悪魔の誘惑
「許可を取るべき人には取った。君が良ければ、この長い物語を終わらせよう」
終わりの場所として私たちが選んだのは神樹の前だった。
神聖な神樹の森で悪魔を呼び出すなんて普通ならダメそうだけど
「神樹は善良な者の味方ニャ。お姉ちゃんを悪魔から護ってくれるかもしれないニャ」
「サーティカの言うとおり。神樹が正しく神の樹なら、きっとお前の不幸を許さない。だからせめて俺たちの神の前で、その儀式を行え」
サーティカと獣王さんの勧めに少し困った。
確かに神樹は、一国を救うレベルの善行を為した者に願いの奇跡を与えてくれるらしい。でも私の願いには、神樹にとって救うべきではない人たちの幸福も含まれている。だから神樹は私の願いを叶えないと、予めフィーロに言われていた。
それでもサーティカと獣王さんの厚意を無視したくなくて、私たちは神樹の前に立った。
「こんなに間近で神樹を見るのは初めて。本当にすごく立派で綺麗な木だね」
ここに来る前に、獣王さんたちから聞いた話を思い出す。
神樹はマラクティカの言葉で『エルティファナ』と言う。エルは『光』。ティファナは『花樹』と言う意味だそうだ。
要するに『光る花の樹』という意味らしいけど、今は青々とした葉を茂らせるだけで、花のようなものは一切見えない。
神樹の花が咲くのは、誰かの願いが叶う時。報われるべき善良な魂のために、祝福のように光の花を降らせると言う。
「竜神の手甲と獣神の手甲も、悪魔じゃなくて神樹さんが作ったんだよね?」
私の問いに、フィーロは「ああ」と頷いて
「昔エーデルワールとマラクティカの危機を救った英雄が、それぞれ国防の力を願った。神樹は彼らの願いに応えて、強大な力を持つ守護神に変身する道具を与えた。だから悪魔の力を拒絶しても、その2つの宝は消えない」
「良かった。リュシオンや獣王さんにまで迷惑がかからなくて」
特にエーデルワールは新たな守護竜の出現によって、ようやく平和を取り戻したばかりだ。
私たちのせいで、またアルメリアやリュシオンが苦しまずに済んで良かった。
「……気になるのはそれだけか? 君は本当に自分自身の幸せは諦めてもいいのか?」
ずっとこの時を待ち望んでいたはずなのに、フィーロは苦しそうだ。
前に言ってくれたとおり、今は自分が楽になるより、私の幸せを望んでくれているんだろう。
私はフィーロの鏡を大切に両手で持つと
「私は自分の幸せを諦めてなんてないよ。もうこの世界で十分幸せだったから、こうしたいんだよ」
鏡の中の彼に微笑んで
「他の人たちのことを思うと、これで良かったとは言えないけど、私はフィーロと出会えて良かった。素敵な旅を、ありがとう」
例え悪魔の力だとしても、私はこの世界に来て、たくさんの素晴らしい人たちと出会えた。どうせ失うなら最初から無いほうが良かったなんて絶対に思わない。
ただ生まれて苦しんで人に迷惑をかけて死んだだけの私の命に、この世界の人たちが意味をくれた。だから大好きなこの世界のために、すべきことをしたい。
私は悪魔の指輪を全て出して、地面に円状に並べると
「『7つの指輪に宿りし悪魔よ。我が呼びかけに応えて出でよ』」
フィーロに教わったとおりに命じると、悪魔の指輪がそれぞれの石の色に光る。
指輪は独りでに空中に舞い上がると、私の周りをクルクルと高速で回転しだした。その回転がゆっくりになり、やがて完全に制止した瞬間。悪魔の指輪は7体の悪魔に姿を変えた。
フィーロには悪魔が現れたら、すぐに『悪魔の力は要らない。指輪とともに、この地を去れ』と叫ぶように言われていた。
でも私を取り囲む悪魔たちの姿があまりに恐ろしくて、何も言えなくなってしまった。
その隙に、女性の姿をした悪魔が口を開いて
「聞いていたわ。カンナギミコト。あなたは私たちの力を拒絶して、この世界から消し去ろうとしている。でも、そんな終わりで本当に満足? あなたの本当の願いは違うでしょう?」
「我が君、悪魔の言葉に耳を貸すな。早く悪魔の力は要らないと拒絶するんだ」
フィーロが強く指示するけど、悪魔は気にせず話を続けて
「私たちが第三の選択肢をあげるわ。それを選べば、可哀想な道具たちの魂は解放され、悪魔である私たちはこの地を去り、人間たちは正常な輪廻の輪に戻してあげる」
「えっ? 人間たちは正常な輪廻の輪に戻すって、どういうことですか?」
まさかの提案に思わず問い返すと
「つまり、そのまま生きられるってことよ。普通の人間と同じように生きて、死後は記憶を失い、また別の何かに生まれ変わる」
「……そういう力のある道具に私を変えるってことですか?」
フィーロは「悪魔に願うと、その願いを叶える道具に変えられる」と言っていた。
悪魔がタダで私を救ってくれるはずが無いから、道具に変えるのが狙いなのかと思ったけど
「違うわ。私たちは、ただあなたが欲しいの」
「ダメだ、我が君! それ以上聞くな!」
珍しく声を荒げるフィーロをよそに、女性の姿の悪魔は興奮したように声を高くして
「この先のあなたの人生を全て私たちにちょうだい! 生まれ変わるたびに、死を願うような最悪な目に遭わさせて! 前世でも今世でも誰も憎まず清らかな心を保ち続けたあなたの魂を、あらゆる不幸と苦痛と汚辱によってバラバラに引き裂きたいの!」
フィーロが言っていたとおり、彼らは人間の魂を穢し壊すことを愉しんでいる。そんな悪魔たちにとって、私は特に壊しがいのある玩具のようだ。
そして、これもフィーロの言うとおり。
『善良な者が過ちを犯さないとは限らない。君はその優しさゆえに悪魔に願う可能性がある』
悪魔に願うなんて、あり得ないと思っていた。そんな明らかな破滅を自ら選ぶなんてことは。
でも他の人たちに死ぬしかないと告げに言った時、本当に嫌だった。
みんな私と同じように、なんらかの未練を抱えて死んで、ようやくこの世界でやり直そうとしていたのに。私と同じように夢や友だちや大好きな人たちがいたのに。
「魂は解放されますから一緒に死んでください」なんて。魂は同じでも、今ここにいる私たちは消えてしまうのに。
私たちは悪魔によって歪められた存在だから、それを正すには死ぬしかないなんて、本当は言いたくなかった。
だから




