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全ての願いが叶う時

 私は悪魔さんの提案に心底恐怖しながらも


「……私があなたたちのものになれば、本当に皆を解放してくれるんですか? 新たな犠牲者も出しませんか?」

「いいわ。あなたがその美しい願いを保っていられる間は、他の人間には手を出さないであげる」

「ダメだ、我が君! ソイツらは君を壊して、どうせすぐ新しい遊びをはじめる! 君が犠牲になることは無いんだ!」


 フィーロが止めるも、女性の姿の悪魔さんは冷たい手で私の頬を撫でながら


「だとしても、今あなたが解放を願う者たちを再び手にかけることはしないわ。あなたの犠牲が全くの徒労になることは無いと約束してあげる」

「フィーロ……」


 私は泣きながら手の中のフィーロを見下ろして


「最後まで言うことを聞けなくてゴメン。でも他に方法があるなら、誰も死なせたくないよ」

「やめろ! 俺たちは誰も、そんなこと」

「全くうるさい鏡ね。邪魔の入らない場所で、私たちだけでお話ししましょうか」


 悪魔さんが笑いながらパチンと指を弾いた瞬間。


「こ、ここはどこ? フィーロは?」


 私はいきなり真っ暗な空間に投げ出された。光は無いのに不思議と自分や悪魔さんたちの姿はハッキリ見える。


「ここは、あなたの意識の底。あのうるさい鏡なら外の世界で、とつぜん倒れたあなたに必死に呼びかけているわ。全知の力があるのだから、その声が決して届かないことなど承知でしょうに。全く滑稽ね」


 悪魔さんはフィーロの必死さを嘲笑うと


「さぁ、カンナギミコト。心が決まったなら、あなたの口から願って? あなたは私たちに何を願うの?」


 皆の幸せを願えば代償として、私は悪魔さんたちに念入りに壊される。


 あらゆる不幸と苦痛と汚辱が自分を襲うのを想像して、もうすでに死にそうなほど怖くて仕方ない。


 それでも今、死の恐怖に怯えている人たちの。終わりのない時間に心を壊された人たちの絶望を思うと


「……私はどうなってもいいから、皆を助けて。もう誰も苦しめないで」


 そう願いかけた瞬間。


「きゃあっ!?」


 空気など無いはずの真の闇に、とつぜん突風が吹いて、光る何かがブワッと飛んで来た。それは悪魔さんたちにも予想外の現象のようで、驚きの声を上げていた。


 光る何かを孕んだ旋風は、悪魔さんを阻む防壁のように私を取り巻いた。


「何? この光?」


 手を伸ばすと小さな光が私の手に止まる。


「花びら?」


 神聖な光を放つピンクの花びらに首を傾げていると


「何よ! これまでさんざん人の嘆きを無視して来たくせに! どうして、ここに来てアンタが動くのよ!?」

「無理だ。相手はこの星に根差す神。ひとたび動けば外から来た我らよりも強い」

「チクショウ! もう少しだったのに!」


 膨大な量の光る花びらの防壁の外から、悪魔さんたちが言い合う声が聞こえる。


 やがて不思議な風は止んで、花びらが光とともに散る頃には、悪魔さんたちの姿も消えていた。


 真っ暗な意識の底に取り残された私は


「いったい何が起こったの? 悪魔さんたちは?」


 状況が全く飲み込めず、不安に声を上げると


「悪魔たちは指輪や神の宝物庫とともに、この地を去った。ただし悪魔自身の意思ではなく、君を救おうとする神樹の力によって」

「フィーロ? どこにいるの?」


 声は聞こえるのに紫のコンパクトは無かった。


「俺は神樹の森にいる。今は神樹の代弁者として、外の世界から君に語りかけている」

「どうして神樹さんが私を助けてくれたの? 私は神樹さんが助けたくない人も助けようとするから、力を貸さないと言っていたのに」

「神樹が君を助けないのは、君が救いたいと願う俺たちが救うに値しないから。でも君が悪魔の手に落ちた時。俺たちは心の底から君を助けて欲しいと願った。自分たちはどうなってもいいからと」


