自在のブラシ
それから私は暴食に悩むご令嬢のお父様の口利きで、無事に学園に潜入した。
先生たちは私が、生徒たちを襲う異常な食欲の原因を突き止めに来たと知っている。
しかし一般の生徒には秘密にしてもらった。
なぜなら暴食の指輪の所有者は、生徒の中に居るからだ。
私はこの学園の制服を着て、犯人と接触することになった。
「居たぞ、我が君。彼女が暴食の指輪で生徒たちを太らせた犯人だ」
イザベラという名の彼女は、他の生徒たちから明らかに浮いていた。
髪は黒の縮れ毛。顔には不摂生のせいか吹出物があり、背が高い上に太っているせいで、余計に大きく見えた。
彼女は大きな体を恥じるように背を丸めて、暗い顔をしていた。
イザベラさんの姿を見ただけで、私は事件の動機が分かった気がした。
「君の推察どおり、彼女が他の生徒たちを太らせたのは、美しい者への嫉妬と自分を嗤った者たちへの復讐だ。君が助けようとしているあの憐れなご令嬢は、自分の美しさを鼻にかけ、友だちと一緒に彼女の醜さを嗤った。だから憎まれ呪われたのさ」
犯人の恨みの対象は女生徒だけでは無かったそうだ。
男子にも彼女の醜さをからかい、辱める者が居た。
彼らも餌食になり、醜く肥え太らされて、学校に来られなくなっていると言う。
「まぁ、人も羨む美貌の持ち主でも、彼女にあからさまな悪意を向けなかった者は餌食になっていない。そう考えると被害者は皆、自業自得と言えるだろう」
次にフィーロは指輪の奪い方について
「彼女は人に飢えているから、君が話しかけてやれば喜ぶ。一緒にお茶をしようと誘って眠り薬を飲ませれば、すぐに片がつく」
指輪を回収して異常な食欲が治まれば、被害者たちのダイエットを邪魔するものは無くなる。
魔女の万能鍋で作った痩せ薬をあげれば、1か月ほどで元の姿を取り戻せるだろう。
それで問題は解決だとフィーロは言うけど
「勝手に指輪を奪うんじゃなくて、自分から手放せるようにしてあげられないかな? 暴食の指輪を使う理由が醜さを嗤われたせいなら、彼女自身が綺麗になれば、もう人を呪う理由は無くなるんじゃないかな?」
フィーロは、犯人のイザベラさんが人に飢えていると言った。
孤独だからお茶に誘われれば、初対面の相手でも喜んで応じるだろうと。
彼女は自分を嗤った相手を呪った。だとしても独りぼっちの女の子を騙して、指輪を取り上げることはしたくなかった。
私の意向に、フィーロは呆れ顔で
「彼女なりの理由はあれど、十数人の人間を暴食地獄に落とした犯人を救ってやろうなんて君は本当にお人よしだ。まぁ、そういう結末をお望みなら、決して被害者たちには悟られぬようにすることだ。じゃないとエーデルワールの時と同様、君まで非難の的になる」
一応の同意を得た私は、改めて暴食事件の犯人をお茶に誘った。
突然の誘いに、イザベラさんはとても驚いて
「あたしなんかをお茶に誘うなんて何? 友だちのフリして課題でもやらせたいの? それとも1人ぼっちのあたしを憐れんでくれたのかしら?」
フィーロは「彼女は孤独だから誘われたら喜ぶ」と言っていたけど、実際は刺々しい態度だった。
すでに何度も期待を裏切られた後なのかもしれない。
私はどう切り出すか迷った末に
「いきなりこんなことを言われても戸惑うだろうけど、私は決してあなたの敵じゃないと信じて欲しい」
そう前置きして
「あなたが暴食の指輪で、他の生徒に何をしたか知っている。その件で私はイザベラさんに会いに来たんだ」
その言葉にイザベラさんはサッと青くなって、急いでこの場から逃げ出そうとした。
「待って! 会いに来たと言っても、あなたを裁きに来たんじゃない!」
私は咄嗟に彼女の手を掴んで引き止めると
「ただ暴食の指輪を外して、生徒たちを解放してあげて欲しいだけ。あなたをどうこうするつもりは無いから怖がらないで」
「指輪を返せば、あたしが犯人だと言うことは黙っていてくれるの?」
イザベラさんは理解に苦しむような顔で
「なんであたしを逃がしてくれるの? この姿を見れば、どうしてこんな事件を起こしたか察しがつくでしょう? 自分が醜いからって、人のことも太らせて苦しめて、酷いヤツだと思わないの? どうしてあたしを罰さないの?」
本当はイザベラさん自身が、いちばん自分を責めていたのだろう。
彼女の気持ちが分かるからこそ、私はイザベラさんが酷いヤツだとも罰したいとも思わない。
「皆に馬鹿にされて辛かったよね。本当は酷いことなんてしたくなかったよね」
私は涙ぐみながら彼女の手を取ると
「余計なお世話かもしれないけど、良かったら暴食の指輪をもらう代わりに、あなたを綺麗にする手伝いをさせてくれないかな? あなた自身が綺麗になれば、もう誰かを呪う理由は無くなるはずだから」
