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浄化の指輪【視点混合】

 しばらくフィーロとお仕事をがんばったおかげで、すっかりお財布も潤った。


 懐が温まると、また大切な人たちに美味しいものを食べさせた欲が湧いてしまって


「ねぇ、フィーロ。久しぶりにアンナおばあさんたちに会いに行きたいんだけど、手土産に日本のお菓子を持って行こうかなって。おせんべいとか、おまんじゅうとか。アンナおばあさんたちが美味しく食べられるものを教えてくれる?」


 以前おばあさんたちに恩返しに行った時、また食事においでと誘ってもらった。


 でも、あれからすぐにエーデルワールとマラクティカの争いが起きて、私は大火傷を負ってダウン。今度はフィーロが壊されてと、トラブル続きで、すっかり疎遠になっていた。


 だから、ようやく生活が落ち着いた今。久しぶりに会いに行こうと思ったんだけど、楽しいはずの提案にフィーロはなぜか厳しい表情で


「あの老婦人に会いに行くのはいいが、君は少し覚悟しなければならない」

「か、覚悟って? もしかして、またおばあさんたちに何かあったの?」


 それから私はアンナおばあさんに会いに行った。


 フィーロが言った『覚悟』とは


「おじいさん、ずっと前にお亡くなりになったんですね。すみません、私。何も知らなくて」

「そんな。悲しい顔しないで。ミコトちゃんは遠くにいたんですもの。知らなくて当然よ」


 おじいさんが急死したのは、ちょうどフィーロが獣王さんに割られていなくなっていた頃らしい。原因はフィーロによると心筋梗塞で、本当に突然の死だったそうだ。


 フィーロが戻ってからも色んな問題が山積みで、おじいさんの死を私に教えるどころでは無かった。でも今回、私が会いたがったことで、ようやくおじいさんの死を告げることになった。


 アンナおばあさんは逆に私を気遣うと、フィーロを見て微笑んで


「それよりミコトちゃんは一緒にいる人ができたのね。あなたが元気に暮らしているのは知っていたけど、実際にお友だちといるところを見られて安心したわ」

「アンナおばあさんは、お独りで大変じゃないですか?」

「独りになって寂しいのはあるけど、生活のほうは村の人たちが気にかけてくれるから平気よ」


 フィーロから聞いていたけど、このご夫婦はすごく優しくて、村の人たちともいい関係を築いていた。


 だから一緒に暮らすまではしないものの、おばあさんが独りになってからは特に「足りないものは無い?」とか「寒くなって来たけど、体調は大丈夫?」など、いろいろ気にかけてくれるらしい。


「ただ生活のほうは大丈夫なんだけど……」


 アンナおばあさんは憂い顔で頬に手を当てながら


「夫のジュリアンが亡くなったことで、私ももう長くはないだろうと思ったら、大昔に出て行った息子のことを思い出してね」

「息子さんがいらっしゃったんですか?」


 私の質問に、アンナおばあさんは「ええ」と曖昧に微笑んで


「若い人たちは皆そうだけど、こんな静かで貧しい村は退屈だって。大きな街に行って、仕事で成功して裕福に暮らすんだって。私たちが止めるのも聞かずに出て行っちゃったの」


 おばあさんは遠い過去に想いを馳せるように、息子さんが出て行ったドアを見つめながら


「世間知らずの田舎者が簡単に成功できるほど世の中は甘くないなんて、頭ごなしに否定したのが良くなかったのね。どうせ止められないなら、せめて背を押してあげたら、たまには帰って来てくれたかもしれないのに。喧嘩別れになってしまったせいか、それからずっと手紙すらくれないの」


 込み上げる悲しみに声を濡らしながら


「もう30年も離れて暮らしているんだもの。今さら「寂しいから戻って来て」なんて言うつもりはないけど、せめてあの子が今どうしているのか。無事に生きているかだけでも知りたい」


 アンナおばあさんの願いを聞いた私たちは、彼女がお茶を淹れに行ってくれている間に


「ねぇ、フィーロ」

「分かっている。彼女の息子を捜してあげたいんだろう?」

「息子さんは生きているよね?」


 推測というより、そうあって欲しいと祈るように問うと


「生きてはいる。ただ限りなく危険な状態だ」

「か、限りなく危険な状態って?」


【???視点】


 都会に行けば、もっといい人生を送れるなんて、どうして思ったんだろう?