 外の世界に残されたフィーロたちが、そんな風に願ってくれていたなんて知らなかった。


 フィーロによれば悪魔の道具に変えられた人たちの大半は、悪魔の指輪を集める過程で欺いたり盗んだり殺したりの罪を犯した。要するに非情かつ利己的な人間として神樹に見放された。


 でも彼らがそういう人間のままだったら、自分はどうなってもいいから私を助けてなんて願わない。


「もうかつて過ちを犯した俺たちとは違うと、神樹は認識を改めた。だから君のいちばんの願いを叶えたんだ。魂の解放を望む者は解き放ち、生存を望む者は生かした上で、悪魔だけをこの地から消し去ることを」

「じゃあ、もうみんな大丈夫なの? 誰も悲しまないでいいの?」


 泣きそうになりながら問うと、フィーロは「ああ」と温かな声で答えて


「だから安心して帰っておいで。君が犠牲にならなくても、全ての願いは叶えられた」


 目を開けると、神樹の森に戻っていた。私は神樹の前に倒れていて、空から光の花が降り注いでいた。


 清浄な空気。青い空と緑の木々。神樹が降らせる光の花。


 でも奇跡のような光景は、それだけじゃなくて


「フィーロ?」


 マラクティカの眩しい陽光を背に、フィーロが私を覗き込んでいた。


 幻ではなく血の通った人の姿で。確かな実体を持って。


 それ自体も信じられなかったけど


「どうして、ここにいるの? 神の宝はみんな魂の解放とともに消えたんじゃ?」

「解放を望む者は、と言っただろう? ほとんどの神の宝や存在し続けることに疲れた人間たちは、形を失い輪廻の輪へ戻った。しかし君の持つ神の宝は、君が生きている間はこの地に残ることにした。自分たちを救ってくれた君に恩を返すために」


 フィーロはそう言いながら、飛び出す絵本を差し出した。その中には私が手に入れた神の宝たちが、みんな残ってくれていた。


 神の宝物庫に戻ったはずの最強の剣や九命の猫まで。私が生きている間は力になろうと、わざわざ戻って来てくれた。


 私は飛び出す絵本ごと「ありがとう」と皆を抱き締めると


「どうしてフィーロだけ元の姿に戻れたの?」


 他の道具たちも人間だったのに、フィーロだけが元の姿に戻っている。


 それが不思議で問うと


「これは神樹のオマケだな。直近の君の願いは囚われた者たちの解放と悪魔の追放だったが、君自身がずっと願ってくれていたのは、俺を元の姿に戻すことだったから」


 確かにそうだ。悪魔の指輪の真実を知るまでは、フィーロを元の姿に戻すことが、私のいちばんの願いだった。


 柔らかな風が彼の髪を揺らすことが。木漏れ日が彼に影を落とすことが。


 フィーロがこの世界に形を持って存在することがまだ信じられなくて、嬉しくて見入っていると


「君は本当にいつも人のことばかりで、自分のためには何も願わなかったな」


 フィーロは微笑みながら私の手を取って


「だから良ければ、これからは俺に君の願いを叶えさせてくれ」

「私の願いって?」


 皆も無事で、フィーロも元の姿に戻れて、もう望むことは何も無い気がした。


 だけどフィーロは


「たくさんの人を助けること。毎日違う景色の中で生きること。そんな旅を俺とすること。違うか?」


 彼の言葉に思い出す。「旅が終わったらどうするのか?」というリュシオンの問いに、確かにそう答えた。


 これからも、ずっとフィーロと旅したい。誰にも言えなかった自分だけの願い事。フィーロは知ってくれていたんだ。


「違わない」


 私は目から涙を溢れさせると、座ったままフィーロに抱き着いて


「これからもフィーロと一緒にいたい。ずっと2人で旅をしたい。神の宝さんたちも一緒に」


 しゃくりあげながら告げると、フィーロは「ああ」と私を強く抱き返して


「また皆で旅をしよう。今度は君の夢を叶えるための優しく楽しい旅を」


 新しい旅路を祝福するように、神樹の花は長く私たちの上に優しく降り注いだ。

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