第44話 『空から女の子が』症候群⑧
「待ちなさい! や、やめなさいよ! そんな昔の話を持ち出すのは!」
慌てだす王女様を見るに「身も捧げた」ことは言っていなかったのだろう。
「まあ、落ち着きなよ。あの時言ったと思うが改めて君に問おう。君はこの男と本気で一緒になることを受け入れているのかな?」
先生が当然のように割って入るが、いきなり現れた私達に当然のように抗議するケビンさん。私達は付き合いが長いような気がしているけれど、ケビンさんにとっては私達は初対面だ。
「ちょっと、あんたたちは何なんだよ。サイン、君はカールとは何でもないと言っていたのは……」
「ケビンくん、君の役目はほぼ終わっている。少し、静かにしていてくれるかな」
先生はそう言って空中に横一線を描くように指を降った。ケビンさんは声が出せなくなったようで「あ、う」とうめき声を上げる。王女様はそれを見て何かをいいかけたけど、やめた。賢明だ。
ところでカールってどこかで聞いたことがあるような。
「私は、ケビンのことを愛しているわ。結局あの時、あなたが言ったとおりになったのは悔しいけれど」
あのとき、とは最初に拉致監禁して、王女様に症候群の説明をしたことを言っているのだろう。あのときは無茶苦茶な話と思われていた先生のお話は結局ほぼすべて言った通りの結果になった。こうなると先生はまるで予言者かなにかみたいだ。
「そうか。それはストックホルム症候群やロミオとジュリエット症候群じゃないと言い切れるかな? いや、この場合は体育祭症候群や吊り橋症候群が近いかな」
ストックホルム症候群。犯人と人質の間に生まれるという奇妙な一体感。ケビンさんは傍から見れば王女様を誘拐した犯人という扱いになっている。
ロミオとジュリエット症候群。ロミオとジュリエット効果ともいう。障害があることで逆に強く結びつく心理現象。
体育祭症候群。体育祭という大きなイベントの後。雨後の筍のようにカップルが誕生する。
吊り橋症候群。吊り橋効果ともいう。生命の危機などで起きる興奮状態を恋愛感情によるものと勘違いしてしまうという心理現象。
「そうですね。映画や小説などでもよくありますものね。ともに危機を脱した男女が好意を抱くという……自分がそんな立場になるなんて思ってもいませんでしたが」
「そうだね。物語ならそこで終わりでハッピーエンドなんだけど、現実はそうはいかない……。むしろ二人の物語の始まりに過ぎないんだよ。ここからの方が多くの困難や災難が待ち受けていることだろうね」
「そうですね」と王女は静かに目を閉じた。
「ですから、私は彼とは一緒にはなりません。彼を逃がすためにここへ来たのは確かです。そして認めます。私は彼を愛しています。この世界の誰よりも」
「カールよりも?」
先生が余計な茶々を入れる。最低です、先生。
「……カールよりもです。彼のおかげで私は敵と戦う覚悟ができました。彼には感謝しているのです。ですから彼をどうにかここから逃してあげたかった。だから来たのです。確かに一時の感情に流されそうになっていたことも認めますが、私は彼と同じ未来を歩むつもりはありません」
「だそうだよ」と言って先生は指をさっきとは逆に振る。するとケビンさんが声を出せるようになった。このタイミングで術を解くとは、鬼ですね、先生。
「サイン、カールに身も心も捧げたというのはどういう意味なんだ? お前俺が初めての相手だって言ったじゃないか!」
「今そのお話ですか!? もっとこう、愛とかそういうお話をするのではないのですか?」
「愛の話だよ! お前が俺を騙していたのは本当のことなのか!」
二人の会話は妙な方向へシフトしている。
――ちょ、ちょっと先生、見えてこないんですけど
(自分から念話を使うとは君もずいぶん慣れたな、リコくん)
――そ、それより説明をお願いしたいんですが。また急にわちゃわちゃなるのは嫌ですよっ!
(わかった。二人が痴話喧嘩をしているうちに二人には状況説明をしておこうか)
私とナナコさん、そして先生は二人から少し距離を取った場所に座って先生の説明を聞くのでした。