 都会の人間からすれば、名前も知らないような小さな村に生まれたくせに、若い頃の俺は自分が他人より有能で、望めばなんでも手に入る気がしていた。


 明日滅びても誰も気にしないような小さな村。誰でもできるような地味で単調な仕事。変わらない人間関係の中で、ただ穏やかに暮らせればいいと言っている両親は、その頃の俺にはかえって怠惰に見えた。


 だから世間知らずの田舎者が都会で成功できるはずがないと反対する両親を振り切って、俺は1人で村を出た。


 最初は良かった。都会には色んな仕事があって、俺には学は無いけど野心と熱意があって、一生懸命商売のノウハウを学んだ。


 でも小さな成功がかえって仇になった。都会にはチャンスだけじゃなく誘惑も多い。


 酒、女、ギャンブル。中でも決して手を出してはいけなかったのはクスリだ。それなのに俺は悪い仲間に誘われて、一度だけなら平気だろうとクスリに手を出した。


 都会で覚えた刺激的な遊びのどれも及ばないほど圧倒的な快感と高揚。けれど、その天にも昇るような気分の後は、耐えがたいほどの空虚さに襲われる。俺は天国から単調な日常へ落ちることを恐れるようにクスリに溺れた。


 金を工面するだけでも生活が崩れるには十分だったが、クスリは俺から正気と集中力まで奪った。俺は無気力かつ怒りっぽくなり、仕事が手につかなくなった。


 あっという間に職を失い、日雇い労働者になったが、今はそれすらできていない。もう50だと言うのに、ここ1年は野良犬のようにゴミを漁るか、人様からものを盗むか。満足に食べることすら難しい毎日で、ひたすら考えるのは、どうすれば、またクスリをやれるかと言うこと。


 ずっと狂っていられたら、いっそ楽だったろう。でも持続しないだけで断続的に訪れる正気の時間が、俺は何をしているんだ? これ以上状況を悪化させたいのか? と自分を責める。


 それで今は誰も来ない壊れた橋の下で、高熱を出してひっくり返っていた。激しい吐き気に腹痛や下痢などの症状を見ると、単なる風邪ではなく食あたりかもしれない。ゴミの中から掘り出して食った食品のどれかが腐っていたのだろう。全く自業自得だった。


 ただ寝ていれば治るほど、もう若くも無いし体力も無い。他人に手を差し伸べてもらうには、心身ともに汚れすぎている。


 自分でまき散らした汚物に塗れながら、最期に考えたのはクスリのことでは無かった。しかしそれはクスリを欲しがるより愚かな夢想だった。


 家に帰って、家族に会いたい。自分で捨てたくせに。つまらない人間だと否定した両親に、俺は今さら会いたかった。もし会えるとしても、俺はすっかり落ちぶれて、合わせる顔など無いのに。


 それでも


「親父……。おふくろ……」


 高熱にうなされながら、自分すら触れるのを躊躇うような汚れた手を空に向かって伸ばすと


「マルセル」


 もう誰も呼ばない名とともに、温かな両手が俺の手を取って


「どこにいるか分からないなんて言ってないで、もっと早く捜してあげれば良かったね。ゴメンね」


 知らない老女の声。それなのになぜか脳裏には幼い日に見た母の姿が浮かんで


「一緒に帰ろう」


 その言葉を最後に意識が途絶えた。


 最期に幸せな夢を見たのだと思った。誰の役にも立たないどころか、人様のものを盗んで生きて来た俺の手を誰が取るものかと。


 でも次に目を覚ますと


「良かった。目が覚めたんだね」


 傍には見知らぬ老女がいた。しかし、すぐに気づく。そこが夢にまで見た我が家で、だとしたらこのばあさんは


「おふくろ? どうして? 俺は別の大陸にいたのに」


 カラカラに乾いて、しゃがれた声で問うと


「母さんの知り合いがお前を捜して、ここまで運ぶのを手伝ってくれたんだよ」


 母さんは俺に白湯の入ったカップを手渡しながら


「こんなにボロボロになって大変だったね。もっと早く捜してやれば良かった。迎えに行くのが遅れてゴメンね」

「……なんで、そんなことが言えるんだ?」


 まるで夢のような母の優しさが、俺には逆に信じがたくて


「この格好を見れば分かるだろう? 俺がどれだけ恥ずべき生き方をして来たか。もう50だっていうのに、家も職も妻子もいない。ここ1年は全くの無収入で、ゴミを漁って人のものを盗んで生きて来た。最低のろくでなしだ」


