どうか誰も死なないで
最強の剣を失った立川君は、へなへなと崩れ落ちて
「う、嘘だ。なんで竜まで倒した剣が、あんな笛の音なんかで……」
その呟きに答えるように、フィーロが鏡の中から
「俺もこんなことははじめてだが、どうやら神の宝は気に入った主人のためなら、本来以上の力を発揮するらしい。逆に君は最強の剣に嫌われたのだろう。だから剣は君に逆らい、葬送の曲に身を委ねた」
葬送の笛は私を気に入って、本来以上の力を貸してくれた。
それを聞いた私は涙ぐんで、ありがとうと葬送の笛を抱きしめた。
脅威が去った式場。
満身創痍のエーデルワールの兵士さんたちは
「よくも守護竜を殺し、我らを苦しめてくれたな……」
当然ながら、この場に居るほとんどの人が立川君を殺したがった。
一方の立川君は気の毒なほど怯えると
「す、すみません。調子に乗っていました。ど、どうか命だけは。頼むから殺さないで……」
ガタガタと震えながら土下座して、ひたすら謝罪と命乞いを繰り返した。
最強の剣を失った、これが本来の彼なのだろう。
良くも悪くも立川君は普通の人間だ。
無力な時は憶病になり、力を持つと傲慢になる。
その力関係は逆転し、今度は殺される側になった。
私は彼の姿が痛ましくて
「あの、すみません。命だけは助けてあげてください」
立川君の横に立った私に、エーデルワールの人たちは驚いて
「どうして、こんな男を庇うのですか!? コイツが我々に何をしたか、あなたも見ていたでしょう!?」
「幸い死者は出なかった! しかしクラウスは、こやつに手を切り落とされたのですよ!? それをどうして許せと言えるのです!?」
エーデルワールの人たちが怒る気持ちは痛いほど分かる。
それでも、この憶病な少年を殺していいとは言えなかった。
返す言葉も無いくせに、退くわけでもない私を見かねてか
「まぁ、待ってくれ。我が君も何も無罪にしろとは言ってない。ただこの国にも犯罪者を収容する施設があるだろう。そこに入れるだけに留めてくれ」
フィーロの言葉で、この国にも刑務所のような場所があるのかとホッとした。
私としては、そこで罪を償うに留めて欲しかったけど
「だが、この男は我が国にとって神にも等しい守護竜を殺し、無礼にも王家の姫を我がものにしようとした。それに、これだけの負傷者を出した」
「これだけの乱暴狼藉を働きながら、命だけは助けて欲しいなんて通るはずが」
「でも」と私は咄嗟に口を挟んで
「立川君は確かに許されないことをしました。でも今この場に居る人たちは、不思議と誰も死んでいません。それは本当に偶然でしょうか?」
それは激しい戦いを目にしながら、私が密かに抱いた疑問。
ここに居る人たちはみな半死半生だ。でもあれだけ強大な力を持つ剣で、1人も殺さないことが逆にできるだろうか?
「どういう意味だ? まさかこの男が手加減したとでも?」
「そんな配慮がこの男にあるはずがない!」
やはりエーデルワールの人たちには受け入れられなかったけど
「蹂躙された側からすれば、確かに信じがたいだろう。しかし我が君の指摘どおり、この転移者は守護竜を殺すほどの力を持っていた。君たちは鎧で武装していたが、それはかの竜の鱗より強固かな?」
フィーロの問いに、兵士さんたちはお互いを見て
「確かに我々の中には最初に斬られたクラウス以外、手足を切り落とされた人間は居ない」
「ほとんどは剣や鎧の上から弾かれて、壁に叩きつけられただけだ」
「しかし戦いが長引けば、やはり死んでいただろう。それで殺意が無かったとは」
ざわざわと言い合う兵士たちさんに、フィーロは続けて
「意識的な手加減ではないが、激怒しながらも躊躇があったのは事実だ。この少年は本来、憶病な男。あなた方が先に攻撃し、反撃にさらに攻撃が返って来たから止まらなくなった。その怒りのぶつけ合いは、やがて最後の一線も越えさせただろうが、この少年の心にもあなた方と同じ怒りと僅かな慈悲がある」
フィーロは真面目な語り口から一転、ニッコリすると
「あなた方も知ってのとおり、弱い者ほど力を持つと狂暴になるんだ。この少年が無力になった途端、動けぬフリをして戦いから逃げた者さえ、殺せと騒ぎはじめたように」
その指摘に、数人の兵士さんがうっと反応する。
リュシオンさんのように果敢に立ち向かう人たちが居る中。他の兵士さんたちの陰に隠れていた人。一度弾き飛ばされただけで、それ以上は戦おうとしなかった人が確かに居たようだ。
私も再び
「剣のせいでおかしくなってしまっただけで、根っからの悪人では無いと思うんです。だから、どうか命だけは。一度だけでも生き直すチャンスをあげてください」
深く頭を下げて
「この人が許されないことをしたのは分かっています。私の願いが皆さんを苦しめていることも。それでも人が死ぬのは、どうしても嫌なんです……」
涙に声を震わせながら「お願いします……」と重ねて頼むと
「我が君はあなた方を助けに来たのであって、この少年を殺しに来たわけじゃない。しかし自分の協力の結果、この少年が殺されたら、それは我が君の罪になる。我が君に殺人の罪を負わせないでくれ」
私とフィーロの言葉に、殺気立っていた兵士さんたちがシンと静まる。
それでも許すまではいかなかった全体の意思を最後に動かしたのは
「皆が怒るのは当然です。わたくしも、この男が憎い。それでも恩人がこれほど頼んでいるのに無視はできません。聞き入れましょう」
「ひ、姫。よいのですか?」
初老の兵士さんの問いに、アルメリア姫は「ええ」と寛容に微笑みつつも
「その代わり我が国の刑事施設で、他の犯罪者たちとともに、たっぷり反省してもらいましょう。二度と罪など犯せぬように。刻み込まれた恐怖と苦痛が、この者の悪意を封じる枷となるように」
アルメリア姫が美しくも凄絶な笑みを浮かべる。
元の気弱に戻った立川君は、あまりの恐ろしさに「ひっ」と青ざめた。




