名も無き旅人のために
旅の途中。たまに動物や人間の死体を見かけた。
野ざらしの死体が可哀想で、できれば埋めてあげたかった。
けれど実際は死体が怖くて触れるどころか、近づくことさえできなかった。
この日は久しぶりに、野盗に襲われた人の死体を見かけた。
「我が君。気にしなくていい。行こう」
フィーロに声をかけられても、私はその死者が可哀想で、なかなか動けなかった。
しかし血と泥にまみれ蠅のたかる死体を間近に見るのは怖くて、やっぱり近づくことさえできなかった。
夜になっても、それが引っかかって、ずっと浮かない顔の私に
「君は野ざらしの死体を可哀想だと思いながら、実際は触ることもできない自分を偽善者だと責めているのか?」
フィーロの問いに、私はコクンと頷いた。
いいことがしたいと言いながら、やりたくないことからは目を背ける。
フィーロの言うとおり、私は偽善者だ。
立てた膝に顔を隠すようにして涙ぐむ私に
「言っておくが、家族でも知り合いでもない者のために、わざわざ手を汚し時間を割いてまで埋葬してやる者なんて滅多に居ない。それだけ人は本能的に死を恐れる。そんな当たり前の反応をしてしまう自分を、偽善者だなんて責めなくていい」
いつも冗談っぽい口調のフィーロには珍しく、真面目な顔で言うと
「君は十分優しい人間だ。全知の鏡である俺が言うんだから間違いない」
やはり最後は、おどけたように笑った。
フィーロの優しさに少し救われる。
でも私が偽善者かはさておき、野ざらしの死体はやはり可哀想で、できれば土に還してあげたかった。
「いつかもっと強くなったら、ちゃんと埋めてあげられるかな?」
私の問いに、フィーロは
「手作業にこだわるんじゃなければ、触らずして死者を土に還す方法はある。君がここでそんな望みを口にしたのも、何かの縁かもしれないな」
フィーロによれば、まさに死者を弔うための神の宝が近くの森にあるそうだ。
悪魔の指輪の収集とも、金策や生活の利便とも無関係の神の宝。
でも私は心から、その魔法に惹かれて取りに行った。
フィーロの指示で森を探索すると、まるで白骨のような横笛を発見した。
けれど骨に似た見た目は、恐ろしさよりもの悲しさを感じさせた。
「それは『葬送の笛』。君のように死者を丁重に弔いたいと願った男が生んだ神の宝だ」
フィーロによると、それを願ったのは600年前の兵士だそうだ。その頃は各地で戦争が起こっていた。
彼は戦場でおびただしい数の死体を見た。
彼は私と違い、それらの死体を自分の手で埋葬した。
しかし1人ではとても埋めきれないほどの死体の山。埋葬した彼にさえ、あれが敵か味方か、どこの誰かも分からないほど酷い惨状だったと言う。
「彼は自分にできる最善を尽くしたが、全ての死体を葬ってやれなかったこと。その場に埋めただけで、故郷の土に還してやれなかったことを戦場を離れた後も、ずっと悔いていた」
誰もこんな自分とは縁もゆかりもない土地に、無造作に埋められたくは無かったはずだ。
生まれ故郷や、愛する人の傍や、いつか行きたかった場所。そういう場所が誰にでもあるはずで、そこで安らかに眠らせてあげたかった。
「その願いが葬送の笛になった。俺のような全知の力や無限の富と比べたら、すごく風変わりな願いだ」
その後。葬送の笛は神の宝物庫に加えられた。
ただ、そんな笛を選ぶ転移者なんて居ないと思われた。
「けれど、この世界には色んな人間が来る。中には君のような優しい旅人も居て「この笛があれば、もう旅先で可哀想な死体を見ても、戸惑わずに済む」と葬送の笛を選んだ」
私には、その旅人さんの気持ちが良く分かった。
私はフィーロを選んで良かったと思っている。
でも見知らぬ土地で息絶えた死者を、その人が本当に望む場所で眠らせてあげられたら。
それは死者にとっても葬る側にとっても、どんなに救われることだろう。
「ところで死者の弔いのために吹かれる葬送の笛は、そこに宿る男の願いか旅人の優しい心のせいか、とても美しい音色だったんだ。それをたまたま聞いた人たちに、もっと吹いてくれとせがまれるくらいに」
けれど葬送の笛は、死者を弔う以外の目的では吹けないそうだ。
だからその旅人も、たまにしか吹かなかった。
それでも笛の音に目を付ける者が居て、その旅人を殺して奪った。
「しかし犯人は知らなかった。葬送の笛が死者を弔う時以外は吹けないことを。いくら息を吹き込んでも、ちっとも鳴らないので、腹が立った犯人は思わず投げ捨てたんだ。旅人を殺してまで奪ったくせに、あっと言う間に興味を無くして」
それが葬送の笛が、この森に落ちていた経緯だと言う。
名も無き旅人の死に様に、私は言葉が出なかった。
「可哀想に。それからこの笛は、ここでずっと野ざらしだ」
フィーロの話を聞きながら、木の根元に落ちていた葬送の笛を拾う。
絡みついていた雑草や土を払うと
「ずっと1人で辛かったね」
泣きそうな気持ちで葬送の笛を抱き締める私に
「君はまるで道具を人のように扱うんだな」
「だってさっきの話を聞いちゃったら、これがただの道具なんて思えないよ」
私は葬送の笛を見下ろしながら
「変かもしれないけど、強い願いから生まれて、優しい想いとともに吹かれたものだから、その人たちの気持ちが宿っている気がする」
「それならさっそく吹いてやってくれないか? もうここにその優しい旅人の痕跡は欠片も残っていないが、葬送の笛が何より弔いたいのは、かつて共に旅した主だろうから」
私はフィーロに同意して、水筒の水で笛を清めると、そっと口を付けた。
私は笛の吹き方を知らない。それなのに指が勝手に動いて、もの悲しくも美しい旋律を奏でる。
その旅人の体どころか魂も、もうこの場所には残っていないだろう。
それでも遠い昔に殺された主の死を悼む葬送の笛の心だけは、きっとどこかに届いている気がした。