第36話 『空から女の子が症候群』序
「先生……子どもじゃないんですから。野菜だけ残すのはやめてください」
私が持つ白いお皿の端には細切りになったピーマンだけが残されている。
先生は私の方を横目で見て、お皿を見て、目をそらして口をとがらせた。
「……それ苦手」
「知ってますよ。そんなこと」
「じゃあなんで入れるんだよ! 嫌がらせなのか!」
「先生の健康のために決まってるじゃないですか。栄養バランスを考えて作ってるんです。このピーマンだって苦味がなくなるように下処理してあるんですから。ほら少しだけでいいですから食べてみてください」
私がお皿を先生に近づけると、先生は椅子から飛び降りた。
「嫌だ!」
「子どもですか!」
先生は見た目はたしかに子どもなんだけど、これでもれっきとした成人だ。先生は体が小さいのもあってあまり食べないし、とても偏食な上に、研究に没頭している間は寝食を忘れる傾向にあるので私は食事にはかなり気を使っている。
私達がいい愛をしていたら、奥の寝室から大きなあくびをしながらナナコさんが出てきた。
「朝からうるさいにゃ……。何を騒いでるにゃ」
しなやかな体を大きく伸ばす姿は猫そのものだ。
「ナナコくん! 助けてくれ! リコくんがボクに無理やりまずい料理を食べさせようとするんだ!」
先生はナナコさんの後ろに隠れてしまった。ナナコさんはまだ寝ぼけ眼で状況がよくわかってないようで、シャツから肩を出したままのだらしない姿のままされるがままに突っ立っていた。
「ま、まずいですって!? 食べてもないくせに!」
私がどれだけ時間をかけてお料理を作っているのか知らないくせに。
もちろんお料理もお仕事の範疇なのだけど、私なりに一生懸命に愛情を込めてお料理しているのだ。それを全部残したうえにまずい呼ばわりは流石にひどい。
「リコ~。先生をいじめるのはやめるにゃ」
状況もわかってないくせに先生の味方をするナナコさんはまた大きなあくびをしていた。
「もうお昼です。ナナコさんも早く顔洗ってきてください。お昼ごはん捨てちゃいますよ」
「今日のお昼ごはんはにゃににゃ?」
にゃ、が多くて一瞬何を言ったのかわからなかったけれど、お昼ごはんはなに?って聞いたのね。
「お肉とピーマンの炒めものです」
「にゃにゃコは野菜は食べないにゃ」
「ナナコさんまでそんなこと言って……」
「猫は肉食にゃ。野菜はたべにゃいにゃ。知らにゃいの~?」
「それは猫の話でしょう。ネコ耳族は肉を主食としますが体の組成はほぼ人間と同じで、野菜も食べないと病気になってしまう。それくらいとっくに把握済みです」
ふにゃ! と驚いた顔をするナナコさんだったけど、私だって、しばらく一緒に生活するのだからナナコさんのことについてきちんと調べたんだ。
「ほーら、おいひいですよ。全然苦くありません」
私はピーマンを一つ口に含みながら言った。我ながら上手に味付けできていると思う。
「嫌だ!」
先生はナナコさんの背中にしがみつくように隠れた。
「リコ、先生も嫌がってるし無理やり食べさせるのはよくないにゃ」
なんとなく状況を察したナナコさんが渡しをなだめるようにいった。
「ナナコさんは黙っててください。先生のはただの好き嫌いですし、この人はいつもこれで体調崩しては薬やらサプリメントやらを飲んで治そうとするんですから。ちゃんとバランスのいい食生活をしないとだめです」
「んー、なら他の野菜を使うとかはできにゃいのかにゃ? いくら体に良いからって嫌いなものを無理に食べさせても……」
「そうだよ。ナナコくんのいうとーりだ」
一瞬、頭に血が登ってしまった。
まだ数ヶ月の付き合いとはいえ、先生とはそれなりに濃い時間を過ごしてきたと思っていた。
それなのに、昨日今日来たばかりのナナコさんの方についたことで、私の中に悲しさと怒りが入り混じったものが湧き上がった。
「もう。そんなだから大きくなれないんですよ!」
と言ってしまった後に「しまった」と心のなかで叫んだ。
先生は半開きの目をナナコさんの後ろからゆっくりと覗かせてくる。
あ。怒ってる顔だ。
「別に大きくなりたいだなんて思ってないし。そもそもピーマンには背を伸ばす栄養素は含まれていないし」
先生は完全にふてくされてしまったようで、こうなってしまっては食べさせるのはもう無理そうだ。
「はぁ。わかりました。今回は私が食べておきます。でも次はちゃんと食べてくださいね」
「え。君はさっき食べたばかりなのにまだ食べられるのかい?」
「食べ物を粗末にはできませんから」
そう言って、キッチンに下がった私は冷えてしまったピーマンを口に流し込んだ。
冷えてても美味しかった。




