或る少年の日常。
漢詩が好きな少年の話。
「年年歳歳花相似たり…歳々年々人同じからず」
庭先の梅の蕾が開き、今では威風堂々と真っ赤な色を覗かせているさまを眺めながら、珀は呟いた。彼は縁側で寝そべっていた。3月になったばかりだが、半袖でもいいくらいの暖かい日で、最近までごうごうと吹き荒れていた北風はすっかりと姿を消していた。
珀の住む地域では、積雪は滅多に見られない。梅と雪の組み合わせは、掛け軸のように美しく映えるものだが、実際にその目で見たことは一度もない。今年こそは見れるだろうかと庭の景色に期待したが、風も雪も早々と退散してしまった。今残っているのは、美しく色づいた梅花、年中あまり姿の変わらない何本かの松、あとは種類のよく分からない草木、そして冬をまだ残した灰色の空だけだ。
珀は想像した。引き戸を開けると、この庭にいっぱいに雪が降り積もっている姿を。垣根も松の木も、雪を頭に乗せ、静かに佇んでいる。空は鉛色で、時間は早朝。雪は止んでいてもいい。小さな朱色に白い冷たい綿が乗っていて、寒梅と呼ぶのに相応しい小さな絶景だ。
「北風に心あるならば、梅の花を散らすことなかれ……」
想像しながら呟いたその句は、唐の崔道融の詩である。
お気づきだと思うが、珀は漢詩が趣味であった。学校で習う漢文では飽き足らず、漢詩の本を書店で買っては、全てを諳んずることができるまで何度も読み耽るという、同級生には誰も持っていない奇特な趣味があった。学んでいて損は無い学問ではあるのだが(現に日本人で漢文を習わない者は一人もいないからだ)、なぜ日本人なのに漢文を学べばならんのかと多くの学生が苦痛の声をあげるほど、容易ではない学問であることは確かである。
珀はまだ14歳で、この年頃だと学校のない日に友達とサッカーをする、家でゲームをする、カラオケやボウリング場へ行くなどいろいろな遊びがあったが、彼はどれも面倒臭がって家から出ようとしなかった。彼の唯一無二の学友は、そんな彼に呆れつつも関心のある様子で、「将来は大学教授になるのが向いているかもね」と言った具合である。
珀自身もなぜ漢詩がそんなに好きなのかは、分からなかった。彼は中国語にあまり関心もなければ、言葉と言えばこんにちはを意味する你好しか知らない。ただ、漢詩にある漢字から漂う絵画のような情景には、強く惹かれた。日本のやまと言葉とは違う、写実的な美しさが漢詩にはあると珀は感じていた。万葉集や百人一首の和歌も美しいとは思うが、漢詩は短くコンパクトなサイズで、情景や心情を生々しく表し、そして珀の心を掴む。
珀は漢詩を作りたかったが、それは困難を極めた。何度も試みたが、完成したと思って筆を置いて眺めると、それはただの間延びした感想文であり、その度に珀は酷く落胆した。漢文である必要性が全くないではないかと嘆息した。いつか漢詩を自力で生み出せるまで、美しい光景に心を打たれ、真の言葉が紡ぎ出せるまでの間、珀はねた探しを始めたのであった。寒梅を見たかったのは、そのためである。
「しかし、偉大な詩人はねたを探しに出かけることはしないだろうな……」
ねた探しと言うものが、果たして珀の思う漢詩の完成に効力を成すのかといった疑問には、彼の中で既に解答は出ていた。後世に名を残すほど優れた詩人の凄さは、その鋭い観察眼が備わっているからである。
「そうか、寒梅が見れなかったから書けないんじゃなくて、見れなかったから書けばいいのか」
珀はそこで閃いた。その言葉を果たして紡ぎ出せるか疑問ではあったが、とりあえず起き上がって、紙とペンを取りに行こうとした。
「餅が焼けたわよ!」
居間の方から母親の声がした。今日は休日で、家族全員が家にいる。正月で食べきれなかった餅の消費に、珀の一家は追われていたのである。
「餅か……」
餅は嫌いではない。とりあえず作業に取り掛かるのは、餅を食べた後でもいい気がしないでもない。
「おれも行く!」
珀はこれまでにない大きな声で返事をした。油断をしていると、兄妹のみんながあっという間に平らげてしまい、自分で餅を焼く羽目になるからだ。
「雪早々に過ぎ去り、庭木寂しく唯在るのみ……」
居間へと向かう途中で、珀は呟いた。頭の中は餅でいっぱいだが、なぜか無意識の中で漢詩を生み出そうとしているもう一人の自分がいる。
「凛として咲き誇る寒梅、唯一の赤彩を放ち佇む……」
居間の襖の前に立ち、泉のように湧き出てくる自分の中の感性に少しどきりとした。
「そうか。アイディアというのはこういう時に浮かんでくるものなのか」
珀はにやりと笑った。鼻先からは餅の焼ける匂いが漂っていた。襖の向こうは家族が集まっているせいか、がやがやと騒がしい。
「おれは2個は食べるぞ」
そう言いながら、家族が団欒している前の襖を開けた。