婿にと考えていた。
けれどレティシアさんは旅行中、ならず者から助けてくれたマティアスさんと出会い恋に落ちた。
そして「どこの馬の骨とも分からん男と」と難色を示すご両親を説得して結婚したと言う。
「でもいま思えば、それが間違いのはじまりだったのかもしれない」
レティシアさんは憂い顔で呟くと、ロレンスさんをジッと見つめて
「今さら虫のいい話だけど、あなたが構わなければ、私と再婚してくれないかしら? あなたは私との縁談がダメになった後も、もともとこの家の使用人だからと私たち家族を支えてくれた。マティアスへの信頼が崩れた今、そんなあなた以上に信頼できる男性は居ないから」
レティシアさんの申し出に、ロレンスさんは「お、お嬢様……」と感極まったように呟くと
「虫がいいどころか、それが私の積年の願いでした。お嬢様の不幸に付け込むようですが、そう言ってくださるのでしたら喜んで。これからは夫として、お嬢様を支えさせてください」
ロレンスさんはレティシアさんの傍に跪いて、愛しそうに彼女を見上げた。
「女からねだるのもあれだけど、婚約の祝いに贈りものが欲しいわ。良ければ、あなたがいつも身に着けている指輪をくださらない? あなたの分身だと思って、いつも身に着けていたいから」
彼女が望んだのは、彼がいつからか手袋の下に身に着けるようになった、恐ろしい化け物を象った銀の指輪だった。
ロレンスさんは、その手をサッと引っ込めながら
「いや、しかしこれは……男物の指輪ですし、お嬢様にはサイズが合わないでしょう」
「親指になら嵌められるかもしれないわ。ちょっと貸してみて?」
あまり嫌がったら、せっかくの婚約が白紙になると思ったのか
「で、では少しだけ……」
ロレンスさんはしぶしぶ手袋と指輪を外すと、レティシアさんに渡した。
レティシアさんは右手の親指に指輪を嵌めると
「不思議。嵌める前は緩そうだったのに、いざ着けると女の指でもピッタリだわ」
「お、お嬢様……」
「あなたはもう私の夫なんだから、お嬢様なんておかしいわ。これからはレティシアと呼んで?」
彼女は甘やかに微笑むと、ロレンスさんに右手を差し伸べた。
ところが彼は喜ぶどころか怯えたように身を引いた。
ロレンスさんの反応に、レティシアさんはおかしそうに笑って
「あら、どうして私の手を取ってくれないの? 私を好きだと言ったのは嘘?」
「いえ、滅相もございません。ただお嬢様はまだ結婚中ですし、正式に離婚するまでは軽々しく触れ合うべきではないと」
「そう? 私はてっきり、この指輪を嵌めた手で触れられたくないのかと思ったわ」
「えっ!? そ、それはどういう……」
動揺するロレンスさんに、レティシアさんは打って変わって冷たい目で
「この間のパーティーで出会った占い師から全て聞かせてもらったわ。この『憤怒の指輪』の効果と、あなたの卑劣な企みをね」
彼女の夫を狂わせたのは、触れた相手を激怒させる『憤怒の指輪』だった。
ロレンスさんは本来、レティシアさんと結婚するはずだった。それがマティアスさんとの出会いでダメになった。
マティアスさんの指摘どおり、未だにレティシアさんを奥様ではなくお嬢様と呼んでいるのが、2人の結婚を認めていない証拠だった。
憤怒の指輪を手に入れたロレンスさんは、それに人を怒らせる効果があることを知り、夫を豹変させて離婚させようとした。
けれどロレンスさんは、なんとかしらばくれようと
「ゆ、指輪の効果とはなんのことですか!? 卑劣な企みとやらも、私には全く身に覚えがありません!」
「私を裏切ってないと言うなら、この手に触れてご覧なさい。ただ指輪を嵌めただけの女の手を、あなたがそれほど恐れることが、この指輪の効果を知っている何よりの証拠よ」
「くっ……!」
もはや言い逃れできないと思ったのか、ロレンスさんは部屋から逃げようとした。
しかしドアを開けた瞬間。
「グギャアッ!?」
鉄球のように重く硬い拳が、ロレンスさんの顔面にめり込む。
「これは貴様の非道への正当な怒りだ」
引っくり返ったロレンスさんに冷ややかに言い放ったのは、倉庫に閉じ込められていたマティアスさんだった。
この会話の途中。ロレンスさんはレティシアさんに渡すために指輪を外した。
それにより正気に戻ったマティアスさんを、私がこの場に連れて来たのだった。
「あなた!」
レティシアさんは久しぶりに会った夫の胸に飛び込むと
「ゴメンなさい! こんな男に騙されて! あなたの正気を疑って!」
泣きながら謝罪する彼女に、理性を取り戻したマティアスさんは
「君は何も悪くない。実際、私は正気じゃなかった。むしろ私があれだけ狂っても、よく離婚せずに耐えてくれた」
「ありがとう」と、しっかり妻を抱き締め返した。
しかしロレンスさんは涙目で顔面を押さえながらも
「こ、これで解決したと思うなよ。大勢の前で私を殴ったことで、お前の信頼は地に落ちたんだ。お前に惚れているお嬢様が夫の肩を持つのは当然。私が知らないと言い張れば、憤怒の指輪があったところで、お前への疑いが完全に晴れることは……」
ロレンスさんはあくまで2人の仲を引き裂こうとしたけど
「他の誰が知らずとも、お前が犯人だという証人は、わしだけで十分じゃろう」
「なっ、この声は……!?」
辺りを見回すロレンスさんの前で、大きなクローゼットが内側からガチャッと開いて
「お、大旦那様!? なぜそのようなところに!?」
レティシアさんのお父さんの登場に、ロレンスさんは青くなった。
「なぜも何もレティシアに頼まれたんじゃ。マティアスの異常な怒りようが悪魔の指輪によるもので、その犯人がお前であることを証明するから、クローゼットに隠れて見ていて欲しいとな」
マティアスさんの怒りを解くだけなら、憤怒の指輪を奪うだけで済む。
けれど関係者の前で真実を明らかにしなければ、マティアスさんの名誉を完全に回復することはできない。
だからフィーロはレティシアさんに、回りくどい芝居をさせたのだった。
そのおかげで、ロレンスさんが故意に憤怒の指環を使ったと知ったレティシアさんのお父さんは
「あれだけわしが勧めたにもかかわらず、レティシアがお前を選ばなかったわけがよく分かったわ。お前の家は祖父の代から我が家に尽くしてくれた。お前の祖父と父に免じて公の裁きは与えんが、今すぐこの屋敷を出ろ。二度と娘たちの前に現れるな」
「う、うぅ……」
もともとマティアスさんの豹変については、使用人さんたちに口止めしてあったので、外部には漏れていない。
だから後は使用人さんたちに対して
「聞いた? 旦那様が異常に怒りっぽくなっていた件。執事のロレンスが、奥様と旦那様を別れさせようと、密かに情緒を狂わせる薬を盛っていたんですって」
「まぁ、恐ろしい! でもロレンスは結婚後も、奥様を『お嬢様』と呼び続けていたものね。温厚そうな顔をして、裏では蛇みたいに執着していたのね」
「その企てに乗って離婚にならなくて良かった」
悪魔の指輪ではなく薬のせいにすることで、マティアスさんの名誉は無事に回復した。