私の申し出に、イザベラさんはポカンとして
「あなた、あたしを裁くどころか助けに来たって言うの? あたしは悪魔の力で十数人もの人を苦しめた犯人なのに?」
彼女の問いに、私はへにゃっと笑って
「もともと私はただの旅人で、人を裁く権利なんて無いから。いま暴食の呪いで苦しんでいる人たちも心配だけど、イザベラさんのことも助けたいんだ」
相変わらず、どっちつかずの態度だけど、これが私の正直な気持ちだった。
私の返事に、イザベラさんは深く俯くと
「……あたし、あなたの申し出を本当に受けていいの? こんな酷いことをしたくせに、罰を受けるどころか綺麗にしてもらうなんて。そんな虫のいい話を受け入れていいの?」
どうやらイザベラさんは悪人どころか、本来は道徳心が強いタイプみたいだ。
だから罪を犯した自分が、裁かれるどころか救われるなんて許されないと躊躇していたけど
「綺麗にするとは言ったが、俺たちは方法を教えるだけ。簡単に変われるわけでも劇的に綺麗になるわけでもない。都合のいい魔法を与えるわけじゃないから、気兼ねしなくていい」
とつぜん鏡がしゃべったことに、イザベラさんは驚いた。
私はフィーロには全知の力があって、彼が効果的なダイエット法や美容法を教えてくれると説明した。
「あたし、今まで何度も効果があるというダイエットを試して、そのたびにかえって太ったり、肌荒れが酷くなったりしたんだけど……」
不安そうなイザベラさんに、フィーロは確信に満ちた物言いで
「それは方法が間違っていただけだ。俺が教える方法は確実に効果のあるものだから、君が正しい努力を続ければ、顔立ちや骨格が大きく変わることは無いが、少なくとも肥満と肌荒れは治まる」
「それだけでいい。綺麗になれなくても普通になれれば。醜いと嗤われさえしなければ……」
イザベラさんはフィーロの言葉に、声を震わせて泣いた。
今までよっぽど辛かったんだろうと、私はもらい泣きしながら、イザベラさんの背中を撫でた。
それからフィーロはイザベラさんのために、ダイエットと美容の特別講義を開いた。
イザベラさんは熱心な勉強家のようで、しっかりノートを取りながら
「なるほど。痩せたいからって安易に食事を抜くと、体がその食事量に合わせて、かえって痩せにくくなるのね」
などフィーロの教えの1つ1つに驚き、講義が終わる頃には
「ダイエットの正しい知識を教えてくれて、ありがとうございます。これで今度こそ痩せられる気がします!」
出会った時の暗さから一転。イザベラさんは希望に顔を輝かせた。
彼女はどうやら真面目な努力家のようなので、コツさえ掴めればきっと結果を出せる。
私は最後に、イザベラさんに1つだけ魔法をかけた。
それは私が不用品の買い取りで、偶然手に入れた神の宝の1つ。
髪色や髪質や長さを自在に変える『自在のブラシ』だった。
フィーロによると自在のブラシは
『このブラシの生みの親は赤毛と剛毛がコンプレックスで、理想の髪にこだわっていた。くだらない願いと思われるかもしれないが、髪の問題に悩んでいる人間は少なくない。薄毛や癖毛、髪色を変えるとなれば金にもなるから、このブラシも多くの人間たちに取り合われた』
自在のブラシの効果を知られれば、誰かに盗まれるかもしれない。
だから最後の所有者は誰にも使い方を教えずに死んだ。その遺品が不用品として私のもとに流れて来た。
私は自分の髪に、特に悩みは無い。
自在のブラシを手に入れてすぐは髪色や長さを様々に変えて遊んだけど、けっきょくいつもの黒髪ショートに落ち着いた。
今は「髪よ、サラサラに美しくなれ。少年のような長さになれ」と、おまじないをかけながら普通のブラシとして使っている。
私はイザベラさんの後ろに立つと、自在のブラシで
「イザベラさんの髪よ、緩やかに柔らかくなれ。烏の濡れ羽のように、艶やかで美しい黒髪になれ」
そう言って優しく、丁寧に梳かした。
一度このブラシを使えば、その時に言った髪質や髪色が、再び魔法で変更しない限りはずっと続く。
ゴワゴワだったイザベラさんの縮れ毛は、自在のブラシで緩やかに柔らかく伸びて、見違えるほど美しい黒髪になった。
鏡に映った自分の髪を見て、イザベラさんはまた泣いた。
私は「きっともっと素敵になるよ」と後ろから彼女を抱きしめた。
全てが終わった後、イザベラさんは「ありがとう」と自ら暴食の指輪を渡してくれた。
これで彼女がかけた暴食の呪いは解けて、異常な食欲は治まり、生徒たちは緩やかに元の姿に戻るだろう。
「今回の指環の所有者は、素直な子で良かったな」
フィーロの言葉に笑顔で頷くと、また次の指環を探す旅に出た。