 いったいどう処理したのか? 服装はそのままなのに、汚れ切っていた髪も体も服も洗ったようにサッパリしていた。


 それでも母は見たはずだ。汚物に塗れて倒れていた俺を。自分がどんなに酷い生活をして来たか。知られたくないのに、優しくされるのが心苦しくて


「家に戻ったって、おふくろや親父の迷惑になるだけだよ。村の人だって「あの家の息子は」って後ろ指を指すに決まっている。ゴメン。こんな風にしか生きられなくて。おふくろを悲しませて」


 こんなに落ちぶれてしまった自分が申し訳なくて泣きながら詫びると


「嬉しかったよ」


 母は小さな体で、迷わず俺を抱き締めて


「あの橋でお前を見つけた時。お前は可哀想なくらいボロボロだったけど、それでもまだ息があった。もしかしたら死んでしまったんじゃないかって、ずっと不安だったから、生きていてくれて本当にホッとしたんだよ」


 他人からすればいないほうがマシだろう俺を見て、本当に嬉しそうに泣きながら笑うと


「またこうして、お前に会えて嬉しい。生きていてくれて、ありがとう。マルセル」


 本当に帰って来て良かったのだと思ったら


「あっ、ああっ……!」


 あまりに激しい安堵と喜びに、俺は呼吸もままならないほど泣きながら、子どものように強く母に抱き着いた。母は俺が泣き止むまで、優しく背を撫で続けてくれた。


【ミコト視点】


 マルセルさんはお母さんと抱き合って、たくさんたくさん泣いた後。すっかり冷めた白湯を飲んで、また泥のように眠った。


 アンナおばあさんは、別室で待っていた私たちの元に来ると


「ありがとう、ミコトちゃんにフィーロさん。あの子を捜してくれて。あなたたちがいなかったら、あの子を独りで死なせてしまうところだった」

「息子さんと無事に再会できて良かったです」


 笑顔で答える私の横から


「あなたに貸した浄化の指輪の効果によって、ご子息の体からは薬物の影響や食中毒は完全に消えた。しばらくこの家でゆっくり過ごせば、普通の暮らしに戻れるだろう」


 フィーロの言うとおり。私はアンナおばあさんに、一足飛びのブーツだけじゃなく浄化の指輪も貸してあげた。マルセルさんの体や服が綺麗になっていたのも浄化の指輪の効果だった。


 浄化の指輪の効果で薬物の影響が消えたのは良かったけど、正気に戻ったからこそマルセルさんは酷い自己嫌悪に陥っていた。その苦しみからマルセルさんを救い出したのは、紛れもなくアンナおばあさんの愛情だった。


 別れ際。アンナおばあさんは玄関先で


「あの子は、マルセルはちゃんと幸せになれるでしょうか?」


 これから一緒に暮らすとしても、おばあさんは息子さんより先に旅立ってしまう。自分がいなくなった後の息子さんを心配する彼女に


「ご子息はもう幸せだ。あなたが迎えに来てくれたから」


 フィーロは力づけるように、アンナおばあさんの手を優しく取ると


「今日あなたが与えた無条件の愛情が、いつかあなたがいなくなった後も、ずっとご子息を支えてくれる」


 フィーロの言葉に、おばあさんは「あ、ありがとう」と、また一筋の涙を流した。


 アンナおばあさんの家を出た後。私は閉じたドアを振り返って


「マルセルさん。薬のせいで荒んじゃっていたけど、本当はいい人みたい」

「人はよく過ちを犯すが、そこから立ち直ることもできる。彼はさんざん間違って苦しんで、本当に大切なものに気付けたから、これからはもう大丈夫さ」


 フィーロが言ってくれると、きっとそうなると安心できる。


 私は最後に「これからは親子で幸せに過ごせますように」と願うと、フィーロと村を後にした。

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